20231217-20231223

2023年12月17日(日)

 昼に寿司を食べた。寿司はやっぱり美味いなあ、と、当たり前のことを思う。それから適当に買い物をして、帰りにスタバのメルティ・ホワイト・ピスタチオ・フラペチーノを飲んだ。「ピスタチオ・フラペチーノ」だけでは果たして駄目なのか、と思うけれど、なるほど飲んでみると、まさに「メルティ・ホワイト」。溶けるような甘さの、真っ白な液体。「メルティ」という言葉は、なんとなくクリスマス、という感じがする。それは「メリー」に語感が似ている感じがするからだ、と思う、けれど、その「感じ」でクリスマスシーズンに出す商品としてこの白い液体を命名したスタバは、やっぱりすごい。結局みんな、なんとなく雰囲気で、色んなものを選んだり、選び損ねたりしながら生きている。

 家に帰って、道中で買ってもらった柑橘を食べた。甘酸っぱくて舌触りは優しく、まるでそれが存在するだけで世界が薔薇色に染まる、恋みたいな味わいだった。品種は、「紅まどんな」。多分、僕もなんとなくの「感じ」で生きている。

 

2023年12月18日(月)

 仕事に行った。終わらない、終わらない、と言っていたら、あっという間に一日が終わった。

 

2023年12月19日(火)

 仕事に行った。終わらない仕事は無い。けれど、「終わる」ことと「終わらせる」ことは、きっと違う。きちんと終わりたい、と思いながら、無理やり終わらせて家に帰った。

 

2023年12月20日(水)

 仕事に行った。この一年で、フリック入力で「仕事に行った」と打ち込むスピードが猛烈に早くなったことに気付いて、少しだけ悲しくなった。

 

2023年12月21日(木)

 仕事に行った。また飲み会の誘いを断ってしまった。嘘にならないギリギリのラインの嘘をつくことが得意になった。自分に嘘をつかないために、人に嘘をつきながら生きている。

 

2023年12月22日(金)

 家で仕事をした。気付けば年内勤務もあと一日。これだけ仕事をしていると、仕事上でもやりたいことというのはそれなりに出てくる。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない、というかそれがわかる必要など無いのだと思う。やりたいことだけをやって生きていたい。

 夜は飲み会に行かなかったのに、一人で酒を飲んだ。一人で飲む酒は美味い。やりたいことだけをやって生きていたい、といつも思うけれど、僕は割と、やりたいことだけをやって生きている方なのかもしれない。と思えるぐらいには、今日は心の調子が良い。明日から三連休だからか。

 

2023年12月23日(土)

 昼から出かけ、六本木に井上陽子さんの展示を見に行った。井上陽子さんの作品については、去年このブログに長々と書いたが、やはり何度見ても、心のど真ん中を撃ち抜かれるような感覚になる。偶然、経験、余白、陰影、過ち。そうした、人間を構成する全ての複雑さ・矛盾を、井上さんの作品群は優しい色使いで照らし出す。作品を見ている自分と作品それ自体、果てには作品が創られる過程にまで波及して魂は呼応し合い、いつしか境界線を失くして全てが融け合い、一つになる。そうした魂の融合こそが芸術の本意である、と日々思うのだが、そのような体験が現実に起きることは数少なく、貴重なことだ。にも関わらずその時間、店内に飾られた全ての作品が僕の胸の深い所へ、何にも妨げられることなく一直線に降り積もっていくような感覚があり、僕は今作品を見ているのか、はたまた自分自身を内なる目で見つめているのか、判然としなくなり、不意に目眩がした。

 そうした幸福な、夢うつつの時間を過ごしながら、在廊していた井上さんとしばらくお話をさせていただいた。井上さんは創作に迷っている僕に対して、とにかくやりたいことを続けていくことだ、という言葉を投げ掛けてくださった。何かのためではなく、何の意味も持たず、ただ心の赴くままに続けていくこと。それしかないのだ、と。

 闇に包まれ先の見えない山道を、手探りで登っていく。道中でポケットからは沢山の物がこぼれ落ち、歩を進めるに連れて遠退いていくけれど、後ろを振り返ることはできない。続けた先にどんな景色が広がっているかは、誰にもわからない。それでも続けるのか、と問い掛ける内なる声に耳を澄ませ、それでも続けたい、という思いが芽生えた場所に、僕が生み出すべき作品がある。

 そんな思いを抱かせてくれた井上さんの言葉と、僕を励ますようにそこに存在していた美しい作品の数々に、心から感謝したい。