「わからない」の先にあるものーー横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」2024年3月30日

 「わからない」ということと「わかる」ということの間にある無限の宇宙に、目を凝らす。しかしそこにあるのは、いつも茫漠とした暗闇だけだ。どれだけ追いかけた所で、何かを掴み取ることなどできやしない。それは、「わからない」ということと「わかる」ということが、常に相互補完的なものであるからだ。

 無知の知、あるいは不知の自覚、とも言うが、我々の世界の認識はこうした言語的なパラドクスの上に成り立っている。「わからない」ということと「わかる」ということが全く別個のものとして存在しているのではなく、「わからない」からこそ「わかる」、逆に「わかる」からこそ「わからない」、という相互の往還を通してしか、僕らは世界を自分の目で見つめることができない。片方を支えているのは、常に、その逆側に存在する概念である。

 しかしそれが「逆」であるが故にそこにはいつも矛盾が生じ、もどかしさがある。もどかしさを得た瞬間、僕らは癖のようにそこから逃れようとし、短絡的な回答を求める。それでも、そうした往還の無い一方通行の理解の押し売りは、やがて破綻を来す。それは芸術作品と接している時も、人間と接している時も、果てには国と国が戦争を起こす過程においても、きっと同じことだと言っても言い過ぎではないだろう。関係性とは決して、「わかること」では無く、「わからないこと」の連続でしかない。その考え方を、自身の骨の髄まで浸透させる必要がある。

 そのもどかしさに耐えること、言い換えれば、「わからない」という状態のままその場に居座り続ける忍耐力を持つことができてはじめて、僕たちは「自分の目で世界を見ている」と、自信を持って言うことができるのではないだろうか。そしてそうした「自分の目で世界を見ている」という実感を持つことこそが、いま一番必要とされていることであり、情報過多の社会で僕らが対峙している厳しい試練なのだ、と思う。


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 横浜トリエンナーレ2024「野草:いま、ここで生きてる」は、正直に言って「わからないこと」だらけの展覧会だった。入場した瞬間から、まず、どこに進めば良いのかわからない。マップに大まかな矢印は書かれているものの、展示の中で明確な順路も示されず、まるでどうやって進めば良いかは自分の頭で考えろ、と問いを突きつけられている気分だった。そしてわからないままにふらふらと進みながら行き着く先々で、展示されている作品の意図も、判然とうまく掴むことができない。爆撃音を口で表現するウクライナ人の声、母親と同じ体型の人形を愛でる女児の写真、自分の口で、水溜まりの雨水を別の場所に移し替える男性の動画。多岐に渡り展示される、これが果たして作品と呼べるのかわからないような作品群を見て、僕らは一体、何を考えれば良いのだろうか。そうした疑問が芽生えても、作品からはその明確な答えは一向に示されない。それでも、僕たちはこうして「何もわからない」世界に生きているのだ、と、そのわからなさがわかる、という不条理な感覚が、薄っすらと胸に芽生えるのを感じる。

 最後の展示室に入室すると、不意に途轍もなく大きなサイレンの音が聞こえる。とても耳障りな音だ。その音を聞いていると、自分がどれだけ不安定な世界に生きているのか、となんだか絶望的な思いを抱いてしまう。いつ、どこから矢が飛んでくるのかわからない。こんなサイレンが鳴り響くような攻撃が、いつか自分の身にも降りかかる日がやってくるのではないか。不規則に鳴り響くその音は、そうした自分の胸に微かに生まれた不安を、これでもかと言うほど助長し、増殖させていく。

 そして展覧会の最後、一番出口に近い所に、一つのボタンが置かれているのが目に入る。それを徐に押してみると、その一室に今まで聞こえていた大音量のサイレンが鳴り響き始め、驚かされる。そしてそこで、はたと気付く。そうか、この不安定な世界を生み出しているのは、他でも無く、こうして何も「わからない」ままにボタンを押してしまう、自分の手によるものだったのか、と。


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 わかっているように思えて、わかっていないことが世界にはたくさんある。わからないでいた方が幸せなことも、たくさんあるかもしれない。それでも、わからないなりに、わかろう、と努力を続けること。その姿勢が無ければ、僕らは簡単に誰かを傷つけてしまうし、永遠に誰かと幸福を分かち合うこともできないのだ。そんな風に背筋を正される、素晴らしい展覧会だった。