自分の感受性くらい

 忙しない毎日が続いた。「忙」という字は「心を亡くす」と書くが、字の通り、仕事で忙しくしていると何かを美しいと思う感情も、人の優しさを愛おしく思うことも、簡単に見失ってしまうような気がする。やっとのことで仕事を終えて家に帰ったところで、米を炊き、決して美味くも無いコンビニの惣菜をかきこみ、洗い物をして風呂に入って、だらだらとYouTubeを見ている隙に、既に夜は明日に向けて動き始めている。そうして何も果たしていない自分に嫌気が差し、時が過ぎていることすら忘れてしまおう、と自棄になって布団に潜り、無理やりに目を閉じても、夢の中でも時間やタスクに追われていることに気付く。何かを思い通りに忘れることはできない。忘れたいことより、忘れたくないことを増やさなければ、自分の心はいつの間にか乾き切ってしまうのではないか。よくよく考えてみれば、「忘」という字も「心を亡くす」と書くから不思議だ。


 幸せというのはきっと相対的なもので、人は自分の中だけで幸せを実感することはできない。だからこそ周りの人と語り合い、感情を共有することで幸せを見出せる、と信じて生きているが、ある特定のコミュニティで過ごす時間が長ければ長いほど、そこでの幸せのあり方が、いつしか自分の日々の幸福の全てへと成り変わってしまう恐れがある。仕事は自分の人生にとって二の次で、本当はもっと大事なことがある、と信じてはいるけれど、時間というものは本当に残酷で、そうして別の豊かさを信じる自分と比較して心を亡くした自分でいる時間の方が長くなると、いつの間にか自分の幸せのあり方全体が、心を亡くした自分の方に強く引き摺られてしまう。それでも自分では「心を亡くしている」とは気付かなくて、気付かないからこそ自分の中で、その力に抵抗するために必要な体力を捻出することすら、できなくなってしまう。というか、単純に疲れ果ててしまった。ここ最近はずっと、そんな感じだった。

 

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 先週の金曜の夜、ふと思い立って仕事終わりに一人で映画を観に行った。アンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』という映画で、僕はその監督の作品をかねてから愛してやまないのだが、その日が公開初日だった。現実と非現実が往還し、生と死の境で描かれるその映画は、本当に素晴らしい作品だった。僕はその時、誇張でもなんでもなく「こんなに美しいものがこの世に存在しても良いのだろうか」と思った。エンドロールが終わって映画館を出て、駐車場から車を走らせながら眺める夜道は、いつもよりも明らかに美しく思えた。仕事で犯したミスや、苦手な人の顔など、すっかり忘れていた。というより、そんなことを思い出す暇も無いほどに、僕はその映画から受け取った美しさの中にその時、生きていた。

 今になって思えば、きっと僕はその映画自体の美しさに感動していたわけではなく、僕がその映画を見て「美しい」と思えた僕自身の心の方に、感動していたのではないだろうか。自分が「美しい」と思える映画に出会い、その後の自分の目に映るすべてが美しく思えるーーそんな瞬間を、そんな瞬間の中だけで生きていた学生時代とは明らかに異なる感触で、僕はその時、確かに生きることができた。先の表現に即して言えば、その時、僕の中の「美しさ」を感受できる僕が、心を亡くしていた今までの自分に打ち克ったのだ。素晴らしい作品は、いつもこうして僕の中の僕を、僕が「こうありたい」と思う僕の方に、力強く引っ張って行ってくれる。


 そうして僕自身が心を豊かにされたことと同じように、僕も誰かの心を豊かにする手助けができるのだろうか、と思う。昨日の夜、僕が好きな本の一節をお勧めした時に、すぐにそれを読んで、「すごい」とラインを送ってきてくれた人がいた。僕はそのラインを見た時に、なんだかすごく幸福な気持ちになった。僕にとっての幸せは、きっとこうして育まれていくのだろう。自分が思う美しさを、誰かが美しいと思ってくれた時、そこに幸せが芽生える。それだけを信じて生きていれば良いのかもしれない。


 そうやって思ったことも、忙しくしていたら簡単に忘れてしまうだろう。だから絶対に、心を亡くしてはいけないのだ。自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。明日はなんとしても、定時で上がろう。

「わからない」の先にあるものーー横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」2024年3月30日

 「わからない」ということと「わかる」ということの間にある無限の宇宙に、目を凝らす。しかしそこにあるのは、いつも茫漠とした暗闇だけだ。どれだけ追いかけた所で、何かを掴み取ることなどできやしない。それは、「わからない」ということと「わかる」ということが、常に相互補完的なものであるからだ。

 無知の知、あるいは不知の自覚、とも言うが、我々の世界の認識はこうした言語的なパラドクスの上に成り立っている。「わからない」ということと「わかる」ということが全く別個のものとして存在しているのではなく、「わからない」からこそ「わかる」、逆に「わかる」からこそ「わからない」、という相互の往還を通してしか、僕らは世界を自分の目で見つめることができない。片方を支えているのは、常に、その逆側に存在する概念である。

 しかしそれが「逆」であるが故にそこにはいつも矛盾が生じ、もどかしさがある。もどかしさを得た瞬間、僕らは癖のようにそこから逃れようとし、短絡的な回答を求める。それでも、そうした往還の無い一方通行の理解の押し売りは、やがて破綻を来す。それは芸術作品と接している時も、人間と接している時も、果てには国と国が戦争を起こす過程においても、きっと同じことだと言っても言い過ぎではないだろう。関係性とは決して、「わかること」では無く、「わからないこと」の連続でしかない。その考え方を、自身の骨の髄まで浸透させる必要がある。

 そのもどかしさに耐えること、言い換えれば、「わからない」という状態のままその場に居座り続ける忍耐力を持つことができてはじめて、僕たちは「自分の目で世界を見ている」と、自信を持って言うことができるのではないだろうか。そしてそうした「自分の目で世界を見ている」という実感を持つことこそが、いま一番必要とされていることであり、情報過多の社会で僕らが対峙している厳しい試練なのだ、と思う。


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 横浜トリエンナーレ2024「野草:いま、ここで生きてる」は、正直に言って「わからないこと」だらけの展覧会だった。入場した瞬間から、まず、どこに進めば良いのかわからない。マップに大まかな矢印は書かれているものの、展示の中で明確な順路も示されず、まるでどうやって進めば良いかは自分の頭で考えろ、と問いを突きつけられている気分だった。そしてわからないままにふらふらと進みながら行き着く先々で、展示されている作品の意図も、判然とうまく掴むことができない。爆撃音を口で表現するウクライナ人の声、母親と同じ体型の人形を愛でる女児の写真、自分の口で、水溜まりの雨水を別の場所に移し替える男性の動画。多岐に渡り展示される、これが果たして作品と呼べるのかわからないような作品群を見て、僕らは一体、何を考えれば良いのだろうか。そうした疑問が芽生えても、作品からはその明確な答えは一向に示されない。それでも、僕たちはこうして「何もわからない」世界に生きているのだ、と、そのわからなさがわかる、という不条理な感覚が、薄っすらと胸に芽生えるのを感じる。

 最後の展示室に入室すると、不意に途轍もなく大きなサイレンの音が聞こえる。とても耳障りな音だ。その音を聞いていると、自分がどれだけ不安定な世界に生きているのか、となんだか絶望的な思いを抱いてしまう。いつ、どこから矢が飛んでくるのかわからない。こんなサイレンが鳴り響くような攻撃が、いつか自分の身にも降りかかる日がやってくるのではないか。不規則に鳴り響くその音は、そうした自分の胸に微かに生まれた不安を、これでもかと言うほど助長し、増殖させていく。

 そして展覧会の最後、一番出口に近い所に、一つのボタンが置かれているのが目に入る。それを徐に押してみると、その一室に今まで聞こえていた大音量のサイレンが鳴り響き始め、驚かされる。そしてそこで、はたと気付く。そうか、この不安定な世界を生み出しているのは、他でも無く、こうして何も「わからない」ままにボタンを押してしまう、自分の手によるものだったのか、と。


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 わかっているように思えて、わかっていないことが世界にはたくさんある。わからないでいた方が幸せなことも、たくさんあるかもしれない。それでも、わからないなりに、わかろう、と努力を続けること。その姿勢が無ければ、僕らは簡単に誰かを傷つけてしまうし、永遠に誰かと幸福を分かち合うこともできないのだ。そんな風に背筋を正される、素晴らしい展覧会だった。

「美」を言葉にすることーー大川美術館「コレクターの目」2024年3月23日

 ある一枚の絵を前にしてしばらく立ち止まり、食い入るように細部を見つめたり、逆に少し離れてぼんやりした目で全体を眺めたりしながら、ただ時間が過ぎていく。そうした刹那的で、それでいて限りなく充実した時間に抱いた自身の感慨を、言葉にすることはひどく難しい。僕の目は確かにその絵を見ていて、その絵と自分を繋ぐ線ーーそれは自分が絵に対して向ける視線、だけではなく、絵の方から自分に向けられる視線、でもあるーーの中で、なんらかの言葉が生起してくることを胸の内で感じてはいるのだが、それらは掴み取ろうとすると途端に形を変え、指の隙間から、するりとどこかへ逃げ出してしまう。あるいは、苦心して捕らえたと思った言葉を自分のものとして発した瞬間、その言葉は既に、自分が抱いた当初の感慨とは似ても似つかないものに成り変わっていたりする。感情とはそれぐらい、取り留めのないものだ。

 それでも僕らは何かに美を見出した時、それを誰かと共有したい、と強く願ってしまう。それは「他者にわかってもらいたい」という根源的な欲求でもあるし、自分の思いを言葉にしたり、その対象物を共に「見る」ことを通して、そこで抱いた自身の感慨を確かな、より強固なものにしたい、という願いでもある。「美」を他者と共有する、ということは、不安で先行きの見えない混迷の世の中に、自らの感情の支柱を打ち立てるための営為である、とも言えるかもしれない。たとえそれが実現不可能なことであるとしても、そう願って他者と何かを受け渡し合うことでしか、大袈裟に言えば、こんな時代で生きていくことはできない。


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 群馬県桐生市にある大川美術館に、大川栄ニ生誕100年記念「コレクターの目」を見に行った。何度も足を運んだことのある場所だが、季節外れの雪が舞う山中にひっそりと佇む美術館は、周囲の静けさと相俟ってより一層美しく感ぜられた。世界がどれだけ目まぐるしく変化しても、またそれに伴って自分自身がどれだけ変わってしまったとしても、この場所は、いつも変わらずここにある。ここに足を運ぶことができさえすれば、きっと大丈夫だ。そうした確かさへの安堵に心を満たされながら、僕は美術館の重い扉を開け、幸福な空間へと足を踏み入れた。

 それからの時間は、流れているはずの時間、すらも忘れてしまうほどに豊かなものだった。大川栄ニが生涯をかけて蒐集した数々の作品は、優劣をつけられないほど全てが、僕の胸を力強く打った。そこにある一つ一つの作品が、絶望も希望も、具象も抽象も、哲学もロマンも、この世の全ての概念を内包しているかのようで、僕はそれらを見ながら興奮したり、落ち込んだり、胸が熱くなったり、なんだか優しくなれたような気がしたり、逆に強い怒りを感じたり、と、とにかく様々な感情を抱いた。最初のワンフロアだけでそうした自分の感情の振幅に疲れ果ててしまい、一度休もうか、と階段を下りメインの展示室へ、痛んだ腰をさすりながら入室した瞬間、目の前に松本竣介の『街』があらわれ、僕はもはや卒倒寸前だった。

 当作は「暗黒の戦争時代を予知した」とも評されるほど暗く、陰鬱とした松本竣介の代表作だが、僕はその絵全体に描き付けられる青ーーと書いてみたところで、そうして安易に「青」と収斂させて表現することが躊躇われるほど複雑な、その色ーーに、かつてから並々ならぬ美しさを感じていた。これ以上に美しい色が、果たしてこの世には存在するのだろうか。大きく分厚い合板に半ば乱暴に描き付けられたその油彩の色は、全体が均一な色味であるようでいてその実、曖昧模糊として不鮮明だ。そこには「色」という概念を超えた全体としての力強さが確かにあり、そしてさらには絵とその前に立つ自分、という境界線すらも飛び越えて、果てには僕が生きるこの世界全体すらも内包するかのような、そんな強靭なパワーがある。僕はその絵の前に立っている、けれど僕はもう既にそこにはいない。僕と絵が存在する世界、ではなく、僕と世界が同時に絵の中に存在している、というか、「僕」と「絵」と「世界」と、言葉で割り当てることすら野暮に思えるほどに、ここには全てがある。そんなことを夢想した。

 無理やり頭を振って正気を取り戻し、少し近付いて細部を見てみると、無造作に引っ掻いた傷のように、多様な人々が大小様々に、遠近法も無視して散り散りに描き込まれている。かつてキュビズムピカソがそうであったように、美術においてなんらかの歪みやアシンメトリーといった安定性の無さは、混迷の時代の象徴として用いられる。若くして聴力を失った松本竣介だが、そうした中でも自身の他の器官の感覚から鋭敏に世界の混迷を「聴き」取り、ピカソやルオー、モディリアーニら戦中のヨーロッパの画家から学んだ技法を凝らしてこの作品に思いを託した、と、そんな風にも思える。それは端的に言って、素晴らしい成果だと思う。

 しかし、この絵から僕が受け取った至上の美しさは、そうした色彩の巧みさ、あるいは彼が果たした成果の素晴らしさ、という風に「端的に」表現され得ないものだった。というより、僕がそれを見て受け取った「何か」を、そうした言葉に押し込めて表現すること自体を、僕の中の僕が、強く拒んでいる。もっと違う言葉で、もっと適切なアプローチで、この絵の美しさを表現したい。けれど僕には、そのやり方が全くわからない。何もわからない自分に無力さを感じながら、わからないなりに今ここで、何かを書こう、書きたい、と、手を動かし続けている。

 当たり前のことだが、作品について何かを語る、ということは、その作品自体の本質とは全く異なる。どれだけ細密に言葉で表現したとしても、そこで得た感慨は絶対にそこでしか得られないものだし、その作品の力は、その作品以外のものでは置き換え不可能なものだ。科学が「再現可能性」に着目した分野であるとすれば、芸術はその「再現不可能性」にこそ価値を持っている、と僕は常々思っている。だからこうして、言葉にしてその絵の美しさを語ろう、と試みることは、そうした再現不可能な芸術を感受する姿勢とは相反しているようにも思える。それでも、どうしても言葉にしたい。この文章の最初に書いたことに即して言えば、言葉にすることで、僕は僕が感じた美しさを、この世界で確かなものにしたい。そうしたもどかしさが、展覧会を一通り見終えた今も、執拗に胸に残り続けている。

 言葉で何かを伝え合いたい、と思えば思うほど、言葉では何も伝え合うことができない、という絶望に思い至る。感情があって言葉があるのか、言葉があって感情があるのか。そうした根本的な論理については僕は言語学に明るくないため上手く説明できないけれど、そうした言語というものの不可能を自覚した瞬間に、感情を共有する、ということの尊さが立ち上がる、ような気がする。松本竣介の絵の色の美しさ、彼の仕事の素晴らしさ、をこうして言葉で表現しようと努めたところで、きっとそれはできない。けれどその「できない」ということを通して、やっと作品を本当の意味で「見る」、あるいは「見ることを他者に促す」ことができるようになるのだ、と思う。

 大川栄ニはきっと、そうしたもどかしさに真摯に向き合った末、自分が感じた美しさをそのままに他者と伝え合うために、この美術館を開いたのではないか、と、今となっては思う。作品を誰かと共有する幸福は、その作品を共に見る、ということを通してしか生まれ得ない。だからこそ、自身が蒐集した作品をこの場所に一挙に集め、沢山の人たちと幸福を分かち合う道を選んだのではないだろうか。

 展覧会のタイトル「コレクターの目」は、ここに足を運ぶまでは「大川栄ニの目」であったが、今となっては「僕と大川栄ニの目」になったと、確信を持って言える。これこそが、「美」を伝え合うことの幸福、なのかもしれない。疲れ果てた身体を、一般に開放されている閑静な館長室内のソファに預けながら、ぼんやりとそんなことを考えた。


***


 そうした筆舌に尽くしがたい、豊かな時間を過ごした後、美術館の外に出ると、雪はもうすっかり止んでいて、木々の向こうに澄んだ青空が見えた。これからまた、あたたかい季節がやってくる。美術館は変わらず、これからもこの美しい桐生の町に存在し続けるだろう。そう思えるだけで僕は幸福だった。そうした感慨を誰かと共有したくて、日記に言葉を尽くしたけれど、上手く伝わっているかはわからない。

 素晴らしい美術館なので、ぜひ一度足を運んでほしい。そしてそこで得た豊かな時間を、たとえ言葉にできないとしても、五感を通して語り合い続けよう。それさえできれば、僕らはきっとこれからも生きていける。

10分

 言葉が言葉を呼ぶように文章を書く、書いてみる、書いてみようと思う、そう思っている、今、何を書こうか、何を書くべきなのかわからない、今、今が過ぎていく、過ぎていく度に今が過去になる、だから過去になる前に今を繋ぎ止めようとする、掴み取ろうとする、けれど、掴み取ろうと思った所で今を全て掴み取ることはできない、そう諦めた瞬間に言葉にならない全てが、言葉にできなかった全てのこととして僕の胸に何らかの意味を与える、与えられる、与えてくれるのは誰だ、誰でも良い、僕が今、言葉にできなかった全てのことに何らかの意味を与えてくれる誰か、それは自分では無いことだけは確かにわかる、わかる、というのは本当にわかっていることなのか、わからない、わからないからこそ考える、わからないことを考えるということが考えていることになるのかもわからないままとりあえず考えているように考えるように何かを、書く、書く、フリック入力を止めないようにとにかく書く、書いているのではなく指を動かしているだけなのか、それすらもわからない、考える間もなく指を動かすことだけに意味がある、運動を続ける、止まってはいけない、走り続けることだけが生きていることだと歌っている誰かがいた、例えばもしそれが本当ならば、運動を続けなければいけない、けれど僕は今、眠りたい、深く、どこまでも深く、深い井戸の底で誰の声も、何の音も聞こえないような暗い場所で深く、深く眠りたい、そうしたい、何かをしたい、と思っていることが本当にやりたいことなのか、何かをしたいと思えること自体に価値があるのであれば何かをすること自体には別にさしたる意味もない、意味なんて何一つない人生を今、生きている内に、また今が今、過ぎていく、今が過去になる、過去になった言葉を見返す暇もなく今がどんどんフリック入力で刻まれていく、刻まれ続けている、本当に刻まれているのかわからないほどスマホの画面は鮮明すぎる、と思いながらも文字は文字としてここにある、フリック入力を覚えたのはいつ頃だったのか、もはや記憶がおぼつかない、けれど記憶がおぼつかなくたって僕はフリック入力ができる、というのはつまり、何かをわかることが運動を続けることなのではなく、何もわからなくたって運動を続けることはできる、と考えれば生きているうちに何一つわからなくたって生きていくことはできる、それでも、わかりたい、わかりたい、という欲求は僕が僕のために思っていることだ、と思っていたけれど実際はきっと違う、わかりたいのではなくてわかったことを誰かに伝えようともがいているだけだ、けれどきっと誰にも伝わらない、それでも声を出す、声を出せば聞こえるかもしれない、そう思って文章を書いている、わけではない、きっとそういうわけではない、僕はあなたに読んで欲しくて文章を書いている、というのは僕の欲求なのか、はたまた欲求にもならないような単なる運動に過ぎないのか、そこには考える余地なんてあるのか、考えることなんて本当にできるのか、わからない、けれどとにかくあなたに向かって何かを書くこの指のフリック入力を止めることは誰にもできない、僕にもできない、止まらない、止まりたい、それは「死にたい」ということでは決してない、僕は生きたい、そう信じている、けれど少しばかり疲れていて、ただ深く、眠りたい、眠りたい、と思ってきっとまた今日も眠りにつく、そうして朝が来て、世界が美しい朝の光に包まれて、またフリック入力で何かを書き続けて、書き続けた先に見える山かどうかもわからない山の頂に、そこで一番美しく咲く花のようなあなたが僕の言葉を読んでいると想像することさえできればきっと、僕はこうして何かを書き続ける意味がある、わけでは決してなく、ただそう願って書き続ける、生き続ける、ということだけがここにある、きっとある、あってほしい、と願う、それが本当に、僕がやりたいことなのだろうか。

 10分のタイマーが鳴る。

光と翳の夢

 暗闇の中に据えられた幾つもの街灯の光が、点ではなく一筋の線となって順繰りに、自身の後方へと流れていく。それを見て僕は「景色が流れている」、あるいは「時間が流れていく」という確かな実感を得るけれど、変わらずそこに在り続ける自分自身の息遣いの荒さによって、景色や時間そのものが流れているわけでは決してなく、自分自身が走っているのだ、ということに、不意に思い至る。

 何のために走っているのかわからない。けれど「走り続けている」ということだけは確かで、僕はその確かさの中にある「生きる意味」のようなものを見出すため、必死で目を凝らす。しかし、どれだけ目を凝らした所でそれは、自分の目ではっきりと捉えることはできない。それは形が無いのだ。形が無いものを、見ることはできない。それでも捉えることができないからこそ、それを捉えようと走り続けるーーつまり僕は、決して見ることができないものを見るために、ただ走り続けている、のかもしれない。

 そこに根本的な矛盾がある、ということに気付いてしまったら、僕はもうその時点で立ち止まり、二度と走り出すことができなくなるのではないか。そうした底知れぬ不安が時折僕を締め付けるが、その不安に侵蝕されることを拒むようにまた、走るスピードを上げる。自分の手と足を動かし、もがくように前へ前へと、そこが前とは限らないにせよ前だと信じて、とにかく走り続ける。そうすると少しだけ、そうした生きることの矛盾への底知れぬ不安が、自分の中で霧散していくのを感じる。しかしそれを感じたところで、立ち止まってはいけない。立ち止まってしまったら、また不安に追いつかれてしまう。そうして永遠に、どこにも辿り着くことのできない道の途上を、ただ走り続けている。

 ふと横に目を遣ると、林の間に埋もれるように存在するトタン屋根の小さな小屋の中に、幾つものキャンバスが煤にまみれて散乱しているのが目に入る。僕はそこで足を止め、月明かりに照らされたその小屋の中へとゆっくりと足を踏み入れる。薄闇の中で目を凝らすと、そこにはキャンバスだけでなく、砂にまみれて破れかけた紙や本、使い切った絵の具のチューブ、泥だらけのギター、といった様々な物が散乱しているのが見える。僕はそれらを足で雑に踏み分けながら、その山の一番上に置かれた大きなキャンバスを徐に手に取り、裏返してみる。そこにはスプレーペイントで何かが描かれているように見えるが、薄汚れていてもはや何が描かれているのか、判別もつかない。しかしそれは、紛れもなく過去の自分が描いたものだった。何が描かれているのかわからなくても、それを自分が描いたものだ、ということだけは、なんとなくわかる。僕はそのキャンバスを見つめながら、突如として奇妙な後ろめたさが、自分の胸に湧き上がるのを感じる。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえ始める。聞こえ始める、ということは、パトカーがこちらに近づいている、ということでもある。それに気付いた途端、僕の心臓の鼓動は急に激しくなり、僕はそこで、今ここにある全ての物を破り捨てなければ、という衝動に駆られる。別に、隠さなければいけない物などここには存在しない。それでも僕は、ここに散乱している僕が今までに作った全ての物を、この世界から跡形もなく消滅させなければ、という使命感に駆られ、まずは手に持っていた大きいキャンバスを力を込めて両手で切り裂き、木枠ごと粉々に打ち砕く。そして足元にあった幾つかの紙を拾い上げ、同じように散り散りに破り、丸めて小屋の奥の壁際に向かって、思い切り投げつける。

 しかしどれだけ急いでやった所で、パトカーのサイレンは僕の不安を急き立てるように、徐々にその音量を上げていく。こうしていても埒があかない。誰かから見つかる前に、もうこの小屋ごと燃やしてしまわなければ。僕は小屋から一度外に出て、ポケットに入っていたライターを取り出す。これさえあれば、僕が今までに作ってきた全ての物を、簡単に燃やし尽くすことができる。何もかも、無かったことにできるのだ。それが僕にとって、意味の無いこの世界を生きる、ただ一つの意味であるような気がした。僕は泥だらけの右手でその小さなライターに火を灯し、息を荒げて小屋に戻り、床に散在する数々の物に火を焚べようとする。

 と、そこで突然、後ろから現れた誰かによって右手を掴まれる。やめろ、と声がする。まだ早い、と別の声がする。それは自分の声だったのかもしれない。しかし明らかに自分の声質とは異なる二つの声が、自分の後方から確かに耳に響いていて、自分が力を込めている方向と逆向きに自分を引っ張る力が、確かにそこに存在していた。

 僕はそこで何故だか急に安堵し、握り締めたライターを手放し、その場に崩れ落ちる。そんな僕の姿を見て、背後にいる二人が笑っている声が聞こえる。僕は崩れ落ちたまま、後ろを振り返る。しかし月明かりの逆光によって、そこに立つ二人の表情を見て取ることはできない。それでも、二人は確かにそこにいて、ここにいる僕のことを見て笑っていた。それはなんだか途轍もなく、素晴らしいことのように思えた。僕はそこで、二人の笑い声に合わせるように、少しだけ笑ってみせた。


***


 昨日はバンドのメンバーと久々に酒を飲んだ。それから眠りに着いた後、先に書いたような夢を見た。曲を作ってみようかな、と思った。

雲ひとつない青空の向こうに

 二度寝から目覚めて、カーテンを開ける。あたたかく穏やかな光が室内に入り込み、僕はその光の中で、自分がいま夢と現実のあいだに立っていることを自覚し、いつまでも夢の中にいたい、という思いと、早く現実に戻らなければ、と焦る思いの両方に蓋をする。今日は待ちに待った休みだ。別にどちらに振り切る必要もない。毎週土曜日のゴミ回収の時刻はもう過ぎてしまったらしい。外は、雲ひとつない青空が広がっている。

 雲ひとつない青空の向こうに、それでもこの世界のどこかで、今も当たり前のように沢山の雲が存在していることに気付くことはできるのだろうか。自分が見えている世界の向こう側で、見えていない世界が確かに存在する、と気付くことはひどく難しい。それは僕らが常に、僕らが確かに見ることのできる、手触りを持った世界を媒介として物を考えているからだ。見えていない物のことは、考えられない。つまり、何かを考える自分にとって、見えていない物は、存在していないことと同義なのかもしれない。けれど、見えていない物を見ようとする、あるいは、見えていない物が「見えていない」ということに気付くことさえできれば、自分が見えている世界はゆっくりと可能性に向かって開かれ、広がり始めていく。

 ピカソの絵がどうして美しいのか。それを考えている内に既に、僕らは想像力に向かって歩き始めている。ピカソの絵は、その絵がただそこにあるから美しいのではなく、僕らがその絵を見て、想像力に向かって歩き始めることの中にこそ、美しさは存在する。歩き始めたところで、どこにも辿り着くことはできない。想像力にはきっと、際限が無い。それでもただ歩く、という行為の中に、美しさを感じることができれば、僕らはもっと豊かになれるのだ、と思う。

 森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を聴く。生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ、と森山直太朗は歌っている。死にたくないから生きているのだ、とずっと思っていた。けれど、死ぬために生きているのだ、と思えた方が、生きていることはより豊かなのかもしれない。あるいはもしかすると、生きていることこそ死んでいることで、死んでいることこそ生きていること、なのかもしれない。「正しさ」なんてない。「真理」なんてものはどこにも存在しない。僕はただ、そのあいだに目を凝らしたい。目を凝らす必要などなくても、じっと目を凝らし続けたい。

 雲ひとつない青空の下で、降り頻る雨のような思いを抱えている僕に、数々の言葉が、傘を差し出してくれる。風邪をひいていないことをありがたく思う。今日もどこかに出掛けて、僕の見えていない世界の断片を、自分の目で見に行くことができるのだ。それができる限り、僕らはまだきっと、大丈夫だ。

「現実を超えた現実」と出会い続けるために

 現実以上の手触りを持った現実がここにある。

 濱口竜介の『ハッピーアワー』『親密さ』といった初期の作品群を観た時に抱いたのは、無理に言葉にしようとすればそんな感慨だった。無駄な説明は排され、登場人物たちが「ただそこに存在している」ことが、スクリーンを通して眼前に立ち現れ続ける。当たり前のことだが自分はその映像を「見ている」だけであって、そこで描かれている世界は、自分が実人生として生きている世界とは別のものだ。それは疑いようもないにせよ、優れた映画作品を見ていると、「映画の世界に入り込む」「登場人物の心情に共感する」といった短絡的な表現では事足りぬ、どこか「現実を超えた現実」に映画を通して立ち会っているような、奇妙な感覚を覚えることがある。

 映画という言語を用いて何を描き得るのか。それは恐らく映画を撮る人間にとって逃れることのできない最大の命題で、きっと他の形式の表現者においても同じことだ。言葉を用いて「言葉では表現できない何か」を生み出そうとするのが小説家で、絵画を用いて「絵画では表現できない何か」を生み出そうとするのが画家である、と僕は思う。映画に関して言えば、カメラを通して切り取る世界を通じて、切り取られた現実を超えた何か、を生み出そうとするのが映画作家である、と言えるだろうか。もちろんそれは作家自身の努力だけで叶えられることでは無く、受け取り手がそれを汲み取ろうとする姿勢、あるいは安直な答えを求めず、不明瞭なまま何かを見続ける忍耐力を持ち続けなければ、果たされないことだ。その関係性の中にこそ作品が生まれる、のであれば、作家の語りがどれだけ優れていても、受け取り手にその度量が無ければ作品の持つ力は瓦解してしまう。優れた作品が世に送り出されるためには、作家の能力が優れていることと同時に、それを観る人たちそれぞれが、優れた受け取り手である必要があるのだ、と少なからず思う。

 近年、そうした相互の関係性に限界を感じているのか、過度に説明的な作品があまりに多くなってきたように思う。登場人物がそこで何を思い、どんな行動を取ったか。あるいは過去にどんな事件があって、それが現在にどんな影響を及ぼしているのか。そうした因果関係を明確にしなければ、短絡的に答えだけを求める受け取り手は納得しない。だからこそ安易な内心語の描写に走ったり、過去の回想シーンをこれでもかと多用するような作品が、どんどんと増えてきたように思う。

 確かに「納得+共感=感動」という単純な図式だけが作品の価値とされる時代に、受け取り手の度量を信じて作品を生み出し続けることは、並大抵の努力で果たすことはできないだろう。第一、お金にならない。映画を撮るためにはお金がかかるし、作品として世に送り出す以上、多数の観客に劇場に足を運んでもらう必要がある。だから作品に「わかりやすさ」が求められる昨今の風潮は、止むを得ないことなのかもしれない。しかし受け取り手としては、そうした世の流れに対して少なからず淋しさや、苛立ちを感じてしまうのも事実だ。わからないのであれば、わからないなりにこちらが考えたい。現実世界を生きていてもわからないことが沢山あるのに、そう簡単に何もかもがわかってしまう映画の、何が面白いのだろうか。そうした不満と鬱憤が積み重なり、自分を満たしてくれる作品との出会いを求める日々が続いていた。

 杉田協士監督の『彼方のうた』は、そうした「現実を超えた現実」を映画の中に生み出すことを愚直に追い求め、観客を信じ続けた、稀有な作品だったように思う。

 冒頭からラストまで、会話は少なく、強調的な音楽も流れない。主人公含め、登場人物の誰もが何を考えているのか、説明的な描写はほとんど無い。こうしたらああするだろう、という行動原理が通用する箇所もほとんど無く、それらを演者の表情から読み取ることもできない。また物語構造的なストーリーもあまり感じられず、ただ幾つかの謎がそれを観る自分の内に生起しただけで、その謎が伏線として回収されることもなく、奇妙な浮遊感を抱えさせられたまま、物語は終わりへと向かっていく。

 目の前で繰り広げられているこれは、一体何なのか。自分は今、何を目撃しているのだろうか。それでも理由もわからない深い悲しみや、人生に対する諦念のようなものが、目の前の人物や風景を通して自分の中にゆっくりと芽生え始めているのを感じながら、エンドロールが終わり、映画館の照明が灯り出した瞬間にハッと気付く。そうか、自分は今、映画を観ていたのだ、と。

 「こんな映画を観たことがない」と興奮気味に電話をかけてきた友人のことを不意に思い出す。映画を観た今、僕も全く同じことを思っている。誰かにこの感動を伝えたい、と思い、こうして文章を書き始めたは良いが、しかしこの感慨を、どのように言葉にしたら良いのか、今もって判然としていない。この映画はこの映画としてしか存在していなくて、他のどのような言語で説明しようとしても、それはなんだか無意味なことのように思える。それがきっと、この映画の素晴らしい所なのだ、と思う。先に書いた表現に即して言えば、この映画には、映画として描かれる現実を超えた、より手触りを持った現実があった。

 どのようにしてこんな未曾有の作品を作り得たのか、その真髄を知りたくて仕方ない気持ちになり、僕はそれから監督のインタビュー記事やパンフレット内の文章を読み漁った。しかしそこでも、制作過程のことはあまり詳らかにはされていなかった。ただ監督の話を読み進めている内に、監督自身があまり明確に、物語の答えを持って作っていない、ということだけはなんとなくわかった。この映画を作り始めたのも、本当に日常の些細な出来事がきっかけだったらしい。ある人物の訃報に触れ、またその流れで偶然、映画内でも用いられているモーリス・ラヴェルピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴き、そこから物語が想起された、とのことだが、それもきっと無理やり因果関係に押し込めた、単純化された説明に過ぎない。こうやったからこういう作品ができる、ということなどない。それはこの作品が、身をもって体現していることのように思う。作品は「作品」としてただそこにあり、それはどんな説明や、理由付けにも置き換えられないものだ。きっと杉田監督の中で生まれた色々な思いが、色々な体験を通じて、この作品に結実したのだろう。そうやって大雑把に解釈することしかできない。

 だとすれば、ここで僕がこの映画について何かを語ることにも、きっと意味は無い。そしてこの作品を、誰かに薦める方法も思いつかない。本当に、観なければ、何もわからないのだ。そんな映画が、今の日本で撮られ続けることはきっと難しい。けれどそれを愚直に続けることこそが、映画を含めた芸術作品にとって一番大切なことなのだと思うし、だからこそ、この不条理な現実の中で芸術作品が必要とされる所以なのだ、と僕は今強く思う。

 そうした希望を抱かせてくれたこの作品に、僕は深い敬意を示したい。また、この作品を薦めてくれた友人に感謝したい。コマーシャリズムや効率性に偏った現実を生きていても、まだ、そうした現実を超えた現実に出会う可能性が残されているのだ。そしてそれを力強く追い求めている人たちが、まだ沢山いるのだ。そうした種を絶やさず、「現実を超えた現実」とこれからも出会い続けるために、自分には一体、何ができるのだろうか。

 杉田協士監督が「ひとつの歌」という作品を撮るきっかけになったという、東直子さんの短歌作品を、最後に引用したい。

 

またいつか はるかかなたですれちがう 誰かの歌を 僕が歌った