開かれた救いへの道ーー濱口竜介『悪は存在しない』2024年5月5日

 悪は存在しない。とは言え、善は存在する、と信じたい。ある概念を指し示す言葉が、その対義語によって相互補完的に初めて意味を成すのだとすれば、「悪」の存在を否定することは「善」の存在を否定することにも繋がる。そうした矛盾について考え始めるとどこまでも際限の無い袋小路に迷い込んでしまい、手触りや実感の無い、まるで「宇宙」のような無限の世界を想像しているようで、不意に目眩がしてくる。

 しかしそうした、片方をもう片方が支えている、と考えること、あるいはそのバランスに目を凝らすことこそが、自分に生の実感をもたらしてくれる、ということも、これまでの人生を通してなんとなくわかってきた。苦しんだ仕事の後に飲む酒はやっぱり美味いし、嫌いな上司にもきっと、家に帰ったら愛し愛される家族が居る。一人暮らしの気儘さに身を委ねながらも、自由とは結局拘束の中にあるのだ、と実感するような場面も増えてきた。だからこそ、人は生きている中でそうした矛盾に否応無くぶつかるのだと思うし、もしかするとそれは「ぶつかる」ということではなく「開かれる」ということなのかもしれない。そう、僕が先に書いた「袋小路」は、こうした矛盾だらけの世界においては見方を変えれば、他でも無く、唯一の開かれた救いへの道、でもあるかもしれないのだ。

 濱口竜介監督の『悪は存在しない』は、そうした善悪の矛盾が存在する世界を執拗に描きながら、それを「執拗に描く」ということを通して、開かれた世界を観る者に信じさせる、素晴らしい映画だった、と思う。衝撃のラストシーンについて、観る者はそれがどういう結末だったのか、考えざるを得ない。しかしその答えをはっきりと理解することは、きっとこの映画を何度見たとしてもできないだろう。それはこの映画が、観る者にとっての開かれた救いへの道であるために必要なことなのだと思う。だからこそ僕は、その救いへの道を辿るためにも繰り返しこの映画を観て、何度でも善悪の袋小路に迷い込みたい。