20230625-20230701

2023年6月25日(日)

 初めて東京タワーをふもとから眺めた。すごく高いな、と思ったけれど、それと同時に、なんだか別にそんなに高くもないような気もした。東京タワーが高いのは当たり前のことで、だからこそそれよりも、東京タワーがそんなに高くない、と少しだけ思った自分の心のありようの方に興味が沸いた。

 当たり前のことを当たり前に思わないように注意しながら生きていると、いろいろなことを素直に受け止めることが難しくなってしまったような気がする。それが心の豊かさに繋がると信じていたけれど、逆にそうやって「当たり前を疑う」姿勢を持ちすぎると、何かを真っすぐに見つめることもできなくなってしまうのかもしれない。それが少しだけ怖かった。

 

2023年6月26日(月)

 仕事に行った。何も書く気が起こらなかった。

 

2023年6月27日(火)

 仕事に行った。なんだか疲れてしまった。

 

2023年6月28日(水)

 仕事に行った。家に帰ってから歌をうたった。

 

2023年6月29日(木)

 仕事に行った。決して日記とは言えないような日記を書いた。

 どこに向かっているのかわからないけれど確実に僕の魂は移動し続けていて、それが何らかの流れに乗っているものだとすれば、逆行することが自分にとって正しいことなのか、間違っていることなのか、それすらもわからなくなってしまった。

 帰り道に車の中から空を眺めていたら、雲の上で雷が光っていた。けれどまったく音は聞こえなかった。雷の音、と僕が思っているものは、雷自身の音では無くて、雷が何かに当たった時に鳴る音なのだ、という、ごく単純なことを思った。

 何かが何かであるためには、その何かとは別の何かが必要なのだ。僕が僕であるために、僕はこの世界で、何を必要としているのだろうか。

 

2023年6月30日(金)

 仕事に行った。

 夜は少し車で遠出をして、風呂とサウナに行った。大学生や高校生の数がびっくりするほど多くて、騒がしい笑い声の中で肩を狭めながら入浴した。それでも気持ちは良かったし、みんな幸せそうで何より、と思えるぐらいには心が落ち着いている、ということに気が付けてよかった。金曜日だからかもしれない。

 

2023年7月1日(土)

 木更津まで行って買い物をした。

 どれだけ服を買っても何かが足りない気がして、延々に服を買い続けてしまう。そろそろ控えなければ、と思うけれど、僕はきっと「服を買う」という行為自体が好きなのだ。だから全然やめられないし、本当の所はやめようとすら思っていない。

 そろそろ先のことを見据えて生きて行かなければ、とここ数ヶ月の間、身につまされるように思い続けている。それは年齢が起因しているのかもしれないが、ある程度今の生活が落ち着いた、というか、一人で生きることの難儀さと気楽さの両方を少なからず経験できた、という実感があるからなのかもしれない。きっとまだ何も知らない、とは思うけれど、いつまで経っても何も知ることはできない、とも思うから、そろそろここから移動しなければ、と繋留された船の上で思案しているような感覚がある。でも、どこへ向かえば良いのだろうか? それはわからない、けれど、そろそろ港に繋がれた網を自分の力で解かなければいけないような気が、少しだけしている。