20231126-20231202

2023年11月26日(日)

 朝起きて部屋の掃除をし、それから車に乗って埼玉まで行った。今日も一人で過ごすことが決まっていたから、何をしようか考えあぐねていたけれど、もう都心の人混みは御免だった。どこか人気の無い、静かな場所に行ってゆっくりと本が読みたい。そんな時、僕は大体埼玉県にある図書館に行く。

 道中は、Audibleで村田沙耶香の『コンビニ人間』を聴いた。ずっと読まなければ、と思いながらも何となく手が出せずにいたが、素晴らしい作品だった。小野正嗣の解説によれば、この作品は他国で翻訳され、国際的にもかなりヒットしているらしい。作品に触れて、その意味がよくわかる。この作品は「コンビニ人間」という稀有な存在を描きながら、その稀有さ故に、人間の普遍的なあり方を的確に描き出している。僕ら人間は誰しもが〇〇人間であり、その「〇〇」の部分は、どれだけ社会的に見放されようと、誰からも理解されなくても常に心の内に在り続ける。そしてそれを守ろうと努めることや、それを信じ抜くことこそが、生きている、ということなのではないだろうか。僕はこの作品のように、自分が大切にしている物や事を、もっと大切にしよう、と鼓舞してくれる作品が大好きだ。

 

 目的地に着いた時、図書館が薄暗くて嫌な予感がした。近くのコンビニに停車してスマホで調べると、臨時休館中、とある。静かな絶望に胸を揺さぶられながら、地図で近くの別の図書館に狙いを定め、30分ぐらいかけて向かった。無事に図書館に行くことができ、しばらくそこで持参したイ・チャンドンの小説を読み、それからまた車で別の小説をAudibleで聴きながら、ゆっくりと帰路に着いた。

 僕は「文学人間だ」と自信を持って言えるほど文学に素養があるわけではない。けれど、それでも「文学人間だ」と思いたいほど、文学が好きであることは確かだ。僕は文学が無ければ、きっと生きていくことはできない。いや、別に文学が無くても、生きていくことはできたのかもしれない。他にも好きなことはたくさんある。それでも文学に出会ってしまったから、文学が無い人生などあり得ない、と今、思っている。その出会いは必然だったのか、偶然に過ぎないのか、僕にはよくわからない。それでもコンビニ人間の主人公が、何の気無しに偶然コンビニのバイトを始め、それが生きる意味や希望となってしまったように、僕にとっては文学や芸術が、気付いたら生きる意味や希望になってしまった、という事実は今、ここにある。

 知らない方が良かったのかもしれない。出会わない方が幸せだったのかもしれない。それでも知ってしまった以上、そのために生きる以外に方法が無いのだ。今日という一日は、なんとなく、そんな一日だった。

 

2023年11月27日(月)

 仕事に行った。

 家に帰ってきて少しだけ歌をうたい、風呂に入ることも夕飯を食べることも、押入れから加湿器を出すこともエアコンのフィルターを掃除することもほったらかして、歌をうたうのは気持ち良いなあ、と呑気に思っていたらもうこんな時間で、いい加減動かなければ、と思いながらソファにだらりと横たわった状態で、スマホを開き、こうして日記を書き始めてしまった。

 「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」があって、その二つがしっかりと区別できている状態の時は過ごしやすく、生きやすい。けれどそれらがないまぜになり、やりたいことがやらなきゃいけないことになり、やらなきゃいけないことがやりたいことになり、どっちがどっちなのかわからなくなってしまうともう大変だ。生きていくのは難しい。日々仕事に追われ、疲れ果てて家に帰ってくると、そんなことばかりをぐだぐだと考えてしまう。

 くるりの「ばらの花」を久々に聴いた。「雨降りの朝で 今日も会えないや なんとなく でも少しほっとして 飲み干したジンジャーエール 気が抜けて」という冒頭の歌詞は、言葉で説明できないくらいに美しい。今日も会えない、そのことが悲しいのに、なぜか少しほっとしてしまう。そうして語り手はジンジャーエールを飲み干し、炭酸が抜けるようにして、気が抜けていく。悲しさと愛しさ、物と心、といった相反するように思える概念がこの歌詞の中では全てがごっちゃになっていて、そこには一切の境目が無い。このAメロに、なんだか人生の全てが詰まっているような気がする。

 やりたいこととやらなきゃいけないことの間に、本当に境目があるのだろうか。僕の見えている世界と、見えていない世界の間に、本当に境目があるのだろうか。会いたい、という気持ちと、会いたくない、という気持ちの間に、本当に境目があるのだろうか。

 そんなことを性懲りもなく考えてしまう僕らに、歌は優しく語りかけてくれる。全てを悟ったような途方もない包容力で、複雑な僕らを力強く抱き締めてくれる。そんな言葉を、僕も書きたい。そう強く願いながら、その前に早くソファから身を起こし、「やらなきゃいけない」ことをやらなきゃいけない、ということも、頭ではちゃんとわかっている。

 

2023年11月28日(火)

 仕事に行った。明日のことしか考えられなかった。

 

2023年11月29日(水)

 朝から仕事に行った、けれど、やらなければいけない仕事も放ったらかし、午後休を取って早く上がった。今日は、代官山で大好きな作家・堀江敏幸さんのトークイベントがあるのだ。うだうだしている暇はない。

 代官山に着いたのは15時頃で、19時から始まるイベントまではかなり時間があった。コーヒーを飲んで一息つき、それから蔦屋書店の中を意味もなく、ヘッドホンで何かを聴くこともなく縦横無尽に歩き回った。頭の中ではぐるぐると、大好きな作家に伝えたい言葉や、できるかもわからない質問の数々が駆け回っていた。そうして眺める幾多の本の背表紙はなぜかのっぺりとしていて、掴みどころがなく、僕はとりあえず手に取ったフランス語の教則本と、名も知らない珈琲店の豆をレジに持って行き、購入した。

 こうして持て余す時間を潰したり、何も聴かずに取り留めのないことを考える時間を過ごすのはいつぶりだろうか。思えば近頃、常に時間に追われ、隙間を埋めるように何かをして過ごすことばかりだった。スマホを見れば際限の無い情報が目に飛び込んできて、それらを愛おしく思う暇もなく、掴み取ろうとする自分を嘲笑うかのように、無情に流れ続けていく。そうした忙しない日々を送る自分にとって、大好きな作家に会うまでを本屋で過ごす数時間はあまりにも長く、退屈ではあった。しかしそれでいて言いようもなく贅沢で、幸福な時間だった。

 さすがに足が疲れ果て、もう身動きが取れない、と思いながらベンチに座り、今日のテーマになっている本の頁を開くと、不思議なことにあっという間に時間は過ぎていった。気付けばもう開場時間になっていて、少し遅れてしまったことを悔やみながらイベント会場に入ると、なぜか最前列の端の席だけがぽっかりと空いていて、僕はそこに腰を下ろした。

 そこでしばらく待っていると、イベントの注意事項を告げるアナウンスが入った。その話に依れば、今日は時間が許す限り、堀江さんに直接質問を投げ掛けることができるらしい。僕は数時間考え続けた質問の数々を思い直し、もし機会があればこの質問をしよう、と一つの問いに射程を定めた。今日はオンラインチケットを購入すればアーカイブ配信を聴くことができるらしく、自分にとって宝物になるであろうその対話を見返すためにチケットを買おうか、何度も迷ったが、本当に質問ができるかどうかもわからないし、そしてできたとしても極度の緊張により、取り返しのつかない失態を犯すかもしれない。そうした記憶がアーカイブ配信という、克明な記録として残ってしまうことが、僕にはすごく怖かった。だから散々悩んだ挙句オンラインチケットを買うことは諦め、今、目の前で起きることを鮮明に自分の記憶に留めよう、という強い気概を持ち得たところで、待ちに待ったイベントが始まった。

 堀江さんは大きな拍手を浴びながらもおずおずと、これ以上ないほどの低姿勢で壇上に上がり、それからゆっくりと語り始めた。マイクと口の距離は遠く、こちらが積極的に「聴き取ろう」と努めなければ聴こえないような小さな声だった。しかし、そのような声であるからこそ聴こえる声、というものがある。僕自身もよく他人から「小さい声だ」と言われるが、しかしそうしたか細い声でしか語ることのできない「何か」がきっとあるはずで、そうした「弱さの中にいることの強さ」を信じさせてくれたのは、他でもなく目の前に座っている堀江さんだった。だからこそ僕は、静かに、穏やかな口調で語る堀江さんの声に耳を傾け、その言葉に宿る細部を汲み取ろう、と努め続けた。堀江さんはこの本が生まれるに至った経緯から丁寧に話を始め、そこから話は脱線し、しかし脱線したように思えてそれが本筋だった、というような話を蛇行運転のように語り続けた。僕は話の筋を見定めよう、と努めながらも、尻尾を掴ませないように身を翻し続ける堀江さんの話に途中から身を委ね、揺蕩うようにして時間は過ぎて行った。

 そうした険しくも、幸福な時間はあっという間に終わりを迎え、ついに質問の時間がやって来た。僕は一番乗りに手を挙げることを躊躇い、周囲を窺っていると、一人の参加者が意気揚々と手を挙げ、まるで酒場にいるようなテンションで堀江さんと話をし始めた。僕はそれを聞いてなんとなく緊張の糸が解け、その後すぐに手を挙げ、僕の元にマイクが回って来た。

 僕が尋ねたのは、堀江さんの今回の著作『中継地にて』に収められていた、古井由吉追悼の文章についてだった。そこで堀江さんは、古井由吉から「文学にもまだまだ役割がある」ということを伝えられ、その言葉から「後進への励まし」を得た、ということを書いていた。僕はこの文章を読み、どうしたものか「後進」という言葉が強く胸に残った。「後進」とは、字の通り「後ろを進む」、先人たちから後押しされて進んでいく、といった意味があり、この文章では恐らくそのように使われているが、僕にとってはそれだけでなく、過去を振り返り、後ろに進んでいくことや、あるいは「先進」という言葉の対義語として、周囲の発展に関わらずそこに留まり続けること、牛歩のようにゆっくりと進むこと、といった多義的な意味が込められているのではないか、と思った。そのことをか細く頼りない、震えた声で堀江さんに伝え、その言葉に込められた思いについて尋ねた。

 質問を伝えられた、という安堵からか、堀江さんが僕の質問に対してなんと答えたか、正直あまり覚えていない。しかし、「後進」という言葉が正しかったのか、今でも迷っている、ということと、その古井さんの言葉が自分だけに向けられたものではない、と言っていたことだけは、日記を書いている今も、鮮明に記憶に蘇る。文学は誰か特定の個人に向けられたものではなく、社会に向けて開かれたものだ。だから自分は、タイトルにもある「中継地」として、その言葉を中継して、誰かに受け渡していく必要があるのではないか、と。

 

 幸福な時間はあっという間に過ぎ去り、本にサインをもらって、夜の代官山の闇に放り出された。僕はその時、言いようもない孤独と、理由もわからない絶望に襲われた。過ぎてしまった時間と、そこで交わされた取り返しのつかない会話。アーカイブ配信は結局予約していないから、堀江さんが僕に語りかけてくれた言葉を、落ち着いて振り返ることもできない。しかしそうした孤独と絶望の中に、仄かに光り輝く、一筋のあたたかさがあることにも気付いた。

 僕はこうして日記を書くことで、僕の中に生まれた言葉を通して、あの時間を形にすることができるかもしれない。アーカイブ配信、という画面上ではなく、僕の中に記憶として生起されたものを、文章にすることができるかもしれない。堀江さんが自分に語りかけてくれた言葉は、しかし堀江さんが古井由吉の言葉について言っていたことと同じように、決して僕だけに向けて語られた言葉ではない。だとすれば、僕は僕自身が「中継地」として、誰かにその言葉を繋ぐことができるかもしれない。

 そんなことを夢想しながら、帰り道に日記を書いた。疲れ果てた身体で電車を降りた駅のホームで、遠くから夜の踏切の音が聴こえた気がした。今日、僕が受け取った「後進への励まし」は、果たして現実のものだろうか。あるいはそれは、幻聴に過ぎないのだろうか。わからないけれど、今は書き続けるしかない。そんな思いで家に辿り着き、最後まで日記を書いた。

 

2023年11月30日(木)

 仕事に行った。忙しすぎた。帰り道にくるりの「ハイウェイ」を流しながら車を運転している時だけ、人間になれたような気がした。

 

2023年12月1日(金)

 仕事に行った。

 疲れてしまったのは、心なのか、身体なのか、どちらなのかわからない。けれど心は身体であり、身体は心である。だからきっと、どちらも疲れている。ああ、疲れた。

 

2023年12月2日(土)

 昨日の夜は妙に身体が火照って寝付けず、朝起きると熱が出ていた。喉も痛くて、頭痛がした。これはやってしまったな、と思い病院に行って検査をしたが、流行病はいずれも陰性だった。とりあえず大量の食料品をコンビニで買い込み、温かくして一日寝て過ごした。今日は千葉県立美術館に行って、大好きな作家の講演に行く予定だったのに。散々な週末だ。

 「良いことと悪いことは、実際、どちらの方が多いんだろう?」と連れ合いに尋ねると、それは気の持ちようじゃないかな、と言っていた。その通りだ。良いことも悪いことも100%ではなく、いつもどちらかがどちらかを補完し合って成り立っている。僕は今日千葉県に行くことはできなかったが、もしかすると道中で交通事故に遭っていたかもしれない(そんなことを想像してもキリがないが)し、それに比べたら風邪を引いてしまったことなどほんの些細なことだ。これが更なる絶望を防ぐための何かだったのだ、と信じることができれば、少しだけ気が楽になる。

 しばらく温かくして寝込んでいたら、Tシャツの色が変わるほどの量の汗をかいていた。身体が軽くなったような気がして、再度熱を測ると、かなり熱が下がっていた。最近は少し疲れ過ぎていたし、身体の中に溜まった膿を排出するような時間を必要としていたのかもしれない。それから身体を洗い服を着替え、汗だくになったシーツを取り替えて、もう一度布団の中に潜り込んだ。それから無理やり、心すらも入れ替えるように、今日の日記を書いた。