「美」を言葉にすることーー大川美術館「コレクターの目」2024年3月23日

 ある一枚の絵を前にしてしばらく立ち止まり、食い入るように細部を見つめたり、逆に少し離れてぼんやりした目で全体を眺めたりしながら、ただ時間が過ぎていく。そうした刹那的で、それでいて限りなく充実した時間に抱いた自身の感慨を、言葉にすることはひどく難しい。僕の目は確かにその絵を見ていて、その絵と自分を繋ぐ線ーーそれは自分が絵に対して向ける視線、だけではなく、絵の方から自分に向けられる視線、でもあるーーの中で、なんらかの言葉が生起してくることを胸の内で感じてはいるのだが、それらは掴み取ろうとすると途端に形を変え、指の隙間から、するりとどこかへ逃げ出してしまう。あるいは、苦心して捕らえたと思った言葉を自分のものとして発した瞬間、その言葉は既に、自分が抱いた当初の感慨とは似ても似つかないものに成り変わっていたりする。感情とはそれぐらい、取り留めのないものだ。

 それでも僕らは何かに美を見出した時、それを誰かと共有したい、と強く願ってしまう。それは「他者にわかってもらいたい」という根源的な欲求でもあるし、自分の思いを言葉にしたり、その対象物を共に「見る」ことを通して、そこで抱いた自身の感慨を確かな、より強固なものにしたい、という願いでもある。「美」を他者と共有する、ということは、不安で先行きの見えない混迷の世の中に、自らの感情の支柱を打ち立てるための営為である、とも言えるかもしれない。たとえそれが実現不可能なことであるとしても、そう願って他者と何かを受け渡し合うことでしか、大袈裟に言えば、こんな時代で生きていくことはできない。


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 群馬県桐生市にある大川美術館に、大川栄ニ生誕100年記念「コレクターの目」を見に行った。何度も足を運んだことのある場所だが、季節外れの雪が舞う山中にひっそりと佇む美術館は、周囲の静けさと相俟ってより一層美しく感ぜられた。世界がどれだけ目まぐるしく変化しても、またそれに伴って自分自身がどれだけ変わってしまったとしても、この場所は、いつも変わらずここにある。ここに足を運ぶことができさえすれば、きっと大丈夫だ。そうした確かさへの安堵に心を満たされながら、僕は美術館の重い扉を開け、幸福な空間へと足を踏み入れた。

 それからの時間は、流れているはずの時間、すらも忘れてしまうほどに豊かなものだった。大川栄ニが生涯をかけて蒐集した数々の作品は、優劣をつけられないほど全てが、僕の胸を力強く打った。そこにある一つ一つの作品が、絶望も希望も、具象も抽象も、哲学もロマンも、この世の全ての概念を内包しているかのようで、僕はそれらを見ながら興奮したり、落ち込んだり、胸が熱くなったり、なんだか優しくなれたような気がしたり、逆に強い怒りを感じたり、と、とにかく様々な感情を抱いた。最初のワンフロアだけでそうした自分の感情の振幅に疲れ果ててしまい、一度休もうか、と階段を下りメインの展示室へ、痛んだ腰をさすりながら入室した瞬間、目の前に松本竣介の『街』があらわれ、僕はもはや卒倒寸前だった。

 当作は「暗黒の戦争時代を予知した」とも評されるほど暗く、陰鬱とした松本竣介の代表作だが、僕はその絵全体に描き付けられる青ーーと書いてみたところで、そうして安易に「青」と収斂させて表現することが躊躇われるほど複雑な、その色ーーに、かつてから並々ならぬ美しさを感じていた。これ以上に美しい色が、果たしてこの世には存在するのだろうか。大きく分厚い合板に半ば乱暴に描き付けられたその油彩の色は、全体が均一な色味であるようでいてその実、曖昧模糊として不鮮明だ。そこには「色」という概念を超えた全体としての力強さが確かにあり、そしてさらには絵とその前に立つ自分、という境界線すらも飛び越えて、果てには僕が生きるこの世界全体すらも内包するかのような、そんな強靭なパワーがある。僕はその絵の前に立っている、けれど僕はもう既にそこにはいない。僕と絵が存在する世界、ではなく、僕と世界が同時に絵の中に存在している、というか、「僕」と「絵」と「世界」と、言葉で割り当てることすら野暮に思えるほどに、ここには全てがある。そんなことを夢想した。

 無理やり頭を振って正気を取り戻し、少し近付いて細部を見てみると、無造作に引っ掻いた傷のように、多様な人々が大小様々に、遠近法も無視して散り散りに描き込まれている。かつてキュビズムピカソがそうであったように、美術においてなんらかの歪みやアシンメトリーといった安定性の無さは、混迷の時代の象徴として用いられる。若くして聴力を失った松本竣介だが、そうした中でも自身の他の器官の感覚から鋭敏に世界の混迷を「聴き」取り、ピカソやルオー、モディリアーニら戦中のヨーロッパの画家から学んだ技法を凝らしてこの作品に思いを託した、と、そんな風にも思える。それは端的に言って、素晴らしい成果だと思う。

 しかし、この絵から僕が受け取った至上の美しさは、そうした色彩の巧みさ、あるいは彼が果たした成果の素晴らしさ、という風に「端的に」表現され得ないものだった。というより、僕がそれを見て受け取った「何か」を、そうした言葉に押し込めて表現すること自体を、僕の中の僕が、強く拒んでいる。もっと違う言葉で、もっと適切なアプローチで、この絵の美しさを表現したい。けれど僕には、そのやり方が全くわからない。何もわからない自分に無力さを感じながら、わからないなりに今ここで、何かを書こう、書きたい、と、手を動かし続けている。

 当たり前のことだが、作品について何かを語る、ということは、その作品自体の本質とは全く異なる。どれだけ細密に言葉で表現したとしても、そこで得た感慨は絶対にそこでしか得られないものだし、その作品の力は、その作品以外のものでは置き換え不可能なものだ。科学が「再現可能性」に着目した分野であるとすれば、芸術はその「再現不可能性」にこそ価値を持っている、と僕は常々思っている。だからこうして、言葉にしてその絵の美しさを語ろう、と試みることは、そうした再現不可能な芸術を感受する姿勢とは相反しているようにも思える。それでも、どうしても言葉にしたい。この文章の最初に書いたことに即して言えば、言葉にすることで、僕は僕が感じた美しさを、この世界で確かなものにしたい。そうしたもどかしさが、展覧会を一通り見終えた今も、執拗に胸に残り続けている。

 言葉で何かを伝え合いたい、と思えば思うほど、言葉では何も伝え合うことができない、という絶望に思い至る。感情があって言葉があるのか、言葉があって感情があるのか。そうした根本的な論理については僕は言語学に明るくないため上手く説明できないけれど、そうした言語というものの不可能を自覚した瞬間に、感情を共有する、ということの尊さが立ち上がる、ような気がする。松本竣介の絵の色の美しさ、彼の仕事の素晴らしさ、をこうして言葉で表現しようと努めたところで、きっとそれはできない。けれどその「できない」ということを通して、やっと作品を本当の意味で「見る」、あるいは「見ることを他者に促す」ことができるようになるのだ、と思う。

 大川栄ニはきっと、そうしたもどかしさに真摯に向き合った末、自分が感じた美しさをそのままに他者と伝え合うために、この美術館を開いたのではないか、と、今となっては思う。作品を誰かと共有する幸福は、その作品を共に見る、ということを通してしか生まれ得ない。だからこそ、自身が蒐集した作品をこの場所に一挙に集め、沢山の人たちと幸福を分かち合う道を選んだのではないだろうか。

 展覧会のタイトル「コレクターの目」は、ここに足を運ぶまでは「大川栄ニの目」であったが、今となっては「僕と大川栄ニの目」になったと、確信を持って言える。これこそが、「美」を伝え合うことの幸福、なのかもしれない。疲れ果てた身体を、一般に開放されている閑静な館長室内のソファに預けながら、ぼんやりとそんなことを考えた。


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 そうした筆舌に尽くしがたい、豊かな時間を過ごした後、美術館の外に出ると、雪はもうすっかり止んでいて、木々の向こうに澄んだ青空が見えた。これからまた、あたたかい季節がやってくる。美術館は変わらず、これからもこの美しい桐生の町に存在し続けるだろう。そう思えるだけで僕は幸福だった。そうした感慨を誰かと共有したくて、日記に言葉を尽くしたけれど、上手く伝わっているかはわからない。

 素晴らしい美術館なので、ぜひ一度足を運んでほしい。そしてそこで得た豊かな時間を、たとえ言葉にできないとしても、五感を通して語り合い続けよう。それさえできれば、僕らはきっとこれからも生きていける。