20230129-20230204

2023年1月29日(日)

 久々に会う友人と朝から竹橋で落ち合って、東京国立近代美術館大竹伸朗展を見に行った。朝の早い時間にも関わらず会場には老若男女多くの来場者がいて、その視線の先には、500点にものぼる大竹伸朗が積み重ねてきた創作の数々があった。厚く塗り込まれた色彩画、数多の瞬間を記録した写真、経験と記憶の全てが詰め込まれた大きな小屋、日記のようにほぼ毎日何かを貼り続けているという、途轍もない数のスクラップブック。全ての作品が心を尽くし、精緻に作り込まれているにも関わらず、その数は一つ一つを丁寧に見ていくことが不可能なほどに多い。その途方もないエネルギーに満ちた作品群を見ていく内に僕は、大竹伸朗がもし本当に一人であるとするならば、自分とは違う時間軸で動く世界に生きているのではないか、という思いに囚われていった。どれだけ時間やお金の余裕があったとしても、これだけの作品を限られた時間の中で生み出すことは不可能に思える。僕はどうしても大竹伸朗が犠牲にしてきた数々の時間や体験について考えてしまうが、それを想像しても余りあるほど、目の前に広がる作品群からは大竹伸朗にとっての「楽しさ」が溢れ出していた。もちろん創作の上で苦難の瞬間は多々あるはずだが、それにしてもきっと「何かを作る」という行為が、大竹伸朗にとっては楽しくて仕方ないのだろう。芸術家の役目として、社会の動向を敏感に察知し、それに対して作品を通して何かしらの働きかけをする、ということが取り沙汰されがちな世の中だが、大竹伸朗のようにとにかく自身の創作意欲と向き合い、作業を楽しみながら全身全霊で日々何かを生み出し続けることこそが、個人と社会の垣根を越えた大きなエネルギーとなって、社会を動かすことに繋がるのかもしれない。少なくとも僕にとっては、このタイミングでこの展覧会に出会えたことが、今後の人生の大きな財産になることは疑いようもなかった。ミュージアムショップで迷い無く購入した大判な図録を、これからも定期的に見返したいと思った。

 昼食を食べて学芸大学駅に移動し、デザイン書や写真集を専門として取り扱う書店・BOOK AND SONSに行って、写真家・小見山峻の写真展「call, overhaul, and roll」を見た。これもまた素晴らしい展示だった。バイクのハンドルにつけた安物の方位磁針を頼りに札幌までバイクで向かった旅の道中で撮られたという写真の数々からは、写真家が心を動かされたあらゆる瞬間が鮮明に記録されていて、それらを見ているだけで僕は、束の間日本中を旅しているような気持ちになった。僕は写真を撮ることが苦手だ。景色を見ていて「美しい」と思っても、その美しさを写真で再現したり、あるいはさらなる価値のある何かに昇華したりすることが、どうしてもできない。経験や技術の不足はもちろんあるとは思うが、素晴らしい写真を撮る人と、僕のような人間の間には、何か越えられない大きな壁があるような気がして仕方がない。誰でも写真を撮ることができる世の中だが、見る者の心に響く写真を撮ることは、誰にでもできることではない。一緒に行った友人は昨年、Instagramに毎日素晴らしい写真を投稿し続けた写真家で、彼は書店のスタッフに写真を撮っても良いか律儀に確認したのち、2階の展示会場をカメラを片手に様々な角度から見つめ、シャッターを切っていた。僕は楽しそうに写真を撮る彼の後ろ姿を、羨ましい気持ちで見つめていた。

 喫茶店に移動してコーヒーとケーキを頼むと、待っている間に友人が誕生日プレゼントをくれた。すごく嬉しかったけれど、友人と会うことが久々すぎて、その気持ちをうまく伝えられたかどうかわからない。本当の気持ちは、いつもうまく伝えることができない。先に書いたような時間を共に過ごすことができた友人と、互いに元気でまた会いたい、と思った。

 

2023年1月30日(月)

 今日はいつもより早起きをして、朝から洗濯をした。それは電気代が思っていた以上に高額になっていたことに一昨日気が付き、絶句したからだ。その絶句から少しばかり立ち直り、大きな要因と思われる浴室乾燥にかけていた電力を節約するため、ベランダに洗濯物を干そうと一念発起し、今日は自分の怠惰と戦うべく早起きをしたのだった。戦に向かうような面持ちで洗濯物を抱えてベランダに出ると、冬の朝の冷気によって、さっきまで抱いていたはずの僕の燃え上がる闘争心は一瞬にして冷まされてしまった。それでも震える手で洗濯物を干し終え、室内でしばらく毛布にくるまることで戦いを終えた自身の身を慰め、重い腰を上げて仕事に向かった。

 

 三苫がヤバい。日本時間の深夜に行われたプレミアリーグFAカップ4回戦、前回王者のリヴァプール戦で、後半ロスタイムに信じられない逆転ゴールを決めていたことを、僕は昼食を食べに出かけた職場近くの定食屋のテレビで流されているのを見て知った。流されていた映像では一部しか見ることができず、僕は高揚感を必死で抑えながら午後の業務をこなし、定時を過ぎたタイミングで車に駆け込み、食い入るようにハイライト映像を見た。ゴール前にふわりと上げられたボールをアウトサイドで華麗に収め、カメラマンも騙されるほどの見事なシュートフェイントで相手を交わす。その後もう一人の相手とのタイミングを上手くずらし、ボールが落ち切る前に右足のアウトサイドでボールをゴールに突き刺した。芸術的ゴール、という表現がよく為されるが、それがプレーの質の高さと思慮深さ、経験と知性の集積のことを意味するのだとすれば、それは間違いなく芸術的なゴールだった。ほんの数秒の間に行われたそのスリータッチには一つたりとも無駄が無く、相手だけでなく見る者全ての意表を突くような見事なボール捌きは数多の芸術作品と同じように、それを見る僕の心を強く打った。全世界で最も人気が高いとされるプレミアリーグの大舞台でスーパーゴールを決めた三笘の名前は、日本やヨーロッパだけでなく世界中のサッカーファンの注目を集めている、と報道されていた。

 僕はこうして映像を見て「三苫がヤバい」と思ったことを、何らかの形で誰かに共有したくて仕方がない気持ちになってここに書いたのだが、これについて考えてみると意外と奥が深い。きっとTwitterをやっている人は、僕のように「三苫がヤバい」と思ったら、すぐさまタイムライン上にツイートを投稿するだろう。というか、僕がもし今でもTwitterをやっていたら、「三苫がヤバい」と呟いたことだろう。行き場のない感情を誰かと共有することで自分の気持ちの折り合いをつけたい、と願うことは普通のことだと思うが、正直僕がこうした感情になることはあまり無い。僕は高校時代から周りに半ば流されるようにTwitterを始めて、最初は日常の雑感を定期的に投稿していたが、何かツイートをしようと思うたびに、自分の中の何かがそれを強く押し留めてしまう居心地の悪さを強く感じていた。それはもちろん、僕のツイートを見て誰かがそれについて考え込んでしまったり、誰かを傷つけたりすることが怖かった、という気持ちも少なからずはあったが、別に僕は自分にそうした他者への想像力があると主張したいわけではなくて、それ以上に自意識が過剰すぎたことが原因だと思う。何か呟きを投稿するたびに、その言葉から抜け落ちてしまった微妙なニュアンスを説明できないことが、たまらなく悔しかった。というか、そうした複雑な感情を持っているということを誰にも伝えられず、極限まで省略した言葉の一端を見て周囲の友人に自分の感情を切り取られてしまうことが、怖くて仕方なかった。それは自尊心とも、プライドとも言える。当時から少なからず「何かしらの表現者になりたい」という将来の希望を持ち合わせていたこともあって、僕は自分の言葉がネット上に放られ、それを見て自分の浅薄さが詰られてしまうことは自分の存在が否定されてしまうことと同義のようにも思えた。だからと言って140文字に自分の感情を上手く収め、表現するための努力をしたわけでもなく、そうした時間はただただ徒労に思え、僕はTwitterをやめて、こうして定期的にブログを更新するようになった。

 もちろん僕の感情や言葉を共有できる対象の数は、Twitterをやっていた時より確実に減ってしまったように思うが、僕はここでこうして文字数を気にせず、自分の抱いた感情を一つ一つ確かめるように書き殴ることが自分の性に合っているような気がする。そしてそうすることで、自分の中の自意識を、書くことの疲労感によって納得させることができているのも確かだ。自分の感情を不特定多数の他者に伝えることは、Twitterという便利なツールができた今でも、何かしら労力が必要なことなのだと思う。誰かが言っていたが、どれだけ新幹線でスピーディーに移動ができる世の中でも、かつて移動に何日もかけ、徒歩で行脚していた故人達が感じていたような疲労感が、身体的な苦痛や時間的な長さとは別の形で、確実に存在しているのではないだろうか。文明の利器によって無いものとされている疲労感を、確かな手触りを持って実感することは、やはりそれに対して全力で労力をかけることでしか叶わない。それができて初めて、文明の利器の有無に依らず、自分の力で何かを果たすことができた、と自信を持って言えるのでは無いだろうか。

 それでも僕は「三苫がヤバい」ということをツイートしたかった。感情が抑えきれなくなった僕はバンドメンバーとのラインを開き、「三苫がヤバい」と呟いた。そうしたらすぐに、熊谷から「深夜に叫んだわ」と返答があった。彼は彼なりに、平日の深夜に起きて試合を観るという労力を費やすことで、自分の高揚感と実感の折り合いをつけていたのかもしれない。僕も何かしらの実感を得るための労力を、これからも惜しみなく人生に賭して生きていきたい。それにしても、とにかく三苫はヤバかった。

 

2023年1月31日(火)

 家で仕事をして、その後に3月に出す新曲のレコーディングをした。2時間以上ずっと歌っていた。持てる体力は使い果たした。今日はもうそれしか書くことがない。これ以上書いたら嘘になる。

 

 今日で1ヶ月。

 

2023年2月1日(水)

 いつもより少しだけ早く起きて、YouTube平野啓一郎の「文学は何の役に立つのか?」の講演を聞きながら仕事に行く支度をした。もう4回目ぐらいだろうか。家を出てからも車の中で聞き続けて、ちょうど聞き終わったタイミングで職場の駐車場に着いた。

 僕は「文学は何の役に立つのか?」という問いについて真剣に考えたことがない。というか、文学が役に立つ、あるいは文学には価値があるものだ、ということは僕の中ではずっと自明の真実で、「なぜ夕飯を食べるのか?」とか、「なぜ睡眠を取るのか?」ということと同じぐらいそれについて考える必要が無く、毎日するわけではないにせよ本を読むことは生きていく上で必要不可欠な営為だ、と小さい頃から信じ続けていた。けれどもちろん、それが万人にとって当たり前のことではないということも、これまでの人生で色々な人たちと出会い、関係を結ぶたびに痛いほど理解してきたつもりだ。「読書好き」ということが暗く内向的なイメージとして受け取られることも、それがファッションのように扱われ、「気取っている」と揶揄される世界に生きていることも。もちろんそれは否定しないし、そうした揶揄が怖くて、身を置くコミュニティによってはそうした主張をしないように努めることも数年前までは幾度もあった。けれど数々の読書体験を通して、僕は逆にそうした揶揄に対して不安定になってしまう自分の支えとなる核のようなものを、文学の中に見出だしてきた。そうした意味でも、僕にとって文学は「確実に必要なこと」だった。だからこそ、聴衆に向かって文学の価値を勇敢に語った平野啓一郎のように、僕は僕なりのやり方で、「文学が必要だ」ということを強く主張し続けていきたい。

 

 昨日で、毎日日記を書き始めてから一ヶ月が経った。もう一ヶ月か、という気もするし、まだ一ヶ月か、という気もする。当初は仕事で忙しくしながらこれをずっと続けることは不可能なような気がしていたが、意外と平日の疲れ果てた夜でも書くことはある。というか、書き始めると書きたいことがどんどん見つかって楽しくなってくる。けれど実際、毎日仕事とそれに付随する諸々で12時間ぐらいかけているとして、それ以外にも家事をこなし、余った1〜2時間をこの日記を書く時間に充てていると考えると結構無理があるような気がしているのも事実で、本を読んだり、映画を観たりする量も減ってしまった気がする。そして何より、何も考えずにのんびりと過ごす時間が極限まで切り詰められている。そこまでしてこの日記を書き続ける必要は、別にない。けれどそれ以上に、「仕事とそれに付随する諸々で12時間ぐらいかけている」という事実の方が受け入れ難く、僕はその事実に抗うように毎日これだけ時間をかけて日記を書いているような気も、少なからずしている。僕は限られた人生の時間の中で、何にどれだけ時間をかければ良いのか、真剣に考えなければいけないのかもしれない。

 シンクには洗い物が溜まっていて、玄関には部屋干しした洗濯物が2、3日放置されている。ベッドには脱ぎ捨てた洋服が散乱していて、それ以上に僕の頭の中は、いくつもの言葉や思いで渦巻き、散らかりまくっている。時計を見るともうすぐ23時、明日も早起きだ。僕は、好きな人と電話がしたい。

 

2023年2月2日(木)

 仕事に行った。今日はひどく疲れた。昨日も疲れていたし、一昨日も疲れていた。きっと明日も疲れるのだろう。

 今日は早く寝て、明日は早く起きよう。そして起きたら真っ先に窓を全開にして、冬の澄んだ早朝の空気を胸いっぱいに吸い込もう。そうしたら、少しだけ前向きになれるかもしれない。

 

2023年2月3日(金)

 仕事に行った。残業のせいで夜に予定していたバンドのミーティングが延期になった。残業代を得た代わりに、創作にかける時間が明確に失われた。つまりは、「創作をしない」ことで、金を稼いだ。色んなことを度外視して単純に言い換えれば、創作をしたい時間を削ること=仕事になってしまった。なんだか哲学すぎて、僕にはそれがどういうことかわからない。良いことなのか、悪いことなのかもわからない。

 


 朝は早起きして洗濯物を干した。家に帰ってベランダに出て洗濯物を取り込んでみたものの、空が曇っていたからかまだ全然濡れていた。エアコンの近くに洗濯物を並べて干して、風呂に入ってご飯を食べたらあっという間にそれらは乾いていた。別に最初から外に干す必要はなかったのかもしれない。それでも今日、早起きをして冬の朝の空気を感じながら洗濯物を干す時間は、僕にとって疑いようもなく楽しい時間だった。当初の目的と、それから得られる喜びは全然別のものだった。なんだか哲学すぎて、僕にはそれがどういうことかわからない。良いことなのか、悪いことなのかもわからない。

 


 ハヌマーンの「幸福のしっぽ」を聴いた。僕はこの歌が好きだが、この歌を聴くとどうしようもなく悲しい気持ちになる。その歌が好きだからといって、それを聴いて前向きになったり、明るい気持ちになるとは限らない。「その歌を聴きたい」という感情はある意味では自傷的な欲求で、傷つけられることによる快感を少なからず得ているような気もするし、逆にそうした歌を聴くことで、自分の鬱屈した感情が言葉に昇華され、確かな手触りとともに安心感をもたらしてくれるような気もする。なんだか哲学すぎて、僕にはそれがどういうことかわからない。良いことなのか、悪いことなのかもわからない。

 


 良いことなのか、悪いことなのかわからないことがこの世界にはたくさんあって、それらをこうして書き連ねてみたところでどこにも答えは見つからない。それでも僕はここでこうして何かを書き続けることで、あるいはそうして書かれた誰かの言葉を読んだり聴いたりすることで、良いことなのか悪いことなのかわからないことばかりの曖昧な世界を、確かなものとして受け入れることができる。あるいは世界がそうした曖昧さによって支えられていると気付くことで、僕らは様々な角度から物事を見つめる誰かの視点に気付き、人に対して、あるいは自分に対しても優しくなれるのかもしれない。白と黒では決められない世界だからこそ、数多の色によって世界は彩られているのだし、そうした色彩の一つ一つを見つめ、愛することもできるはずだ。


 僕にとって地球は青くないが、「地球は青かった」とかつてガガーリンが言ったように、僕は僕の目に見える世界のことを、僕なりの言葉で発信し続けたい。そしてそれが、少しでも誰かの世界を彩ることに繋がっていると信じて。

 

2023年2月4日(土)

 上野の森美術館に行って、「兵馬俑と古代中国」展を見た。会場は気安く呼吸することすら躊躇われるほどの大混雑で、老若男女様々な客が古代の陵墓から出土された品々を物珍しそうに眺めていた。想像すら叶わないほど遠い昔に使われていた品々を今の自分が見ている、という時間的な倒錯と、兵馬俑に納められていた夥しい数の人形に勝るとも劣らない客足の数で、僕は眩暈がしそうだった。始皇帝の命によって心血を注ぎ、自らの命も顧みずに仕えた当時の兵士たちが、数千年後に異国の地でこのような展覧会が開かれていると知ったら、どんな気持ちになるのだろうか。

 結局僕らは、いつまで経っても先に何が起きるかわからない。数時間後、数分後、もっと言えば数秒後には突然自分の魂が跡形もなく消えているかもしれないし、そう考えると自分が今目にしている世界はひどく脆いもののように思えてくる。けれど、今まで自分が生きてきた過去の時間から類推しても想像もつかないほど長い年月を通してこの地球上に存在し続けてきたそれらの物たちを見ていると、それらに生命があるかは別として、それを作った誰かの魂は、今なお生き続けているように思える。用途をもって作られた壺や鼎、実際に扱われた武器や金銭、意匠を凝らした像の数々。それらは何千年も先に生きる我々にとって、もはや必要不可欠な物ではなくなってしまった。食事は使い捨ての容器包装があれば事足りるし、金銭も電子マネー、部屋に物を置かない「ミニマリスト」が流行っている世の中だ。けれどこうした今の時流に乗っかって生き抜いた後、また数千年後に歴史を見返した時、そこには何一つ、「この時間が存在していた」証が残っていないのではないだろうか。それは懐古趣味やアンチデジタルな気質とは違う、何か僕にとって確かな実感を伴った疑問だった。

 僕もそろそろ、こうしてネット上のブログに何かを書きつけるのではなく、石にナイフで文字を彫るような行為を日課とした方が良いのかもしれない。別に実際にそうする必要があるとは思わないけれど、ネットの海に放たれ、上滑りしていくような言葉に日々悩まされている僕らにとって、当時の人たちが遺していった品々から学ぶべきことは沢山あるような気がする。どんなに時間が経過しても壊れない何かを作るということは、並大抵のことではないのだ。それは決して物だけにとどまらず、発する言葉や、何かに向き合う姿勢といった意味においても。