20230507-20230513

2023年5月7日(日)

 僕は幸せというものがよくわからない。自分が幸せになりたい、のかどうなのかもよくわからない。不幸の美しさ、みたいなものに変に囚われ続けながら生きてきたけれど、不幸に美しさを感じた時点で、それがいつの間にか幸せにすり替わったりする。というか、何が言いたいのかというと、幸せと不幸せがいつも同じぐらいの分量で拮抗していて、それに対して悩んでいるぐらいの状態が、いちばん健全であるような気がする。だから「幸せだ」と胸を張って言える状態が一番幸せである、とは到底思えないのである。SNS上で誰かの「幸せ」の発信を見るたびにそうやって思ってしまう。どうしてこんなにひねくれてしまったのだろうか。

 僕が幸せである瞬間のことを考えてみた。それは好きな人と会っている時間だったり、本を読んだり映画を見ている時間だったり、ぐっすりと眠っている時間、だったりする。けれどそうやって考えれば考えるほど、自分が幸せだ、ということは、その瞬間には意識できない場合が多い。ああ、幸せだったなあ、という、後から追想するような実感はあるが、そう意識した瞬間にはもう「幸せ」はここにはなくて、過ぎ去ってしまった幸せを記憶の中で確かめているような感じがある。

 そう考えると、幸せとはきっと、「幸せだ」と認識するその瞬間のことではなくて、幸せだ、と感じる隙もなく流れていく時間の中にこそ隠れているのかもしれない。だとすれば、もしかしたら今自分は、幸せなのかもしれない。よくわからないけれど、よくわからないぐらいでちょうど良い。ということなのかもしれない。

 もうちょっとポジティブに生きてみようかしら。そんな連休最終日。

2023年5月8日(月)

 仕事に行った。定時過ぎに上がることができて嬉しかった。嬉しい気持ちになることは嬉しい、から、これからも早く上がろう、と思った。

 昨日から、町田康が朗読した宇治拾遺物語の「瘤取り爺」をずっと聴いている。これがとにかく面白い。宇治拾遺物語ができたのは鎌倉時代、1200年代とされているが、状況や環境こそ変われど、人間のくだらなさの本質はきっとずっと変わらないのだ。何かに悩んでいる人の姿は、案外面白い。そしてその悩みが切実であればあるほど、客観的に見れば腹を抱えるほど面白い。それはなんだか情けないような気がするけれど、ある意味では救いでもあるような気がする。

 僕らはいつも、幸福になりたくてもがいている。けれどもがけばもがくほど、幸福は残酷なほどに遠ざかっていく。それが常なのであれば、時にはそれらを笑い飛ばすような楽観も必要だ。そうしないと、あまりに息苦しい。

 そしてそうした自分自身の実感とともに、自分が何かを作ろうと思った時、そうした「笑い飛ばす」あるいは「笑い飛ばされる」ような受け取られ方を許容する自分の度量みたいなものが必要なような気もしてくる。そしてそれが今の自分にとって、なんだかものすごく大事なことのような気がするのだ。

 僕はこうして毎日、読めば読むほど悲観的で、どうしようもなく暗い日記を書いているけれど、これも俯瞰で見れば面白い。というか、阿呆らしい。毎日仕事であくせく働いて、それが終わって家に帰り、家事などを済ませた後に真剣な顔をして長ったらしい日記を書いて、その一文一文で落ち込んだり悩んだりして、全部書き終わった後に絶望したように眠る。そしたら朝が来てまたつまらない一日が始まることに絶望して、やりたくもない仕事に真剣に取り組んで、帰ったらまたその悩みを文章に起こし、その日に起きたいろいろなことを反省したりして、気付いたら時間が無くなっていることにまた絶望して眠る。どう考えても絶望しすぎだし、飛んで火に入る夏の虫、というか、自分から馬鹿みたいに辛い方へ、辛い方へと向かっている姿は、阿呆以外の何者でもない。阿呆は笑われるけれど、笑われたくない、みたいな変な自尊心があるせいで、笑われることを意図的に避けるようにしてちょっと達観したように何かを書いているきらいがある。と、そこまで考えてみるとその変な自尊心すらも面白くなってくるが、とか書いたりしてしまうことは自分が笑われないように身構えているだけで、そうした自尊心をひた隠しにしようとしている時点で僕の文章はきっと面白くならない。元よりこうして日記を書くこと自体が恥晒しなのだから、その中で恥を隠そうとしていてはいつまで経ってもこの文章が存在する意味は生まれないのではないか。そして先に書いたように、「幸福はいつも残酷に遠ざかっていくものだ」とみんなが当たり前のようにわかっているのだから、その絶望をそのまま書いたところで何一つ救いが生まれる余地は無いように思う。

 僕は昨日、「幸せというものがよくわからない」という日記を書いたけれど、そんなことを冒頭に書いた日記をネット上で全世界に公開している阿呆が他にどこにいるのだろうか、と、今は思う。けれど昨日はとにかく真剣に、一行一行に悩みながら書いたのだ。悩みながら書いたものを笑われることは怖い、けれど、笑われることこそ文章の本質だ、という気も、今となってはなんとなくしている。

 自分で自分の文章に対して反省し続けるようにこうして書いていたら、なんだか急に太宰が読みたくなった。「笑われて、笑われて、つよくなる」のであれば、明日も僕は、阿呆みたいに悩みながら、ここでこうして日記を書きたい。

 

2023年5月9日(火)

 仕事に行った。夜は保坂和志「小説の誕生」を読んだ。


2023年5月10日(水)

 仕事に行った。僕はいつも平日に日記を書き始める時に、「仕事に行った」という言葉から書き始めるけれど、それはなんとなく「仕事をした」というよりは、「仕事に行った」という言葉で書き記した方が適切な表現であるような気がするからだ。「仕事に行く」ことは誰にでもできるけれど、「仕事をする」ことは誰にでもできることではない。毎日仕事に行っているけれど、僕にしかできない何かをした、という実感は、残念ながらそこには無い。頭で理解していなかった微妙な真実が、こうして言葉にすることで浮き彫りになることがある。これだから日記を書くことはやめられない。


 保坂和志「小説の誕生」を今日も読み続けていて、その中でゴダールのこんな言葉が引用されていた。

 

 ものごとを見さえすればいい…ものごとを見なければならない、そして見たことについて語ってはならない、ものごとを見、見ることの中にとどまらなければならない。


 僕はこの言葉の中に全てが書かれているような気がするけれど、この言葉がどうして全てのように思うのか、ということについてここで語ることは、ゴダールのこの言葉の意図に反する。

 それでも何かを「語りたい」と思うから毎日日記を書き続けているわけで、僕はいつもこうして文章を書きながら、自分の中に生まれた何かを「自分の中に生まれた何か」として放置するのではなく、何かしらの意味に昇華したい欲望に従って言葉を書き連ねている。その果てに何か意味が生まれたような気がする、という実感が得られた夜はぐっすり眠れたりするが、ただ言葉を書き連ねただけだった、と思った日には不貞腐れて塞いでしまったりもする。けれどゴダールのこうした言葉に触れると、「何かが生まれた実感を得る」ということよりも、「ただ言葉を書き連ねる」という行為の集積の方にこそ、何かしらの意味があるような気がしてくる。いや、意味など無くても良い。ゴダールに言わせれば、ただそうしてい「さえすればいい」ということなのだろう。

 言葉をただ書き連ねていく行為にとどまる、ということについて考える時に思い浮かぶのは、僕が本屋に行く時に得る感慨だ。僕は本屋に行くことが好きだ。それを人に告げると、「本を買うことが好きなんだね」とか「本を読むことが好きなんだね」と言われるし、もちろんそうした気持ちも多分にあるけれど、それよりもどこか「本屋に行く」という行為自体を求めているような実感がある。それなりに家の近くに大きい書店もあるし、良い古本屋もあるけれど、都心の方までわざわざ出掛けて行って、数多ある本屋から見つけ出した素晴らしい本屋に電車に揺られて向かう、あるいは好きな音楽をカーステレオで流しながら、車で長い距離を走って向かう、という過程、それ自体に魅力を感じる。もっと言えば、その本屋を「見つける」あるいは「探す」という行為の時点でかなりの高揚感があって、最終的に本屋に行って何かを買って帰る時にその本屋の紙袋が良かったりすると、またそれにも幸福感を感じる。そしてそれを部屋の本棚に並べて背表紙を眺めたり、その本を持って街に出掛け、その本が一番似合う喫茶店を見つけて本を片手に、美味いコーヒーをすする、そしてそのことを日記に書いてしまう、みたいな所やもっと先の未来にまで波及して、楽しみが連続し続けていく。そうした全てが「本屋に行く」という行為の中には含まれていて、その全体を、自分の五感や全身を使って楽しんでいる。

 それは「本を読む」あるいは「本を買う」ということだけに拘泥していては決して生まれ得ない楽しみだ。もちろん初めにあるのは、「本を読みたい」「本を買いたい」という衝動なのだけれど、実際の楽しみはそうした部分だけでは無く、他のあらゆる行為の中に等しい分量で広がっている。それはきっと何かを書くということにおいても同様だ。何かを書こう、とするのではなく、「書く」という行為の内にとどまり続けること。そこに無限の広がりがあって、それこそがゴダールの言わんとしていたことなのではないだろうか。だとすれば別に、何かを書くことができた、書くことの先に何かしらの未来や、希望があった、なんていう実感も、本当は必要無いのかもしれない。


 そうやって考えていくと、僕が今日「仕事に行った」ということは、「仕事をした」ということよりも、もしかしたら価値があることなのかもしれない。そんな戯言を吐き出すだけの日記に、果たして何らかの価値はあるのだろうか。どっちでも良いか。明日は休みだ。

2023年5月11日(木)

 仕事に行かなかった。朝から洗濯をして部屋の掃除をした。その間、ずっと町田康がかつて出演していたラジオ番組の音声を聴いていた。

 

メモ:わからないことには4種類ある。
①わかるからわかる
②わからないからわからない
③わかるけどわからない
④わからないけどわかる

・上記の④が詩であり、文学である。
・本を読む、あるいは文章を書くという行為は、わからない森の中を突き進む行為で、その中には自分の生の実感がある。そこにこそ危険な面白さがあり、無限の広がりがある。

 僕は上記のメモに書いたようなことをなんとなく「わかった」ような気がした。それはまさしく、わからないけれどわかる、理屈ではわからないけれど感情ではわかる、という体験だった。

 何だか今日一日、ずっとこんなことを考え続けていたような気がする。こうして日々、「わからないけどわかる」という体験を求めて、これからも生き続けていくのかもしれない。僕は今日、何を果たしたのかよくわからない。具体的な成果と言えるものは何一つ無い一日だった。けれど確かに「今日一日を生きた実感」は残っていて、もしかしたらそれだけで良いのかもしれない、と思ったりした。

 

2023年5月12日(金)

 仕事に行った。

 道中で、andymoriの「1984」をずっと聴いていた。僕はこの歌の歌い出しが好きだ。

 

5限が終わるのを待ってた わけもわからないまま

椅子取りゲームへの手続はまるで永遠のようなんだ

 

 昨日書いた町田康の話に即して言えば、この歌詞の意味を理屈で「わかる」ということには意味がない。けれど、この歌詞の意味を「わかろうとする」という思考の中に、その歌詞が自分の中で無限の広がりを持つための契機が眠っている。

 5限が終わるのを待っていたあの頃、僕はどうして5限が終わるのを待っていたか、ということを、本当の意味でわかっていただろうか。どことなく周囲の熱狂に流されるように生きていて、5限が終わったら椅子取りゲームのような人間関係の覇権争いに急いだ。誰かよりも優れていたくて、わけもわからずにがむしゃらに生きていた。そうした営為は今も続いていて、そうした社会や世間の中での自分の立ち位置を問う逡巡は、それこそ死ぬまで、永遠に続いていくように思えてしまう。

 そうした営為をどことなく俯瞰したように見つめる先の歌を聴きながら、こうした体験を通して、僕らは優しくなれるのかもしれない、と思った。誰かに対して優しくいることは難しい、けれど、自分が抱く逡巡に対してそうした優しい目を向けることを通して、もしかしたら、それが誰かに対して優しくなるための道を切り拓くのかもしれない。

2023年5月13日(土)

 昼から駒込まで出掛けて、ギャラリー「ときの忘れもの」に「倉俣史朗の本とポスター」展を見に行った。倉俣史朗の絵は優しい。けれどその優しさの中に、限りなく深い絶望が感じられたのは、僕だけだったろうか。細い線で書かれた絵の中には、人が作った「物」に向けられた倉俣史朗の温かい視線と同時に、そうした「物」の不安定さ、危うさが描かれているような気がした。恒常的に安定していることなどあり得ない。物はいつか、壊れてしまう。そうした諦念と向き合いながら、だからこそ敢えて「不安定」を描くことで、彼はそれを見る人たちに、そうした「物」に対する愛着や憧憬を取り戻させるように仕向けていたのだろうか。実際の意図はわからない。けれど僕が「そう感じた」ということは、きっとそういうことなのだ。

 夜はAnalogfishのライブを見に行った。世界で一番好きなバンドの演奏を目の前で目撃しながら、ビールを飲み、スピーカーから大音量で響き渡る音に全身を委ねていたら、僕はなんだか全てがどうでも良くなった。というか、「これで良いのだ」と思った。大好きな音楽があって、大好きな人がいて、大好きなビールがあれば、もう本当にそれだけで良いのだ。

 解けてしまった思考の糸を自分で無理やり複雑に絡ませるように、帰り道に本を読んだ。けれど内容は何一つ入ってこなかった。元々頑なになってしまった思考の糸を解くために本を読んでいるのだから、それは当たり前だった。僕は本を閉じ、窓の外に広がる暗闇に目を凝らした。けれどそこには何も見えず、窓に映る自分の顔だけが見えて、なんだかその深刻な顔が滑稽で少しだけ笑った。
 僕が僕を見て、こうして笑えるようになったのは、きっと愛する人たちのおかげだ。だからこれからも、愛し続けていたい、と思った。