20231029-20231104

2023年10月29日(日)

 久々に会う友人と、大学時代を共に過ごしたキャンパスで落ち合った。

 友人は少しだけ、前に会った時よりも大人びて見えた。気のせいだろうか。きっと彼にも、彼なりの苦労があるのだろう、と思って、なんとなく、僕にも僕なりの苦労があるのだろうか、と不覚にも考えさせられた。それから暫く会話をして、神保町に電車で移動した。

 僅か数分の間で、数ヶ月の出来事を手短かに話した。彼は転職をして、こちらに引っ越して来ていた。そこにはきっと様々な思いがあって、沢山の苦悩があったのだ、と思う。それが短い会話をしただけでも、なんとなくわかった、というか、手触りを持って感じることができたのは、彼が僕と同じように日々の雑感をNoteに書き留めていて、それを時々、僕も読んでいたからだと思う。そこで交わした会話より、僕にとっては彼の文章を読んでいる時間の方が長かったし、彼も僕の日記を時々読んでくれているらしかったから、彼にとっても同じことだったのかもしれない。それは不思議な感覚だったけれど、なんだかとても、尊いことのように感じた。

 神保町に着くと既に古本市は始まっていて、朝から書物を愛する沢山の同志たちがそこに集っていた。古本屋の前の歩道に机や棚が積み重ねられ、溢れんばかりの本が並んでいる景色は、何度見ても壮観だ。僕と友人はそこで暫く、獲物を狙う猟師のような、あるいは、広大な砂漠で水源を求めて彷徨うはぐれ者のような目つきで、そこにある数多の本の背表紙を睨み続けた。時間、なんていうものは、その時の僕らにとって何一つ意味を為さなかった。空腹、という概念すら消え失せていた。僕らはそこに居て、目の前には沢山の本があった。ただそれだけで満たされる時間が、そこにあった。

 何冊かの本を買い、友人の薦めるカレー屋で疲弊した足を休めた後、満を持して大学時代から足繁く通った古本屋に行った。そこでは全品20%オフセール、というとんでもないイベントが行われていて、そこで僕はプルースト失われた時を求めて』の全巻セットを見つけた。これまで何度も挑戦して前半で挫折した、世界最長の小説。『「失われた時を求めて」の完読を求めて』という本が出版されるほど、その小説は完読が難しいとされていて、読書家にとっては憧れと絶望の全てが内包された、伝説的な小説だ。僕はそれを自宅の本棚に並べ、事あるごとにページを開き、溜息をつき、またページを開く、という無限の時間を想像し、どうしても、それが欲しくて堪らない気持ちになってしまった。

 一度はその店を出たものの、頭の片隅にその本の束が残り続けていて、友人にお願いしてもう一度店に戻った。けれどまた一度そこから出て、くよくよと迷った挙句、また再度店に戻り、思い切って購入をした。

 友人は自身のリュックにパンパンに本が詰まっている状況にも関わらず、気前良くその本の束の半分を手に抱え、電車に乗って大学近くの駐車場まで一緒に運んでくれた。そこで一息をつき、近くにある彼の家に行って、くだらない映画を流しながら、意味の無い、それでいてその全てに意味があるような会話を、取り留めもなく話した。

 思えば学生時代、僕らは毎日をこうやって過ごしていた。大学という場に足を運び、ろくに授業にも出ず(彼は授業にもしっかり出ていたが)図書館に行き、安い学食を食べ、来る日も来る日も神保町に行った。そこで大量に買った本を携えて大学に戻り、本を読んだり、取り留めの無い会話をしたりして、日々をやり過ごした。その時間は今となっては眩しく、どうしようもなく幸福なものだった。失ってしまったものの輝きは、失った後にしか気付くことができない。日々立ち現れる業務に追われるような現状を前にして、僕はかつての幸福な記憶に思いを馳せ、跪くことしかできない。そんな今は正直、苦しい。

 

 夜になり、近くのチェーン店で簡単な夕食を済ませ、「またな」と言って、当たり前のように彼と別れた。それは学生時代と、なんら変わらない光景だった。それがなんだかすごく、心強かった。友人は大学を卒業してから数年間、山梨に帰っていたけれど、今では東京に、それもあの幸福な日々を過ごした土地に暮らしているのだ、ということを、なんだか無性にありがたく思った。

 失われた時を求めて、僕はそこに居たし、彼もそこに居た。時は失われてしまった、けれど、これからも日々は続いていく。だとしたら、また作り出せばいいのだ。

 彼が今日、その良さを熱く語っていた、谷川俊太郎の『生きる』という詩の一節を思い出す。

 生きているということ。それは、「いま いまが過ぎてゆくこと」。

 

2023年10月30日(月)

 仕事に行った。帰ってから昨日の日記を書いた。

 

2023年10月31日(火)

 仕事に行かなかった。

 こうして日々、日記を書いているけれど、身の回りに起きる全てのことを書いているわけではない。でき得る限り素直に、心の赴くままに文章を書こう、と努めてはいるけれど、その中でも無意識に、あるいは意識的に、書くべきことと書かない方が良いことを選別して書いている。もちろん、会社の人や関わりの薄い人に話す内容に比べれば、かなり個人的な事実や感慨も多分に書いてはいるけれど、それでも、書けないことはある。それは社会的な要因でそうさせられている、と言うこともできるし、個人的な要因でそうしている、と言うこともできる。

 それでも、何らかの出来事に対する自分の反応を言葉に起こす作業を繰り返していると、そうした社会とか、個人といった枠組みを超えた、自分の中のある「確かさ」に出会うことができるような気がする。それが日記を書くことの醍醐味だ。書けることと、書けないことがある。けれど、書けることと書けないことの間に、「書いてしまう」ということが、きっとある。

 そこに辿り着くことができた時に初めて、「何かを書くことができた」と、自信を持って言うことができるのかもしれない。

 

2023年11月1日(水)

 仕事に行った。もう11月だ。

 もう11月だ、と思うことはあっても、まだ11月か、と思うことはほとんど無い。夏休みが来る前に、「あと◯日で夏休みだ」と思う経験は誰もがしていると思うけれど、そうした時にはその日が来るまでの「遠さ」を、切実に感じている。けれどいつからか、そうして来たるべき日の「遠さ」を感じることが少なくなり、過ぎてしまった時間を懐古するばかりになってしまった。「しまった」と否定的に書いたけれど、別にそれは悪いことでも無いのかもしれない。日々過ぎて行く時間にある程度折り合いをつけ、先の未来への過度の期待も、そこに至るまでの「今」の苦しさも、両者が極度に振れることがなく、なんとなく平均値に収まって穏やかな日々が続く。それはそれで、ある意味幸せなことだ。

 11月のことを旧暦で「霜月」と呼ぶ。霜が降りるにはまだ早いような気がするが、そうした冬の訪れを感じさせる季節であることは確かだ。僕は「霜が降りる」という言葉が、なんだかとても好きだ。霜は天から降ってくるものでは無い。それなのに、まるで霜自身が主体的な意思を持ち、天から一歩一歩降りてくるような印象を、その言葉から受ける。雨は「降る」なのに、霜は「降りる」。階段をゆっくりとくだるように、霜は時間をかけて、地面を白灰色に染める。自然界に起きる現象を、そうした言葉に置き換えて表現するに至った日本人の言葉選びは、熟考の跡があってとても美しいと思う。

 何かを言葉にすることには、常に限界がある。自分の複雑な感情を、まとめて言葉にすることはいつも上手くいかない。けれど、「霜が降りる」というように、本来はそうではないあり方で何かを表現することの方が、よりありありと、その複雑さや奥深さを相手に伝えることができる。それは遠回りのように思えるし、効率化が叫ばれる現代では排除されがちな考え方かもしれないが、大事なことはいつもそこにある、と僕は思う。

 「心をまとめる 鉛筆とがらす」と尾崎放哉は書いた。鉛筆は、尖らせすぎると簡単にポキっと折れてしまう。はやる心をまとめて、強い筆圧で書き付けようとしても、きっと上手くいかない。それでも日々鉛筆を尖らせ、それを中途で折らないように丁寧に何かを書き続ける営みの先で、「霜が降りる」のような、誰かに何かを伝える表現が生まれるのだと、僕は信じている。

 低く長く続いていくだけのように思える日々だけれど、これからもずっと、何かを書き続けていきたい。そんな霜月の初日。

 

2023年11月2日(木)

 仕事に行った。

 「そんなに考え過ぎなくても良いよ」と言われることがよくある。それはきっと優しさをもって発された言葉なのだ、と思う。その言葉を発した人にとっては、考えることはきっと苦痛で、耐え難いものなのだ。だからこそそうして、堂々巡りな考えに留まり続ける僕に対して、そこから抜け出す道筋を示すように言葉をかけてくれる。だからきっと僕は、そうした言葉に対して感謝しなければならない。けれど、その人にとって考えないことが自然であるのと同じように、僕にとっては何かを考えたり、言葉を尽くそうとすることが自然なことなのだ。全ての物事に対して、適切に考えて生きてこれたのか、と問われれば、その自信は無いのだけれど、人より何かを考え込む時間が長いことは社会で生きていてなんとなくわかってきたし、そうすることで自分自身が沢山救われてきた実感がある。だから別に、無理をしているわけではない。

 自分が考えていることを言葉にして発した時、「考えすぎだ」と言うことなく、ごく自然に耳を傾けてくれる人と居ると安心する。僕はそういう人と居ると、ついつい喋り過ぎてしまう。けれどそういう人は、必ずしも自分と同じように何かを考えたり、言葉にすることが好きな人、ではない。それなのになぜか、僕が考えていることに頷いたり、新鮮な驚きを示してくれたりする。不思議なことに、僕はそうした反応を見てなぜか、分かり合えた、という実感を得る。それは一体、どういうことなのだろうか。

 分かり合うことは、すごく難しい。そこには色々な方向性がある。同じようなことを考えているから分かり合う、ということもあるし、全然違うことを考えているけれど、その違いを受け入れることで分かり合う、ということも、きっとある。そうでなければ、固有の思考を持った人と人が共に生きていくことなど、できるはずがない。だから必要なのは想像力だ、と思って、僕は生きてきた。けれど、きっと想像力があっても分かり合えないことはあるし、想像力が無くても、分かり合えることはある。それは複雑な形をしたパズルのピースみたいに、時々偶然、当てはまるものだ。そうした人と出会うことは、もしかすると、奇跡的なことなのかもしれない。

 とはいえ、僕がそれを「奇跡的だ」と思っているだけで、相手にとってはそれは奇跡でもなんでもなく、身体に負荷をかけて、僕の言葉に寄り添おうと努めてくれた結果なのかもしれない。そう思うと、いたたまれない気持ちになる。自分というパズルのピースを変形させて、相手の形に合わせる。奇跡を求めるのではなく、奇跡を作り出そうとするそうした営みを通してこそ、きっと愛は生まれる。だから僕も、そうした優しい人に対して「いたたまれない気持ちになる」ことを通して、誠実に、自分のあり方を見直していかなければいけないのかもしれない。そうすることによって、微妙にずれたピースを、ぴったりと当てはめることができるようになるのかもしれない。

 

 そうやって長らく考えた後で、こうして考えることこそ、僕にとって自然なことなのだ、ということに気付く。ここに負荷はない。だとしたら、僕の言葉に耳を傾けてくれる人がいること、例えば、この文章を最後まで読んでくれた人がいることは、やっぱり奇跡なのだろうか。愛は本当に、わからない。

 

2023年11月3日(金)

 仕事に行った。

 気持ちが悪いニュースが流れ、「気持ちが悪いなあ」と思っていたら、もっと気持ちが悪い人たちが目の前に現れ、ああだこうだ言っていた。

 気持ちが悪い人は、すぐに徒党を組みたがる。微妙に考えの違う沢山の人達をより集め、力ずくで何かを変えようと試みる。権力に対して、より強い権力を行使しようとする。どうしてそうなってしまうのだろうか。自分の意見や主張を誰かに伝えることは、本来もっと難しく、時間がかかるものであるはずなのに。

 色んな人達がいて、色んな考えを持っている。それは必ずしも一辺倒であったり、単純明快なものではない。人それぞれが、異なる経験や考えを持って生きてきた。だからこそ互いの考えを受け入れながら、じっくりと対話する必要があるはずなのだ。昨日、「分かり合う」ということについて書いたけれど、それは奇跡である、と同時に、互いに愛を持って接し、ゆっくりと時間をかけて築き上げるものだ、とも思う。それすらも効率的に、力ずくで相手の意見をへし曲げようとする人達を見ると、たまらなく不憫に思えるし、そうして誰かを操ろうとする人達は、絶対にどこかでバランスを崩し、行く末は破綻する。見るも無惨だ。そんな確信がある。

 もちろん「傍観することが正義だ」などと主張したいわけではないし、僕は僕なりに、考えを持って生きているつもりだ。だからこそ、徒党や派閥を組みたい人からは適切な距離を持ち、自分にとって今、何が必要なのか、を、時間をかけて選び取りたい。選べない、という結果でも良いかもしれない。それはそれで、「選べない」という選択をしたことになるのだ。けれどそうやって生きていると、「主張を持て」とか、「言葉にできないのは考えていないのと一緒だ」などと、面倒臭い人達は言ってくる。想像力が無い人達は、いつもそうやって簡潔な答えを提示してくる。そうした人達は無視すればいい、のだが、僕は意外にも喧嘩っ早いようで、誰かから攻撃的な目線を向けられると、我慢ならず、その相手を攻撃したくなってしまう。だから今日もこんな文章を書きながら、「論破」したがる人達を、全然違う方向から「論破」しようとしている。それが少しだけ、悲しい。

 堀江敏幸は、「きびしいおだやかさ」が必要だ、と言った。抑えきれない怒りの衝動を、自分の中で「内爆」させることによって、一旦処理する。ビルの解体などに用いられる言葉だが、それは周囲に対して出来る限り影響を与えないようにする配慮によってこそ成り立つ。誰かを攻撃するのではなく、自分の中で怒りの芽を「内爆」させること。そうした「きびしいおだやかさ」には辛抱強さが必要だし、誰かを攻撃するよりももっと、エネルギーが必要なことだ。そうしたことに耐えきれず、周囲に影響をもたらしてしまうこともあるだろう。けれどそうした時には、きちんと内省すること。周囲に強い言葉を吐いてしまった自分を恥じ、心から謝ること。それはきっと、弱さでもなんでもなく、強さなのだ、と、僕は思う。

 そうした自分に対する「きびしいおだやかさ」を持って生きていれば、何も言葉を発さない人たちに対して、「何も考えていない」などと思うことは無くなるだろう。その人は何も考えていないのではなく、きっと自分の中で感情を処理して、適切な放物線で相手にボールを投げよう、と、努力しているのだ。それを想像することこそが、本当の意味での自己研鑽なのではないか、と思う。それは、効率化が叫ばれ、「論破」が流行る今、一番必要なことではないだろうか。

 いや、それも少し、間違っているかもしれない。「一番必要なこと」など、本当に人それぞれだ。僕はどうしようもなくこの文章を書きたい、と思って書いたし、今はとにかく本が読みたい。会いたい人に早く会って、話がしたい。どうしようもなく陰鬱な世界で、それだけが僕にとって、確かなことだ。そして僕以外の誰かにとっても、きっと同じように「確かなこと」があるのだ。

 そうやって自分の中で、想像してみる。「論破」に躍起になる人達にも、僕と同じように、「確かなこと」があるのだろうか。うーん。正直、考えたくもない。

 

2023年11月4日(土)

 朝から引っ越しの手伝いで、一日中動き回った。

 身体というのは不思議なもので、日々なんとなく腰の辺りに鈍い気怠さを抱えて生きていても、いざ動かねば、という時には、意外と機敏に動ける。動きたい、という意志を持った時には、まだ身体がついてくる。年齢的にはまだそんな不安を感じるべき年齢ではないけれど、日に日にどことなく身体の衰えを感じるばかりの日々だったので、まだ自分の中に残されている若さを実感する良い機会だった。

 連れ合いの冷蔵庫や洗濯機をリサイクル業者に持って行き、それらが無慈悲に放り投げられ、積み上がっていく様をぼんやりと眺めながら、感じ入ってしまう自分が居た。長年の苦楽を共にした機械も、所詮はただの鋼板の塊に過ぎない。けれどそこには生活の証というか、ただの物として片付けられない価値のある「何か」が宿っていて、そうした物が簡単に処分されていく様は、なんとなく耐え難い感覚があった。

 物を、人が使う。それは一見、一方的な関係性に見えるけれど、そんなに単純なことではない。人は物を使う、と同時に、「物に使われる」側面があるのだ。本来ある目的を果たすための手段として存在していた物が、突如として固有の意思を持ち、人の行動を左右させ始める。自分の心を慰めるように機敏に動いたり、逆に機嫌を損ねるように、突然壊れたりする。それに対して僕ら人間は一喜一憂させられる。そしてそれらの関係は日を追うごとに親密さを増して行き、いつしか簡単には拭い去れない愛が、そこに立ち現れる。何もアニミズムや、「八百万の神」といった話をしているわけではない。ごく単純に、僕らは物を使っているようで物に使われ、そこには「関係性がある」という事実を、しっかりと見つめたいと思った、というだけの話だ。

 人と物、との関係性は、そっくりそのまま人と人の関係性にも当て嵌められる。物をしっかりと見つめ、大切にできる人は、人のことも同じように見つめ、大切にすることができると思う。「優しさ」とは、対象が物であれ人であれ、それらを隈なく見つめ、丁寧に扱う、あるいは「扱われる」関係性に、愛を感じること、それに尽きるのではないだろうか。

 愛を持って長年使われてきた沢山の物たちを車で運びながら、僕もこんな風に、何かを大切にすることができるだろうか、と思った。今日もまた、数冊の本を買ってしまった。それらの本を全て隈なく読み通し、愛と呼べる関係性を築き上げるまでの間に、どれだけの時間がかかるのだろうか。