20230820-20230826

2023年8月20日(日)

 朝から神奈川県立図書館に行った。フロイトの『夢判断』を読み、それから小説を書いた。今日はたくさん書き進めることができた。

 

 毎日日記を書いていて良かった、と思うことが増えてきた。実際は仕事のせいにして、何日か分をまとめて書いてしまうこともあるけれど、それでも定期的に自分の気持ちと向き合う、あるいは自分の創作と向き合う時間が取れていることが、何かプラスに作用している部分が多いような実感が、ここ最近は強くある。

 ぼやっとした取り留めの無い感情も、言葉にすると、それを自分の手で掴み取ることができる。結局掴み取ったところで、それは〈ぼやっとした取り留めの無い感情〉のまま、であることがほとんどではあるけれど、そうして「掴み取った」という実感を得る、ということの方がより重要であるような気がする。それは誰かと話をすることや、本を読んだりすることでも同じ恩恵を受けることはできるけれど、こうして文字で書いている間は自分の中で、それを消したり、書き直したりすることができる。そうした一つ一つの所作を自覚することで、自分が何を書きたいのか、何を考えたいのか、対象を覗いたレンズ越しに焦点が定まってくるような実感がある。

 何になりたいか、では無く、何を考えたいか。創作をする上で一番大事なことはそれだ、と頭ではわかっていても、何を考えたいか、ということも、こうして自分で手を動かす中でしか見出し得ない。僕らの人生の目標や意味、といったものが、僕らが今生きている、というこの瞬間にしかあらわれないことと同様に、創作においてもその真意は、創作の中にしかあらわれない。だから何を考えたいか、を考える前に、何かを書く。

 その果てに答えがあるのか無いのか、それはわからない。けれどきっと、そうすることでしか見出し得ない何かがある、という前向きな気持ちで、これからも書き続けていきたい。云々。

 

2023年8月21日(月)

 仕事に行った。

 ずっとSIMカードが抜けかかっていて、時々スマホの回線が切れてしまう。Wi-Fiを使えばさほど問題はないけれど、通勤時間にラジオを聴く術が無く、昔ダウンロードしておいた懐かしい音楽をかけて過ごした。それはそれで良い時間だったし、SIMカードの無い生活も、悪くないような気がした。

 新しい何かができるたびに、生活は更新されていく。別にそうした世の中の潮流に合わせる必要も無いのだけれど、気が付いたら巻き込まれ、押し流されていく。何かが便利になり、それに慣れてしまうと、かつての生活が突然、信じられないほど遠い過去として感じられる。もう後戻りはできない。

 けれど、過去には過去の生活があり、その中で見つける幸福が沢山あったはずだ。今は便利ではあるけれど、今の便利さを持っていなかった過去の方が不幸、というわけでは決して無く、そもそもその瞬間を生きている人は未来のことがわからないのだから、その幸福度を比較することはできない。それぞれの時代に最大限の努力がある。

 だからこそ今、何か新しいものに手を伸ばさずとも、享受できる幸せがあると思ってしまう。それはアナログ趣味とか、デジタル嫌いとかそういうことではない。自分の生活や、身体性に合ったものを、今の時代において可能な範囲で、自分の手で選び取りたい。そんなことを思いながらも、ずっとSIMカードのせいでいらいらしていた。

 

2023年8月22日(火)

 仕事に行った。帰ってから保坂和志「小説の自由」を読んだ。

 

2023年8月23日(水)

 仕事に行った。帰ってからYouTubeのプレミア公開で、Analogfish『おもいつくかぎりのすべて』を聴いた。

 おもいつくかぎりのすべてのことが起きる。今、生きていて、誰かが僕に何かを言う、それに対して僕が何かを言う。戦争が起きる、地震や自然災害が起きる。誰かが死んでいる。そうした全ては、言葉として自分の頭で思いつく限りのこと、ではある。けれど、実際にそれが目の前で起きた時、それは自分が言葉で考えていた次元とは別の何かとして、自分の前に立ちはだかるだろう。僕らはそうした現実と向き合った時、きっと跪き、涙し、途方に暮れる。

 僕は思うのだが、この曲は「おもいつくかぎりのすべて」では無い。この曲には、そうした「言葉で思いつく限りの全てのことを超えた現実」に、拮抗する強さがある。それは僕の考えに過ぎない。けれどそうした考えが僕の中に生まれた、ということ自体が、この曲が「おもいつくかぎりのすべて」では無い、ということを僕の世界の中で確かなこととして体現している。この曲が作られたことで、現実とは別の次元の何かへの扉が、突然開かれた。

 良い曲とは何か。売れるってどういうことか。よくわからないけれど、思いつく限りの全てのこと、では無いこの世界で、思いつく限りのことをやったって仕方がない。この曲を世に放ったAnalogfishの創作者としての姿勢を見習いたい、と思った。

 

2023年8月24日(木)

 仕事に行った。ジムに行って、5キロ走った。どうして5キロも走ってしまったんだろう?

 

2023年8月25日(金)

 仕事に行った。帰ってからYouTubeを見て笑った。笑って生きていたいけれど、笑い続けていると疲れる。複雑。

 

2023年8月26日(土)

 昼から出掛けて家具屋を回り、髪を切った。夜は中華を腹一杯食べて、胃もたれと胸やけで大変なことになった。

 段々こうやって「大変なことになる」ことが少なくなったように思う。それは大変なことになった経験を繰り返して、大変なことにならないように自分の行動を抑制する力が身についたからだ、と思うし、人に比べてそうした自意識は強い方だと思うのだが、それでもこうして大変なことになると、大変な一方で、ああ、楽しかったんだな、と思う。というか、思うようにしている。

 楽しければ楽しいほど、その後に大変なことが起きる予感がする。だから何をしていても、単純に楽しくなれない。そして「大変なことにならない」ことも含めて楽しいことだ、と思う気持ちが強く、低空飛行で安定した楽しさを日々に求めがちだ。だから例えば朝まで呑むとか、レジャーっぽい遊びに出掛けることは極力避けて過ごしているが、それでも時々堰を切ったように大変なことになってしまうことがあって、そうなってしまった時は、ああ、楽しかったんだな、と思う。それが心にとっては一番良い気がするから。

 それでももう二度と大変なことにはなりたくない。大変なことになりながらも「楽しかったな」という思いは捨てず、それでも今後は大変なことにならないような教訓を自分の中に埋め込む。前向きに捉えながらも自戒する。それは本当に難しいけれど、きっと人生ってそういう感じなのだと思う。