20230806-20230812

2023年8月6日(日)

 毎日毎日、色んな人の話を聞いたり、色んな人の本を読んだりしているが、聞けば聞くほど、読めば読むほど、自分が今何を考えているのか、何を求めているのかわからなくなっているような気がする。素晴らしいとされている人の、素晴らしいとされている意見を読んだり聞いたりして、うんうん、そうだよな、と頷くと、その人の言葉が自分の内に蓄積されていく。そして誰かと話す時に、それをあたかも自分の意見のようにして差し出す。誰かのそうした話を聞いて、「僕は違うと思うけどな」という考えになることはすごく少ない。大体読んだり聞いたりするものが自分の境遇に近しいものに限られているから、なのか、あるいは「考え方は人それぞれだ」ということが自分の根本の信条としてあって、その上で他人の話を聞こうとしているから、なのか。でも、そもそも「考え方は人それぞれだ」という信条自体も、僕が色んな人の話を聞いて受け取った考え方の一つに過ぎない。

 久々に、高校時代に聴いていたバンドの曲を聴いてみた。今の自分が好んで聴く音楽は、そのバンドのロックなサウンドとは掛け離れた雰囲気のものばかりになってしまったが、今聴いてもそのバンドはやっぱりかっこいい。自分の奥底に眠っていた、あるいは意図的に眠らせていた興奮が、呼び覚まされるような感覚だった。

 一度聴き始めると止まらないもので、僕はそこからYouTubeに飛んでそのバンドのライブ映像を見始めた。やっぱりかっこいい。それで見入って聴いていたが、曲間のMCが始まった時に、そのバンドのボーカルが叫んだ。

「俺は武道館に立ちたかったわけじゃない!武道館でみんなを踊らせたかっただけだ!俺らについて来い!」

 観客は盛り上がっていたし、かっこいいサウンドに乗せて吐かれたその言葉は、何となくかっこいいように聞こえるのだが、残念ながら僕は、その言葉を聞いて急に冷めてしまった。

 それが本心だったか、とか、その言葉の内容がどうか、ということではなく、そうしたことをステージ上で叫ぶ精神性がなんとなく嫌だったのだ。もしかすると当の本人は、自分が「武道館に立ちたい」と思っていたと客から思われること(あるいは、そう悟られること)が嫌だったのかもしれないが、それは別にステージで言わなくても良いことじゃないか。そしてバンドがMCでよく口にする、「俺らについて来い!」という言葉は、考えてみるとけっこう傲慢な台詞だ。ついて来い、と言っている時点で自分が客より優れているような言い分だし、そう言われると、急について行く気がなくなる。別にそんな言葉を吐かなくても、音楽がかっこいいのだから、それだけでついて行くのに。

 音楽はかっこいいのに、MCはダサい。高校の時にこのバンドを聴いていた僕は、音楽もかっこいいし、MCもかっこいい、と思っていた。この辺りに、自分という人間がどういう風に変わったのか、如実に表れているような気がしてなんとも興味深かったが、そこでライブ映像は見るのをやめた。

 

 僕は最近、何かを作りたい、と思っても、何を作れば良いかわからない、という、悶々とした日々を過ごしている。きっとそれには色々な原因があるのだと思うが、その原因の一つに、こうした「MCがダサい」ことを、強く意識するようになってしまった、ということがあるように思う。今までは、MCの良し悪しよりも、「音楽がかっこいい」ということの方が重要だった。もっと体の底から、芸術を楽しんでいた。良いことなのか悪いことなのかわからないが、最近の自分にそうした変化が起きているのは確実だ。

 もっと素直に芸術を楽しみたい。最近はライブに行っていないけれど、ちゃんとライブに行った方が良いのかもしれない。そうしたら、先のMCも素直に受け止められるかもしれない。小説をあまり読まずに、エッセイや書評ばかり読んでいるが、やっぱりちゃんと小説を読んだ方が良いのかもしれない。「感動した」という言葉が陳腐だ、とか言う前に、素直に物語世界に感動したい。体の底から、芸術の素晴らしさを体感したい。きっとそれができていないのだ。

 何を読んだら良いだろうか、と思って、こんな時間から本棚を漁り始めてしまった。でもきっと、貴重な一歩なのだと思う。

 

2023年8月7日(月)

 ミッション・インポッシブルを観た。ミッション・インポッシブルを観ると、毎回無敵になったような気分になるから不思議だ。明日は仕事だが、無敵モードで挑みたい。

 

2023年8月8日(火)

 仕事に行った。インポッシブルなミッションの数々に打ちのめされ、泣きながら家に帰った。

 

2023年8月9日(水)

 仕事に行った。明日から休みだ、ということだけを考えて仕事をした。明日から休みだ!

 

2023年8月10日(木)

 2泊3日の旅行に出かけた。台風が来るかもしれない、と思っていたけれど、結局来なかった。台風が来るかもしれない、と思っていたおかげで、あまり過度な期待をせずに旅行当日が迎えられて良かった。空はあきれるほどに晴れ渡っていた。

 茨城県の牛久で、大仏を見た。すごく大きかった。それ以外の感想は特にないけれど、すごく大きい、と噂に聞いていたものを実際に見て、すごく大きい、と思った、ということが大事なのだと思った。何事も、実際に体験しなければ本当の意味ではわからない。

 それから土浦で日本最大の呼び声高い古書店に行き、大量の古本を買ってホテルに向かった。ホテルの一室も、びっくりするぐらい広かった。なんだか、びっくりしてばっかりの旅行初日。

 

2023年8月11日(金)

 茨城県立近代美術館に行って、「土とともに 美術にみる〈農〉の世界」の企画展を見に行った。最近は色々なものの変化のスピードが早くてついていけない、と思うことがあるけれど、ここ数百年の規模で考えたら、昨今の変化は至極当然のことなのだ、と思った。僕は市民に階層があった時代のことも、農民の貧しさについても、歴史の教科書を読んだだけで本当のところはわからない。けれどそうした変化もここ数百年の間に起きていて、そう考えると自分が生きる数十年の間に人類史上における大きな変化が起きても、全くおかしくないのだ、と思う。AIとかメタバースとか、そういうものが社会を席巻していくことを、できる限り否定せずに受け入れていきたい、と思いながらも、既についていけていない自分がいる。

 夜は益子の夜市に行った。益子の町はあたたかかった。そこで素敵な絵柄の皿を一つ買った。大切にしよう、と思った。

 

2023年8月12日(土)

 朝から向日葵畑に行った。向日葵はなんとなく苦手だったけれど、なんとなく、で嫌ってしまっていたことを申し訳なく思うぐらい、たくさんの向日葵が太陽の方向を向き、健気に咲いていた。前向きだったり、明るく見えるものへの潜在的な食わず嫌いを、今後はできる限り払拭していきたい。そうすれば、もっと楽しく生きていけるような気がする。

 宇都宮美術館に行って、「芸術家たちの南仏」の企画展を見た。それから宇都宮駅で夕飯を買い、車で帰路に着いた。幸せな時間だった。思えば、「幸せな時間だった」とこの日記に書いたことが今までにあっただろうか?