20230813-20230819

2023年8月13日(日)

 朝起きて、小説を書いた。

 昼過ぎから出掛け、図書館に行って深沢七郎楢山節考』を読んだ。こうした本に触れるたび、結局世の中に起きる問題は、歴史の円環に過ぎないのではないか、という気がしてくる。色々な試行錯誤を経て、何かを改善したつもりでも、別の問題があらわれ、結局同じ場所を中心としてぐるぐる回っている、というか。そうした円環の中心にあるものに触れたい、と思って、自分は本を読んでいるのかもしれない。

 

2023年8月14日(月)

 家で小説を書いて、それから喫茶店に行って本を読んだ。帰りにまた本を買った。

 それだけで、偽りなく幸福だった。こんな日々が低く長く続いていけば良いな、と思ったりした。

 


2023年8月15日(火)

 神奈川県立図書館に行って、保坂和志『小説の自由』、ロラン・バルトのインタビュー集『声のきめ』を一部ずつ読んだ後、ロラン・バルト『喪の日記』を一気に読み通した。僕はこの『喪の日記』を読み、それを読んだ、という事実を、言葉にしなければいけない、という強い思いに駆られた。それはこの日記が、最愛の母を失ったバルト自身の底知れない喪失によって導かれるように書かれたものだ、ということを、強く感じたからだ。

 バルトは日記の中で、こう書いている。

 

 わたしの悲しみは説明できないが、それでも語ることはできる。「たえがたい」という言葉を言語がわたしに提供してくれるという事実そのものが、ただちにいくぶんかの耐性をもたらすのである。


 バルトは60歳を過ぎ、母が亡くなるその瞬間まで、母と二人きりで生活していた。バルトにとって母は、単なる「母」という存在を越えて、一人の女性として、あるいは一人の人間として、生涯たった一人のパートナーであった。彼が生きてきた殆どの時間は隣にいる母と共に過ごされ、そうした時間の集積により、母の不在による底知れぬ喪失が、バルトを襲う。その喪失の感情一つ一つが、母の死の翌々日から書き始められた日記に、目を背けたくなるほど克明に記されている。

 バルトは批評家として、『零度のエクリチュール』をはじめ、ファッションの記号学的分析や、文学作品の構造分析といった斬新な批評を社会に発表することで、文化の一時代を牽引した。僕自身も大学の文学部で学ぶ中で彼の名前はよく耳にしていて、『物語の構造分析』『恋愛のディスクール』などは創作を志す者の必読書として、熱心に読み耽った。彼の文章は非常に難解で、講義を聞いてやっとぼんやりと輪郭が見えてくる程度ではあったが、何かそうした難解さに、底知れない魅力と色気を感じていた。そんなことまでわかってしまったら、実際の自分の人生はどういう風に見えているのだろうか? 雲の上を行くような達観の果てに、一体何が見えてくるのだろうか? 僕はそうした憧れに背突かれるように、彼の創作を読み続けた。

 しかしこの本に書かれているロラン・バルトの声は、そうした「達観した存在」として見えていたバルト像と、似ても似つかぬものであった。彼はただひたすらに、母の喪失に悶えていて、時には自殺願望すら仄めかすほど悲しみに暮れていた。日曜日の朝、誰もいない部屋でただ泣き崩れるバルトの姿は、愛に生きる人間そのものだ。僕はその姿に、強く胸が打たれた。

 何かを深く愛することは、同時にそれを失い続けることでもある。それはどれだけ頭で理解しているつもりでも、実際にその経験が自分の内で起きないとわからないことだ。バルトはただ「考える」ことだけでなく、母を全力で愛し、そして失う、という一連の経験を通じて、そうした愛の真理に時間をかけて近付いていくことになる。

 そしてそうした熱情のもとに書かれた日記も、次第に日付が途切れ途切れになっていく。しかしそれが途切れ途切れになる、ということ自体が、母への思いの深淵さを否定してしまうのではないか、ということを、バルトは極度に恐れる。そうした複雑な感情を、以下のように書いている。

 

 感情(涙もろさ)は過ぎ去るが、悲しみは残る。


 何かを語ろう、という欲求は、何かを語り尽くせない、という絶望のもとに芽生える。母への思いをどれだけ語った所で、母はもう居ない。だから今何を書いたとしても意味が無い、ということを頭では理解していながらも、書き続けることしかできない矛盾の日々が、低く長く続いていく。

 母について語ることと、それを語ることがもたらす自浄作用によって心穏やかになっていく自分との葛藤に悩まされ、バルトはその後、長い鬱状態に陥ることになる。そうした挙句、バルトは母の写真を基にした作品を作ることを決心する。母の記念碑のような作品を打ち立てることこそが、母への「喪」の思いを体現することができる、と彼は信じた。それが、『明るい部屋』としてまとめられ、後世読み継がれる、バルトの集大成とも呼べる作品となった。

 


 僕はこうして日記を書いたり、何かを創作したりして日々を過ごしているが、自分が何故書いているのか、何を書きたいのか、ということを考えると、途端にわからなくなってしまう。それがわからないからこそ書いているのだ、ということまではなんとなくわかってきたけれど、書き続けたことで何かがわかるわけでは無い、ということまでわかってしまうと、何かを書く、ということが億劫になる、という矛盾が常にある。

 しかし僕は今日この本を読み、何かを書く、ということが、何かに対して「深い意を注ぐ」ことだ、ということを強く感じた。「祈り」と言っても良いかも知れない。それをすることが何になるのか、何の意味があるのか、ということは度外視して、ただ祈る、ということ。そこには自分自身の生の、絶対的な肯定がある、ような気がする。バルトが身を削って書いたこの本を読んだ今、僕にとってその事実は、力強い希望になった。

 バルトは日記の中で、「死んだあとも読まれたいなどとは、まったく望んでいない」と書いていた。それはきっと、彼の本心だろう。しかし彼自身も亡くなった今、僕が彼の本を読んで希望を持った、ということを、バルトはどう思うのだろうか。そんな「祈り」のような思いで、今日の日記を書いた。

 

2023年8月16日(水)

 連休最終日。今日も神奈川県立図書館に行って、フロイト全集の「精神分析入門講義」のいくつかの章を読んだ。

 

 明日から仕事が始まるが、逃れようも無く絶対に聞かれるであろう一つの質問に、心の底から怯えている。それは「この休み、何してた?」という質問で、きっと明日はみんな挨拶代わりにその質問をして来るし、自分もするのだと思う。しかしそれに対する適切な返答が、未だ見つかっていない。

 休みの過ごし方は千差万別だが、実際にどう過ごしたか、を聞くと、なんとなくその人の人間性が浮き立ってくるように思う。海に行っていました!と言われれば、おお、アクティブで外向的なタイプだね、という感じがするし、家に居て、映画を見たり本を読んだりしていました、と言われれば、インドアで内向的なタイプだね、という感じがする。

 自分は圧倒的後者で、職場でもそうした分人として生きているのだから別にそれで良いのだが、実際には旅行に出掛けたり、旅先でアクティブに移動し、お祭りに行ったりもしていた。別に何も気にせず全て話せば良いのかもしれないが、全て話すには「挨拶代わり」のやり取りとしては長すぎるし、どこかに行った、という話をすると、それに付随するよもやま話をせざるを得なくなる。そして自分にもそれなりに、職場では話しづらいプライベートな事情もある。かと言ってどれかを切り取って話すと、「意外だ」とか、逆に「ああやっぱり君はそういう人間なんだね」と思われる。そうやっていちいち自分の行動に対して誰かから感情を持たれることに、僕は極度に面倒臭さを感じてしまう。

 そう言うと冷酷な人間だ、と思われるかも知れないが、僕はできる限り誰にも嘘をつかず、素直でいたい、と思っているから悩んでいるのだし、求められている返答をこれだけ真剣に考えている時点で誠実ではないか、と主張したい。そして実際、そう聞かれることが嫌なわけでもない。自分の休みはこうでした、と誰かに共有したい、気もするけれど、そうやって話すことで勃発する面倒な事案の数々が頭を掠め、結局何も言わなかったり、嘘をついた方が得策ではないか、と、聞かれる前から思ってしまう。

 「旅先でお祭りを楽しみました」というのと、「図書館でフロイト精神分析を読んでいました」というのは、一個人の休みの過ごし方としては相容れない行動様式であるような気がする。けれど実際、自分はそうしていた。だからそれをそのまま言えば良い、のだけれど、それに対して難しい反応を強いられる誰かの姿を見たくない。どちらかを言えば、相手にとっては自然な反応を示しやすいだろう。ただ実際は、どちらか、というような極端な休みではなかった。きっとみんなそうだ。それはわかってほしい、というか、どちらかに偏ったものではない、ということを主張したい自分もいる。けれどそれを伝えるには文字数が足りない。そうやって考えていくと、どんどん堂々巡りに陥っていく。

 どうやって返すのが適切か考えたい、と思ってこの文章を書き始めたけれど、結局正解は見つからないままだ。このまま行くと、「この休み、何してた?」に対して、「その質問に対する返事を考えていました」と答えてしまうかもしれない。それはそれで、正しいような気もする。

 

2023年8月17日(木)

 仕事に行った。昨日はあんなに考え込んでいたのに、行ってみたら全然大丈夫だった。なんだかそんなことばっかりだ、と思ったけれど、きっとまた色々と考え込んでしまうのだろう。そう思って、安堵なのか、諦めなのか、よくわからないため息がこぼれた。

 

2023年8月18日(金)

 仕事に行った。明日が来ることが楽しみでもあったし、同時に怖くもあった。

 


2023年8月19日(土)

 とある場所に行って、大好きな人に会った。


 その人に会って僕は緊張した、けれど、「たくさん救われました」と、ちゃんと言葉にして伝えることができた。その人は小さな声で、ありがとうございます、と言ってくれた。それは嬉しかった、けれど、同時にそれを伝えることが自分にとって、またその人にとっても、果たして本当に良いことだったのか、わからなくなってしまった。


 その人にたくさん救われた、と今の自分が思っている、それは嘘ではないけれど、もしかしたらその人のせいで、僕はこんなことになってしまった、ということなのかもしれなかった。その人に出会っていなければ、その人に憧れなければ、僕はもっと違う人生を歩んでいただろうし、その先にはきっと全然違う今があった。その方が良かったのか、はたまた今の人生で良いのか、それはわからないし、これからもずっと、わからないままなのだと思う。死ぬまでわからないかもしれない。

 誰かと出会って、自分が変わる。誰かの言葉が、自分の言葉になる。その繰り返しの人生を今、生きている。僕の中から発せられる言葉は、そうした人生の中で受け取った言葉たちによって変わり続けてきたし、これからも変わっていくのだろう。だから今の自分がこうだ、と思うことも、本当にそうなのか、と問われると自信が無いし、考え始めるときりがない。それは宇宙とか、無限とか、そういうことを考えることと似ている。考えれば考えるほどわからないし、それについて考えることにも、さしたる意味は無いのかもしれない。

 それでも伝えなくちゃいけない、という切実な思いが、僕の中にそうした言葉として生まれて、僕は今日、その人に投げかけた。その事実は、きっと今の自分にとっては正しく、必然のことだった。そう信じたい。そしてその人が僕からそう言われて、何を思ったか、それは永遠にわからないし、わからないままで良いのだが、きっとその人にとってもそうやって僕から言われることが、今のその人にとっては必然だった。それは紛れもない真実だ。そうやって考えれば、僕が今日、それをその人に伝えたことも、間違っていなかった、と思える。

 

 ***


 僕が話しかけた時、その人はずっと、遠くを見つめていた。その澄んだ目には、僕の姿はどこにも映っていないような気がした。そう思ったのは、僕自身がその人のことを、すごく遠くの存在として見ていたからなのかもしれない。

 いつかその人の目が真っ直ぐに僕のことを見つめてくれるまで、そして僕自身が、その人のことを真っ直ぐに見つめることができるようになるまで、頑張って生きていこう。辛いことも苦しいこともたくさんあるけれど、それさえあればきっと大丈夫だ。そう強く思った。またその人に救われてしまった。