光と翳の夢

 暗闇の中に据えられた幾つもの街灯の光が、点ではなく一筋の線となって順繰りに、自身の後方へと流れていく。それを見て僕は「景色が流れている」、あるいは「時間が流れていく」という確かな実感を得るけれど、変わらずそこに在り続ける自分自身の息遣いの荒さによって、景色や時間そのものが流れているわけでは決してなく、自分自身が走っているのだ、ということに、不意に思い至る。

 何のために走っているのかわからない。けれど「走り続けている」ということだけは確かで、僕はその確かさの中にある「生きる意味」のようなものを見出すため、必死で目を凝らす。しかし、どれだけ目を凝らした所でそれは、自分の目ではっきりと捉えることはできない。それは形が無いのだ。形が無いものを、見ることはできない。それでも捉えることができないからこそ、それを捉えようと走り続けるーーつまり僕は、決して見ることができないものを見るために、ただ走り続けている、のかもしれない。

 そこに根本的な矛盾がある、ということに気付いてしまったら、僕はもうその時点で立ち止まり、二度と走り出すことができなくなるのではないか。そうした底知れぬ不安が時折僕を締め付けるが、その不安に侵蝕されることを拒むようにまた、走るスピードを上げる。自分の手と足を動かし、もがくように前へ前へと、そこが前とは限らないにせよ前だと信じて、とにかく走り続ける。そうすると少しだけ、そうした生きることの矛盾への底知れぬ不安が、自分の中で霧散していくのを感じる。しかしそれを感じたところで、立ち止まってはいけない。立ち止まってしまったら、また不安に追いつかれてしまう。そうして永遠に、どこにも辿り着くことのできない道の途上を、ただ走り続けている。

 ふと横に目を遣ると、林の間に埋もれるように存在するトタン屋根の小さな小屋の中に、幾つものキャンバスが煤にまみれて散乱しているのが目に入る。僕はそこで足を止め、月明かりに照らされたその小屋の中へとゆっくりと足を踏み入れる。薄闇の中で目を凝らすと、そこにはキャンバスだけでなく、砂にまみれて破れかけた紙や本、使い切った絵の具のチューブ、泥だらけのギター、といった様々な物が散乱しているのが見える。僕はそれらを足で雑に踏み分けながら、その山の一番上に置かれた大きなキャンバスを徐に手に取り、裏返してみる。そこにはスプレーペイントで何かが描かれているように見えるが、薄汚れていてもはや何が描かれているのか、判別もつかない。しかしそれは、紛れもなく過去の自分が描いたものだった。何が描かれているのかわからなくても、それを自分が描いたものだ、ということだけは、なんとなくわかる。僕はそのキャンバスを見つめながら、突如として奇妙な後ろめたさが、自分の胸に湧き上がるのを感じる。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえ始める。聞こえ始める、ということは、パトカーがこちらに近づいている、ということでもある。それに気付いた途端、僕の心臓の鼓動は急に激しくなり、僕はそこで、今ここにある全ての物を破り捨てなければ、という衝動に駆られる。別に、隠さなければいけない物などここには存在しない。それでも僕は、ここに散乱している僕が今までに作った全ての物を、この世界から跡形もなく消滅させなければ、という使命感に駆られ、まずは手に持っていた大きいキャンバスを力を込めて両手で切り裂き、木枠ごと粉々に打ち砕く。そして足元にあった幾つかの紙を拾い上げ、同じように散り散りに破り、丸めて小屋の奥の壁際に向かって、思い切り投げつける。

 しかしどれだけ急いでやった所で、パトカーのサイレンは僕の不安を急き立てるように、徐々にその音量を上げていく。こうしていても埒があかない。誰かから見つかる前に、もうこの小屋ごと燃やしてしまわなければ。僕は小屋から一度外に出て、ポケットに入っていたライターを取り出す。これさえあれば、僕が今までに作ってきた全ての物を、簡単に燃やし尽くすことができる。何もかも、無かったことにできるのだ。それが僕にとって、意味の無いこの世界を生きる、ただ一つの意味であるような気がした。僕は泥だらけの右手でその小さなライターに火を灯し、息を荒げて小屋に戻り、床に散在する数々の物に火を焚べようとする。

 と、そこで突然、後ろから現れた誰かによって右手を掴まれる。やめろ、と声がする。まだ早い、と別の声がする。それは自分の声だったのかもしれない。しかし明らかに自分の声質とは異なる二つの声が、自分の後方から確かに耳に響いていて、自分が力を込めている方向と逆向きに自分を引っ張る力が、確かにそこに存在していた。

 僕はそこで何故だか急に安堵し、握り締めたライターを手放し、その場に崩れ落ちる。そんな僕の姿を見て、背後にいる二人が笑っている声が聞こえる。僕は崩れ落ちたまま、後ろを振り返る。しかし月明かりの逆光によって、そこに立つ二人の表情を見て取ることはできない。それでも、二人は確かにそこにいて、ここにいる僕のことを見て笑っていた。それはなんだか途轍もなく、素晴らしいことのように思えた。僕はそこで、二人の笑い声に合わせるように、少しだけ笑ってみせた。


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 昨日はバンドのメンバーと久々に酒を飲んだ。それから眠りに着いた後、先に書いたような夢を見た。曲を作ってみようかな、と思った。