20230212-20230218

2023年2月12日(日)

 電車に乗って少し遠い駅まで行って、図書館で小説を書いた。僕はその町や、そこにある図書館がとても好きだった。土日ほど、とにかく人の少ない、静かな場所へ行きたい。疲れているのかもしれない。

 

 正直に言うと、別のところで文章を書くようになってから、ここで毎日何かを書く体力が無くなってしまった。体力なのか、気力なのか。わからないけれど、どう考えても何かしらのエネルギーが足りない。うーん困った。それでも毎日、少しずつでもいいから何かを書き続けたい。書き続けることが、きっと大事だ。でも、一体何のために?

 明日からまた仕事だ。それも一体、何のためなのだろうか。

 

2023年2月13日(月)

 仕事に行った。夜はパスタを茹でて、ピエトロの絶望スパゲッティを食べながらバンドのミーティングをした。メンバーと創作の話をしながらフォークで口に運ぶ絶望は、とても美味しかった。絶望が美味しいということが、僕にとっての希望だった。絶望はきっと簡単に、希望に変わる。そう信じていればいい。

 ZOOMミーティングが切れてメンバーの声が止んだあと、パソコン画面をしばらくぼーっと眺めていたら、ふいに太宰の言葉を思い出した。

 元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

 

2023年2月14日(火)

 仕事で昼から電車に乗って遠出をした。電車に揺られながら堀江敏幸「河岸忘日抄」を読んで、乗り換えのタイミングでイヤホンを耳につけ、久しぶりにMOROHAを聴いた。僕は言葉に悩まされたり、苦しんだり、傷つけられたりしてきた。けれどそれ以上に、言葉に救われ、言葉に励まされて生きてきた。僕の言葉は、決して僕自身から生まれたものではなくて、連綿と受け継がれた沢山の誰かの言葉を受け取って生まれたものだ。じゃあそれを、誰かに届かなくてどうする、と、頭を殴られたような気がした。

 仕事の打ち合わせを終え、先輩たちと都心のサウナに行った。「黙浴」の貼り紙が貼られ、人数制限のかけられたサウナ室内は都心とは思えないほど静かで、僕は真横のサウナストーンから立ち上る水蒸気の熱に耐えながら、何もない壁の一点をずっと見つめていた。思えばこうして、ただ何もせず時の経過を待つような時間を過ごすことを、しばらくしていなかったような気がする。何をしていても時間に追われ、自分のやりたくないことや、やりたいことからも追われ、スマホから縷々として溢れ出す情報量に背突かれるようにして生きていた。僕は壁の一点を見つめながら、何かを考えていたような気もするし、何も考えていなかったような気もする。別にそれはどちらでも良かった。それがどちらでも良いのだ、と思えるぐらいの心の余裕を、日々の生活において取り戻さなければいけないのかもしれない。

 そう考えるとサウナ、めっちゃ良いじゃん。火照った身体だけでなく、切迫した日常で凝り固まった心までもが整えられながら、星が瞬く澄み渡った寒空の下、先輩の車で悠然と家に帰った。

 

2023年2月15日(水)

 仕事に行った。しっかり残業をした。目の前に積み上がるタスクをこなしながら、ずっと残業代のことだけを考えて仕事をした。そこにしか希望が無かった。そんなことは書かないほうが良いのかもしれない。

 

2023年2月16日(木)

 家で仕事をした。徐々に忙しくなってきた。積み上がるタスクに追われるようにして仕事を終え、それらのことを無理やり忘れて小説を書いた。それでも身体のどこかに仕事の焦りや緊張が残っているようで、書き上げた文章を読み返してみると、書かれた言葉の一つ一つが変に強張っているような気がした。忘れたつもりでも身体は正直だし、身体の痼りはそのまま文章に影響する。少し休もう、と思った。


 来週は小旅行に出かける予定で、その計画を立てた。ネットを使って色々と調べるたび、まだ見ぬ景色や場所に胸が躍った。旅は、実際に旅をしている間の楽しみはもちろんだが、それと同じかそれ以上に、こうして旅の計画を立てている時や、帰ってきて脳裏に刻まれた思い出や手元の土産物に触れている時間にこそ、幸福の欠片がある。ものの数日のことが、広がりを持った幸福の時間として僕に安らぎを与えてくれる。そうやって考えると、定期的に旅に出かけることは自分の人生にとってすごく大きな価値があることのように思う。

 僕は旅に出る時いつも、旅先の近くに古本屋が無いか徹底的に調べるのだが、不思議なことにスマホのマップ検索では、目ぼしい古本屋が地図上に出てくることが少ない。それと同じように、モダンでお洒落なカフェについてはネットのまとめサイトを見れば無限に情報が溢れかえっているが、自分の心を本当の意味で満たしてくれるような物静かで素敵な喫茶店は、簡単に検索では見つからない。全然知らない誰かの口コミだったり、実際に町を歩いていてふと見つけたり、といった遠回りをしないと、本当に素敵な場所に出会うことはできない。

 もちろんそれは、検索で上位に出てくるような場所は漏れなく人気店で、人混みが嫌いな自分が慰められるような場所にはなり得ない、という点も大きいけれど、それ以上に僕は先に書いたような「遠回り」の過程にこそ、魅力を感じているのかもしれない。ネット検索で簡単に見つかるような場所は、正直つまらない。自分の手や足を使って長い時間をかけた末に、偶然の産物として見つかるような店にこそ、僕は出会いの必然性を感じるし、自分が探し求めていた場所だ、と実感できるような気がする。それはコスパや効率性とは無縁で、利便に背突かれた時代とは逆行した考え方かもしれない。それでも、そんな時代だからこそ、僕はできる限り長い時間をかけて遠回りをして、自分を本当の意味で魅了するような場所に出会いたいのだ。それは、分厚い本を苦心して読んだり、長い退屈な映画を観たりすることと、本質的に同じことかもしれない。時間をかけること、あるいは労力をかけることは、絶対にこの先自分を裏切らない。その確信さえ持っていれば、きっと大丈夫だ、と思う。

 そんなことを考えながら色々と調べていたら、こんな時間になってしまった。それでもこうして文章を書いたことで、僕が費やした時間が少しだけ報われたような気がした。明日も書かなきゃ、と思った。

 

2023年2月17日(金)

 仕事に行った。それから先輩とジムに行った。他部署の先輩から「お前もう27か」と言われた。そういえば、もう27か、と思った。それでもほんの少しだけ、まだ27か、という気もしていた。

 

 家に帰ってみすぼらしい夕飯を食べながら、嵐のアニバーサリーツアー「5×20」の映画をAmazonプライムで観た。嵐のかっこよさは、言葉で表現できない。特に、大野君がかっこよすぎる。なぜあんなにかっこいいのか考えながら、真剣に彼のダンスや所作の一つ一つを見つめれば見つめるほど、溜息が出るほど惹き込まれていく。これはもう僕にとって、芸術と呼べる域の体験だ、とつくづく思う。

 そういえば、朝起きてから職場の駐車場に着くまで聴いていた大竹伸朗茂木健一郎の対談の中で、茂木健一郎が「芸術とは従来存在していた全生物の記憶を背負って、その文脈の中で生まれるものだ」というような主旨のことを語っていた。その一方で大竹伸朗は、その作品の99%が歴史や文脈の中で説明できたとしても、そこから外れた僅か1%の部分は、言葉で言い表すことはできない、そしてその「何か」としか言い得ないほんの一部分に、強く胸を惹かれる、というようなことを語っていた。わかるようなわからないような話だが、今考えてみると僕が大野君を見ていて感じるのは、大竹伸朗が言おうとしていた、この僅か1%の部分のことではないだろうか。

 彼の性格や所作、ダンスの動きを丁寧に見つめ、また従来のアイドル像の歴史や彼自身の個人史を振り返れば、彼のかっこよさもある程度言葉に落とし込むことができるのかもしれない。けれど、ステージ上のほんの僅か一瞬に立ち上がる途轍もなく強靭な煌めきは、どう足掻いても言葉で表現することができない。その煌めきはそこにしか立ち上がらないし、他の何か、例えば言葉に、置き換えて表現することは絶対にできない。その煌めきが僕の胸を打った、ということは、もうそれだけで良くて、それ以上の何物にもなり得ない。そう考えてみると、それがどうして胸を打つか、ということを頑張って言葉で説明する必要もない、というか、言葉で説明しようとすることすら野暮なのかもしれない。言葉で説明できないからこそ美しい、というものが、きっとこの世界には沢山存在しているのだ。

 それでも、と僕は思う。彼の煌めきを通じて僕が確かに胸の内に感じた「何か」は、僕の中に確実に生まれたものだ。そしてその「何か」は、いつまでも僕の胸の中に、澱のように残り続けるだろう。何年先も、何十年も先も。そしてそうした僅か1%の「何か」を胸に抱えながら生きていく他でもない僕自身が、これからの人生を通して、その「何か」を、限りなく大きな「何か」に昇華することは、もしかしたらできるのかもしれない。そしてそれこそが、本当の意味での芸術の価値と言えるのかもしれない。そう信じていたい。

 僕はこれからもずっと、大野君のかっこよさを言葉にするための「何か」を、自分の内に探し続けるだろう。言葉にするとは、きっとそういうことだ。それ以上の表現に置き換えることのできない、あるいはそれ以上約分できない「何か」を、自分の人生や経験を通して新しい形で再発見していくこと。そうした再発見の先で僕の中に生まれた言葉を、僕は書き続けたいし、表現し続けたい。それだけを愚直に信じてやり続ければ、僕は僕以外の誰かにとって、大野君よりももっと「かっこよく」なれるのかもしれない。

 

 そんな思春期の少年のようなことを夢想しながら、僕はまた、「もう27か」と溜息をついた。いやいや。まだ27だ。

 

2023年2月18日(土)

 朝から佐伯一麦「Nさんの机で」を読み、ひと段落したところで車を走らせ、駒込に向かった。

 東洋文庫に隣接する小岩井農場のレストランで遅い昼食を食べた後、ミュージアムで膨大な数の書物が収められたモリソン書庫を下から眺め、そこから歩いて数分の所にある名勝・六義園で美しい景色を眺めた。もうそれだけでお腹いっぱいに満たされそうな体験だが、駒込に来た本来の目的は違っていた。今日ここに来たのは、大好きな画家である二人ーー松本竣介と、駒井哲郎の小展示が開催されている画廊に足を運ぶためだった。

 ギャラリー「ときの忘れもの」は、六義園から大通りを挟んだ先にある住宅街の一角に、ひっそりと佇む一軒家の中にあった。誰かの家に忍び込むような後ろめたさを抱えながら扉を開けると、玄関には大小様々なパブーシュが置いてある。先に感じた罪悪感が、来る者を拒まず歓迎されているという安心感へと忽ち変わり、靴を脱いで履き替えていると、ギャラリーの方が階段の上から降りてきて物珍しそうに僕と連れ合いを一瞥し、どうぞ、と上階に招いた。

 階段の途中に据えられた絵画に心を奪われながら上階に上がると、事務所になっている部屋から先の男性がお盆を持って現れ、温かいお茶を出していただいた。恐縮ながらそれを啜り、冬の戸外に冷やされた身体と一緒に心までも温められながら、ゆっくりと展示されている作品群を眺めた。どれも、本当に素晴らしい作品だった。それらの作品については、またゆっくりと別の場所で書きたい。一通り見終わった後にギャラリーの方と暫くの間交わした、経験や記憶が集積された幸福な会話についても。それらの感慨を、自分の経験や記憶に照らし合わせて語る言葉を、僕はまだ持っていない。


 ギャラリーで松本竣介の文集を迷いなく購入し、名残惜しくもその美しい建物を後にした。それから大好きな古書店でまた二冊の本を買って、帰路に着いた。背負ったリュックに幸福な重みを感じながら、僕の中の何かが、確実に燃え始めているのを感じた。けれどそれが何なのか、それも今の僕には上手く説明できない。それを言葉にするには、まだ僕は未熟だ。その実感だけが、蟠りのように僕の胸に残った。

 今は悔しいけれど、きっと経験や記憶は嘘をつかない筈だ。だからこそ、これからも自分を信じてひたむきに生きて行こう。あの素敵な名前のギャラリーで過ごした時間に置いてきてしまった忘れ物を、いつの日か胸を張って取り戻しにいくために。