20230611-20230617

2023年6月11日(日)

 近くのショッピングモールに出かけ、買い物をした。それから車で移動して、美味しいパスタを食べた。外は雨が降ったり、止んだりしていた。それでもずっと、僕の心は晴れ渡り続けていた。それはただそれだけで、すごく愛おしいことだった。

 夜は映画館で「aftersun」を観た。悲しい映画だった。けれどその悲しさが、観る人それぞれの記憶にある親しい人たちとの思い出を揺すり起こし、それこそアフターサン・クリームを日焼けした身体に塗るように、優しく癒していくような映画だった。

 「離れていても同じ太陽を見ている」という幼い娘・ソフィの言葉は、曇りなく希望に満ち溢れていた。けれどメンタルヘルスの問題を抱えた父・カルムの胸には、その言葉はどのように響いていたのだろうか。そして月日が経ち、同じように親となったソフィにとって、当時の自分が口にしたその言葉はどのような意味を持って迫ってきたのだろうか。

 月日の経過とともに、言葉の意味や受け取り方は一人の人間の内で変わっていく。その一方で、ビデオカメラに残した映像や、それぞれの心に残った思い出だけは色褪せずに残り続けていく。その対比の中にこそ、今の自分の心のありようが克明に現れてくる。僕はいつか、然るべき時にこの映画を見返したい。変わってしまうであろう自分の心を見つめ直すために、この映画を記憶の形としてこの世界に残してくれた監督に、感謝したい。素直にそう思える映画だった。

 

2023年6月12日(月)

 家で仕事をした。外では梅雨時に相応しい雨が、降ったり止んだりを繰り返していた。窓の外を眺めながら緩く呼吸していると、身体の内側まで、湿り気を帯びていくような気がした。

 夜は作曲をした。ヘッドホンを通して自分の声を聞きながら、果たしてこれは本当に自分の声だろうか、と、奇妙な感覚に襲われた。聞き飽きるほど聞いた自分の声だが、それでも自分が人と会話している時に自分の中で聞いている声と、録音した声は似ても似つかない。そしてその声が発している言葉も、今の自分の中からは到底見出し得ない言葉だったりする。こんなことにまで思い至ってしまって、どうするつもりだと、今の自分が過去の自分をたしなめる声が聞こえる。その声までも、きっとこうして言葉にして残していけば、いつか自分の声では無くなってしまうだろう。その移り変わり自体を、純粋に楽しんでいれば良いのかも知れない、と思ったりした。

 

2023年6月13日(火)

 仕事に行った。

 低気圧のせいかひどい頭痛があったが、自宅に届いた新しい服を身に纏ったら良くなった。僕の身体は本当に単純にできているらしい。

 


2023年6月14日(水)

 仕事に行った。たくさん悩んで、たくさん話して、それからたくさん寝た。

 


2023年6月15日(木)

 仕事に行った。仕事がしんどい。

 帰り道に、坂本龍一の「Solitude」を聴いた。しんどい時こそ、芸術がより一層胸に響くのはどうしてだろうか。丁寧に鳴らされた一音一音のピアノの音が、激務の中で僕の心に生まれた幾つもの屈託や感慨を拾い集め、抱き締めてくれるようで、僕は自分の心が浄化されていくのを身に沁みて感じた。

 僕らは一筋縄では行かない世界を生きている。正義が悪に転化することもあるし、人の優しさが仇となることもある。何を為すにしても正解など無いし、心の在り方は人それぞれだ。どれだけ真っ当に生きよう、と思っていても、そんな世界の複雑さが、心の複雑さの糸と重なることは永遠にあり得ない。

 けれどそうした幾つもの糸を見ないふりをして、無理矢理にでも一本の線として結び付けよう、とする試みは、やがて破綻を招く。社会に起きる様々な問題や事件は、そうした単純化の試みによって引き起こされているのではないだろうか。だからそうした世界を生きる中で、何よりも大事なことは、そうした複雑さを複雑さのまま、受け入れて生きていくことなのだと思う。

 素晴らしい芸術には、そうした度量がある。難しい問題を、難しい問題として胸の内に残置させながら、それらを丁寧に見つめる視点やきっかけを僕らに与えてくれる。僕はこれからも、こうした数々の芸術に救われながら生きていくだろう。いつかそうした作品を、自分の手で生み出すことができたら、と思う。

 

2023年6月16日(金)

 仕事に行った。

 家に帰ってからたくさん歌を歌った。なんだかんだ10年ほど歌をやっているけれど、いつまで経っても自分の歌が掴めない。声域や声質、テクニックももちろん大事だけれど、やっぱり歌は気持ちだ、と思う気持ちが、いつまで経っても捨て切れない。捨てなくても良いのかもしれない。

 気持ちの入った歌を歌うために、もし誰かの曲をカバーするのであれば、その歌に対して思い入れを強くする必要がある。その歌への思いや、自分の生活との密接度が強ければ強いほど、歌は良くなる。そう信じている。それは文章においても同じことで、何か批評や紹介の類の文章を書く時に、一定の所まではノウハウがあれば事足りるのかもしれないが、それ以上の何か、を書くためには、やはり思いの部分が重要になってくる。溢れんばかりの熱い思いが、読者に伝わる文章を形作る。それは小学生の作文を読むと明らかだ。けれど大人として、思いとテクニックのバランスを保つことが重要な場面も多い。だからそのバランスを上手く保ちつつも、時には思いがテクニックを凌駕していくための勇気や、それを認める度量を自分の中に持つことが、何を表現する場においても重要だと思う。

 僕はいい歌が歌いたい。そのためには、まずは歌を本気で愛することから始めなければならないのかもしれない。じゃあ、愛ってそもそもなんだろうか。考え始めたらキリが無い。そんな金曜の夜。


2023年6月17日(土)

 代官山のギャラリーに、ロバート・ハインデルの展示を見に行った。苦悩と葛藤の末にしか描かれ得ない美しさがあった。実際に見ないとそれはわからない。学ぶことの多い展示だった。