20230402-20230408

2023年4月2日(日)

 坂本龍一が亡くなった。享年71歳。

 僕が坂本龍一の曲を初めて聴いたのは、幼稚園から小学校に上がるくらいの時だったと思う。母親は大のクラシック好き、姉は幼稚園からピアノを本格的に習う学校に通っていて、実家では、小さい頃からクラシック音楽が家中に響き渡っていた。僕も姉がやっているから、という理由でなんとなくピアノを始めてみたものの、家にいると否応なく四六時中聴こえてくるクラシック音楽に、心を惹かれることはほとんど無かった。というか、それを聴くのに耳が疲れ果てていて、そのせいでクラシック音楽を聴くたびに、どこか嫌悪に似た感情を抱いてしまっていたのだと思う。

 そんな中、なぜだか急に母親から「あなたは坂本龍一を弾くべきよ」と言われた夜があった。夜遅くに母親はピアノにヘッドホンを二つ繋ぎ、「美貌の青空」を弾いて聴かせてくれた。その時、自分の心が本当に強く震えたことを、昨日のことのようによく覚えている。「感動」とは、きっとあの瞬間のことを言うのだろう。今思えば、それを僕に聴かせてくれたのは「自分の息子にそれを弾いてほしい」という母親のエゴも少なからず含まれていたように思うけれど、それを聴いて僕が感じたのは、いわゆる「高尚な音楽」としてのクラシック、では決して無く、シンプルなのに荒削りで、海の底を彷徨うような、言葉にできない深さを持った音楽だった。そこまで頭で考えていたわけではないけれど、幼い僕の心は確かに、それを感じていた。

 それは今まで音楽に対して興味を惹かれていなかった自分が、初めて音楽の美しさに触れた瞬間だった。僕は初めてその曲を聴いた夜以来、何度も母親に頼んで「美貌の青空」を弾いて聴かせてもらった。今まで疎ましさを感じていた音楽に、自分なりの意味を見つけたことが、小学生ながらすごく嬉しかった。自分が弾くべき曲はこれだ、と、強い確信を持って思った。

 それからすぐに、坂本龍一の中でも最も有名な「energy flow」を、ピアノの先生に習いながら必死で練習した。小学校何年生かの時に、僕はピアノの発表会でステージに立ち、それを披露した。評判が良くて、色んな人たちから褒めてもらった。君にすごく似合う、と言ってくれた人もいた。切なくて、儚い。脆いけれど、確かな芯の強さがある。そんな音楽を着て舞台に立ち、それが「似合う」と言ってもらえたことに、大きな満足感があった。今思えば、舞台に立つことの幸せを感じた瞬間も、この時だったかもしれない。


 僕の人生にとって意味のある沢山の瞬間が、坂本龍一の音楽から生まれた。先週、バンドのラジオ収録で「自分の人生に影響を与えた音楽」というテーマで話をしたが、今考えれば絶対に彼の音楽だった。先に書いた通り、それは確かだ。

 僕の人生に大きな意味を与えた人が亡くなったことは、ただただ悲しい。けれど、僕は「僕が生きる」ということを通して、彼の音楽から受け取った意味を、この世界で体現し続けることができるのかもしれない。だからこそ、坂本龍一の訃報を聞いた僕が今、強く思うのは、「明日も生きよう」ということだ。そしてそれが、僭越ながらも僕にできる、彼の音楽に対する一番の供養であると、強く信じ続けていたい。

 

2023年4月3日(月)

 仕事に行った。忙しくて疲れ果てた。

 帰り道の車の中で、アルヴァ・ノトと坂本龍一の共作「Uoon Ⅰ」を聴いた。ピアノと機械音の多重奏に身を委ねながら夜道を走っていたら、唐突に、すごく大きな決断をしたような気がした。それを忘れてはいけない、と思って、今日も日記を書いた。

 

2023年4月4日(火)

 仕事に行った。珍しく早く上がって家に帰り、夕飯を食べながら坂本龍一のライブ映像を見ていたら急にピアノが弾きたくて仕方ない気持ちになって、立て掛けていた電子ピアノと楽譜を引っ張り出してしばらくの間弾いた。

 僕はピアノを弾いたり、楽器を弾くことがすごく好きだった。そんな単純なことも忘れてしまっていた。随分と長い時間が過ぎてしまった、ということを想った。

 

2023年4月5日(水)

 都心で仕事だった。体力的にも精神的にも疲れ果てて家に帰った。ソファにぐったりと腰掛けながら、ふと窓際に置いた観葉植物の方に目を遣ると、新しい芽の生え始めたザミオクルカスがとんでもないスピードで成長していることに気付いた。誰にも気付かれなくてもただひたむきに、太陽に向かって茎を伸ばし続ける植物たちと、努力や経験を誰かに知ってもらいたいと願ってしまう自分の、どちらが幸せだろうか、とか、身も蓋もないことを考えてしまうぐらい疲れ切っていた。

 

2023年4月6日(木)

 仕事に行った。帰ってから坂本龍一福岡伸一の共著「音楽と生命」を読んだ。

 

2023年4月7日(金)

 仕事に行った。帰りに本屋でとある雑誌を読んで、とある理由で落ち込んだ。

 それでも続けていこう、と思えるのは、きっと傍にいる人のおかげだ。そうした気持ちを胸に車で駆け抜ける夜道は、なんだかいつもより美しく見えた。

 

2023年4月8日(土)

 朝からバンドのミーティングをした。僕がこうしてここにいる間にも、メンバーはそれぞれの人生を全うしているみたいだった。僕に僕の世界があるのと同様に、彼らには彼らの世界がある。であれば、僕は僕の人生を全うしなければいけない、と思った。重い腰を上げて部屋の掃除をした。

 いつの間にか夜になって、車で本屋に行き、大量の本を買った。僕は本が好きだ。それを確かめることができただけで、今日を生きた意味があった。きっと。