20230101-20230107

2023年1月1日(日)

 元旦。昼から映画館にスラムダンクを観に行った。脚本、監督共に原作者の井上雄彦が務めているだけあって、漫画の緊迫感や高揚感は忠実に再現されており、それでいて映画にしかできない新しい表現に挑戦する意欲が感じられる、素晴らしい映画だった。映画のラスト、それまで大音量で鳴り響いていたロック調のサウンドが突如として止み、無音の中でスローモーションのように試合終了間際の波乱が描かれるシーンで誰もが息を呑む中、近くに居た赤ん坊が大きな声で「帰りたい」と叫んだ。映画館を埋め尽くす超満員の観客全員が、その時間、その赤ん坊の声だけを聞いていた。完璧なタイミングで自己の主張を発したその子は、きっと大物になるだろうと思った。

 

 サイズが小さいと感じていた作業机を作り替えたいと思い、天板にする大きな板を昨年末に購入したのだが、うまくネジがはまらず、端に追いやったまま年を越していた。元旦である今日も自宅から二駅ほど先にあるホームセンターが19時までやっていたから、一念発起してネジを買うためだけに車を出し、サイズが合わない時に備えて2種類も買ってきたのだが、帰ってネジを回してみるとそれも微妙にサイズが合わない。穴のサイズだけはきちんと測っていたが、ネジの長さは測っていなかった。DIYをする度に、なんとなくこれでいいか、と思って痛い目を見る経験をしてきたが、その経験から何一つ学んでいない自分に無性に腹が立ち、この数時間はなんだったのだろうか、という徒労感の末、何かに昇華するためにこの文章を書き始めた。結局書き進めながらも、元旦から何をしているのだろうか…という思いは消えず、一度スマホをベッドに放り投げた。不貞腐れるようにクッションに頭を預け目を閉じると、瞼の裏で、豊満な顎肉の顔に眼鏡をかけた白髪の老人が「諦めたらそこで試合終了ですよ」と語りかけてきた。

 僕は目を開き、ベッドの上からスマホを手繰り寄せて続きを書いた。今年はまだ始まったばかりだ。

 

 

2023年1月2日(火)

 昼から実家に帰った。別に自宅から遠いわけでもないし、長らく帰っていないわけでもない。それでも最寄りの駅に着いた時に感じた薄らとした虫の居所の悪さや、こんなことで良いのだろうか、という、罪でも犯してきたかのような奇妙な後ろめたさが、逆に「ここが自分の郷里なのだ」という思いを強くさせた。前向きになるか後ろ向きになるか、肯定的になるか悲観的になるか。そういった二択はあり得ない。どこを見ても脳裏に深く刻まれた経験や記憶の景色が広がる地元に帰ると、それが良い意味でも悪い意味でも、少なからず心は動くものだ。

 


 たらふく飯を食い、たらふく酒を飲んだ。すごく美味しいんだ、と父が勧める焼酎を飲んで、確かにすごく美味しいのかもしれないね、と言った。別にそれが美味しいか美味しくないかは、実際の所どうでも良いのだ。大切なのは、それが美味しいか美味しくないのか、ということを、言葉にして伝え合うことなのかもしれなかった。僕はそうして思いを伝え合う言葉が存在する世界で生きてこられて良かった、と少しだけ思った。そう思ったのは酒のせいだ、と最後に付け加えておきたい。

 

 

2023年1月3日(火)

 起きたらいつもと違う場所にいた。実家に帰っているのだから当たり前だ。昨日はうまく寝付けなかった。真っ暗なかつての自室で、見えてもいない天井を見つめ続けていた。僕の部屋は変わらずそこにあったけれど、いつの間にか僕の部屋は、僕にとって「僕の部屋」では無くなっていた。それが悲しくもあり、嬉しくもあった。何も変わらないように思える単調な日々のなかでも、何かが確実に変わり続けているらしかった。

 


 朝食を済ませ、父と母と三人で新宿へ行った。革新の波に急き立てられたような街で、前衛の風に焚き付けられたような洋服をたくさん見た。一着一着にデザイナーの魂がこもったそれらの洋服の隙間を、両手に大きな買い物袋を携えたたくさんの人たちが足早に通り過ぎて行っていた。それがなんだかすごく悲しかった。というより、少なくとも自分はそのことを「すごく悲しい」と思い続けていたかった。

 服が好きだ、ということを父に伝えると、父は嬉しそうに笑い、実はお前のひいおじいちゃんは祐天寺で洋服の仕立て屋をやっていたんだ、もう百年近く前の話だけどね、と思い出したように教えてくれた。僕はそれを聞いてなんだか浮き足立つ気持ちになって、父と母と別れたあとに一人で高円寺に向かい、大好きな古着屋で黒い不思議な形のコートを買った。家に帰って、鏡の前で何度もそのコートを着た。埃まみれの鏡越しでも、それは本当に美しく見えた。このコートをずっと大切にしよう、と思った。

 

2023年1月4日(水)

 朝からずっと机を作っていた。昨日の夜に、机の天板にフルイドアートで色を付けて玄関で乾燥させていたけれど、それが朝になってもまだ乾いていなかったから、星野源オールナイトニッポンをヘッドホンで聴きながらドライヤーをかけた。

 1月3日に放送された回は、実際には生放送では無くて年末に収録されたらしく、星野源の元に届いているメールには「紅白が良かった!」とか、「白組優勝おめでとう!」といった未来を予想した内容が書かれていて、それを読む星野源の反応が面白かった。星野源はその時間、年末にいて、それでもそのラジオは1月3日にリアルタイムで聴く視聴者に向けられていて、それを僕はタイムフリーで1月4日に聞いていた。僕が生きているのは紛れも無く「今」なのに、その時の僕の耳は何層もの時間を生きているみたいだった。午前中に聴いたラジオの話を、日も暮れた今、僕は日記に書いていて、これを読んでくれたあなたにとっての「今」や、これを読んでいない大多数の人たちの「今」は、きっと僕が書いている「今」とも違っていて、書いているうちに「今」という言葉も「今」では無くなっていくような気がした。一体この文章は、何層の時間軸で構成されているのだろうか。

 これを数学の問いだと仮定すると、「何層で構成されているでしょうか?」という問いには答えが存在することが前提になる。答えのない問いを、数学は許さない。はじめに僕がラジオを聴いている時間があって、いや、星野源がラジオを収録している時間があって、いや、そのラジオに向けて視聴者がメールを書いている時間があった。もちろんそれらの時間からいくつもの時間が派生していることは誰もが承知のうえで、そうした時間はいったん、この問いの数式としては切り捨てる。簡単にそれらの時間を、単純化=無視する。たとえばそうして導き出した答えとして、「この文章は6つの時間(リスナーがメッセージを書いている時間+星野源が話している時間+リアルタイムのリスナーがラジオを聴いている時間+僕がラジオを聴いた時間+僕が文章を書いていた時間+僕の文章を誰かが読んでいる時間)から構成されています!」と僕が書いたとして、それを納得できる人がどれほどいるだろうか。

 いや、それは物事を無理やり数式化しただけの話だ、と思う人もいるかもしれないが、実際にこうした単純化=無視の構図は現代の世の中に蔓延り続けているように思う。何事も白か黒かで決めたがる。誰かの感情を、嬉しいか、悲しいかの二択で判断したがる。誰かの性格を、明るいか、暗いかの二択で判断したがる。何事も効率良く、整理された情報に変換しなければ物事を見つめることができない全体主義的な現代社会の末路。もうたくさんだ。


 僕は今、誰に向かって怒り続けていたのだろうか。読み返してみるとなんだかM-1で優勝した誰かみたいだ。同じ苗字の血筋には、逆らうことのできない何かが流れているのかもしれない。

 

 ラジオを聴き終わり、大体乾いた所でホームセンターに行って天板の上に敷く透明のクロスを買った。店員さんに「90cm×60cm、ぴったりで切ってください」とお願いすると、店員さんは困った表情で、「ぴったり、というのは、できないんですよ。ビニールクロスは縮んだり、気温によってもサイズが変化するので」と答える。じゃあ大体でお願いします、と僕は言い、切ってもらったビニールクロスを肩に担いで家に帰った。実際に天板の上にかけてみると、確かにちょっとクロスのサイズが余っているようだ。けれど、実際の天板には厚み部分にも微妙にペンキが塗られてしまっていて、そこに水をこぼしたりしたら色が滲んで服を汚してしまうかもしれない、と思って、逆にこれは好都合だと思いサイズは合わせて切らずにそのままにした。完成した机は想像以上に良い色が浮き出ていて、僕は満足した。

 今考えると、ホームセンターでサイズぴったりを店員さんに求めてしまった自分の浅薄さは、先に書いた、ただ一つの答えを求める数学的な感覚と通ずるものがあるような気がする。物事は、実際には単純に「サイズぴったり」にはまるものではなくて、きっとあらゆる環境や偶然によって変化していくものだ。そうして変化していく物事と向かい合っていくためには、一面的に単純化したものを見るだけでなく、それを色々な角度から見てみなければならない。

 


 そんな教訓をこの文章を書きながら得た僕は、その後コンビニでカツ丼を買ってきてレンジでチンする時、なんとなくラベルに表記されている時間より少しだけ短めに設定してみた。取り出して蓋を開け、口に運ぶと、カツはまだ少しだけひんやりしているようだった。本当の意味での教訓とは、こういうことなのかもしれない、と思った。

 

2023年1月5日(木)

 東京ステーションギャラリーで、「鉄道と美術の150年」を見た。初めて行ったギャラリーは想像以上に広く、一つ一つの作品の説明書きが充実していたこともあって、入場してから出口に至るまで2時間以上も時間がかかっていた。後半はほとんどふらふらで、人の多い館内で酸欠になりかけていたためか、内容をほとんど憶えていないけれど、ふとした時に思い出すような知識とユーモアに溢れた、素晴らしい展示だったように思う。とはいえこれを書いている今、当たり前のように数時間前に見ていた展示の内容を憶えていないのはおそろしいような気がするが、結局芸術体験というのはそれぐらいのものなのかもしれない。というか、実際に体験した時はそこまで感慨に至らなかった作品でも、後々になって、きれいさっぱり忘れてしまった後にふと湧き上がる(あるいは滲み出す、と言った方が良いか)、遅れて発揮される効能のような(あるいは後になって痛み出すボディーブローのような、と言った方が良いか)感慨が、芸術体験の本筋なような気もする。

 そうやって考えれば、どんなに大雑把に作品を見た体験もきっと無駄にならないし、悲観的に捉えることにもならない。ただこの考え方は、芸術を真正面から受け止めることからの逃げなのかもしれない。そういった逃げの姿勢での芸術鑑賞は、作者や、その作品を愛する人にとってはあまり歓迎される鑑賞方法ではないのかもしれない。それは不本意なので、今日見た作品について一つ、真剣に向き合って書いてみようと思う。


 一番好きだったのは、やっぱり松本竣介の描いた油彩画だった。「駅の裏」と題された全体的に暗い印象を受けるその絵は、東京駅の八重洲北口側から写生された絵であるらしかった。他の作品が駅を真正面から見た美しい風景や、鉄道と富士の鮮やかな対比や、鉄道をモチーフにしたセンセーショナルなイメージが描かれた絵に溢れていたからか、その作品だけ妙に異質な存在感を放っていたように思う。現在の丸の内側から、真正面に向き合って駅を描くこともできたのに、なぜ松本竣介は「駅の裏」、それも建物や線路を真っ黒の線で塗りつぶし、薄暗い影で曖昧にぼやかした淋しげな風景を描くに至ったのだろうか。

 実際の意図はわからないにしても、僕はその心の持ち方がすごく好きだと思った。何か対象を見つめる時、僕らはそれが一番見えやすい位置から、一番美しいとされている瞬間を見ようとすることを求めがちだ。東大寺の大仏を後ろから見ようとする人はいないし、蕾の状態の桜を愛でようとする人も殆どいない。けれどきっと実際には、その対象があまり目を向けられない細部や、影とされている裏側から見つめてみた方が、その対象について深く考察することに繋がるのかもしれない。時代性や、そこに流れていた風の質感も、きっとそこに露れてくる。僕は松本竣介のこの絵から、表向きには華やかに見える文明の発展の、隠したがっている裏の顔を見たような気がした。

 時代の進歩が、誰の目にも美しく見えるとは限らない。今の時代を生きる僕らが、情報過多なSNS社会に疲弊しているのと、きっと感覚は同じだ。少なくとも僕は、松本竣介が文明の最先端をひた走る東京駅を見て「裏側を描こう」と決意するに至った姿勢自体を、愛し続けていたいと思った。

 

2023年1月6日(金)

 酒を飲んでも何か書く。きっと明日の朝には、書いたことすら後悔するだろう。うー。

 酒を飲むと、音楽が聴きたくなる。視界のぼやけた帰り道には、音楽が心地良い。何も読みたくない。何も見たくない。ただ、音楽が聴きたい。美しい音色やビートに、何もかも忘れて身を委ねていたい。

 一番音楽が楽しめるのは、酒を飲んだ時なのかもしれない。そう思うのは、きっと酒を飲んだ時だけだ。

 視界の焦点が合わない。何かを見ているようで、何も見ていない。使い物にならない体。働かない頭。ただ音楽だけが、僕の耳に滔々と流れ続けている。


 最近は、焼酎のお湯割りが一番美味い。


 いつもより音量を大きめにして、ヘッドホンで音楽をかける。この世界の全てが、束の間その曲の中に沈み込んで行く。僕の生きている世界と、その曲中の世界との境界線が曖昧になる。寒空の駅のホームで、目の前を回送電車が通り過ぎて行く。


 Analogfishの「Nightfever」という曲の素晴らしさを、言葉で表現することはできない。それはこの曲が、他でもないこの形でこの世界に屹立している、という、それ自体が既に素晴らしいからだ。僕はこんな曲が作りたい、誰かがそれを聴いて何かを思わなくとも、誰かが勇気付けられたり、励まされたりしなくとも、この曲がこの世界に存在する、という、それ自体が既に美しい。そんな曲を、僕は作りたい。


  僕らはなんで空を飛べないんだ

  あなたはなんでここにいないんだ

  センターラインはどこにある?


 下岡晃はそう問いかける。そこに意味はないし、答えもない。答えを期待して、その問いは発されていない。ただ「その問いが生まれた」ということだけで、この曲は美しい。

 僕らは空を飛べないし、あなたはここにはいない。それがわかりきっているからこそ、その問いを敢えて口にすることに価値がある。どんな時も、当たり前を疑うこと。誰かに対する愛情を、それが叶わないものだとしても、口にすること。それが一番難しくて、きっと一番、大切なことだ。

 繰り返すが、僕はこんな曲が作りたい。僕は僕なりの言葉で、僕の生きる世界に向かって、何かを問いかけ続けていたい。


 帰りにコンビニでカップラーメンを買った。お湯を注いで、食べて、美味かった。もうそれしか書くことがない。寝る。

 

2023年1月7日(土)

 図書館で柳美里「JR上野駅公園口」を借りて、それを読んだり、読まなかったりしていた。

 

 夕方からバンドのミーティングをしていたら、急に寒気がし始めて、熱を測ったら37.5℃だった。これはついにやってしまったか、と思って、研究用のコロナ検査キットを試してみると、薄く陽性の赤いラインが浮き出ていた。あーあ、と思って、厚着して寝た。