何かを表現するということ

 ゴールキーパーが片脚に重心を移動させる最後の瞬間まで動きを凝視し続け、逆方向に丁寧に蹴り込む美しいペナルティキックで先ずは先制。その後流れるようなパスワークから、長年チームを支え続けてきた往年の名選手が裏から華麗に抜け出し、あっという間に追加点を上げた。

 早くも勝負はあったか、と息をつくこちらの短絡さを詰るように、あるいは嘲笑うかのように、後半の、試合時間も残り少ない場面で次世代のスーパースターが文字通り魂の籠った強烈なペナルティキックで一点を返し、その僅か一分後、同じ選手が浮いた球をお手本の様なダイレクトボレーでゴールネットに突き刺し、同点に追いついた。

 一つのミスさえ命取りになる緊迫した状況のまま試合は延長戦に突入し、両チーム一歩も譲らない攻防の末、ワンタッチで繋いだ果てに蹴り込まれたボールがゴールキーパーの手を弾き、ボールは意思を持ったかのように「神の子」という異名を持った誰もが名を知る名選手の前へ転がり、勝ち越しゴールが決まる。ああ、伝説とはこうして作られるのか、と唖然とする観客を尻目に試合は進み続け、国の威信や誇りを胸に最後まで挑み続ける姿勢が相手の痛恨のミスを誘い、ペナルティキックの笛が吹かれ、先の二得点をあげた選手の堂々たる助走から放たれたボールは目にも止まらぬスピードでゴールネットを揺らした。

 無情にも試合終了の笛が鳴り、試合はペナルティキック戦へ。一人目のキッカーは両国の誇る英雄が務め、両者異なるやり方で、それでいて両者一歩も譲らず当たり前のようにゴールネットを揺らす。その後ゴールキーパーの執念のファインセーブもあって点差は徐々に開き、試合の命運は最後のキッカーへ。ゆっくりとした助走から放たれたボールはキーパーの逆を突き、スローモーションのように転がったボールはゴールへと吸い込まれていった。なぜかその瞬間だけ、画面に映る景色は妙に静かだった。

 高らかな笛が、中東の夜空を切り裂くように鳴り響く。息を巻いてゴールキーパーの元へ駆け出す選手たちと、画面の隅で呆然と立ち尽くす選手たち。歓喜と悲嘆のコントラスト。報われた努力や経験の蓄積と、報われなかった努力や経験の蓄積。それぞれの思いが交錯し、そこにはそこにしか生まれ得ない何かが、確実に立ち上がっていた。

 画面は遷移し、熱狂の渦を巻く観客席を捉える。「長雨が上がり陽が昇る」という故事に由来する空色の国旗が、勝利を信じ続けたサポーターの大熱唱と共に揺れ、画面上を覆い尽くしている。それらは決戦を終えた異国の地で、冷めやらぬ興奮の中で留まることなく、はためき続けていた。

 


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 伝説的な試合を目撃した時、その感動を、言葉に収斂させて表現することはできない。それは素晴らしい芸術作品に触れた時、内で生まれた感動を一言では言い表せないことと、殆ど同じことではないだろうか。それらはその形でしか表現できないやり方で、その形でしか生み出すことのできない何かを、見るものに対して提示してくる。それを受け取った自分が、それをどのように消化し、どのようなやり方で表現すれば良いのだろうか。

 人生とはきっと、こうした逡巡の連続なのだろう。僕はずっと、ただそれだけを、考え続けていたい。