20230903-20230909

2023年9月3日(日)

 欲しかった香水を買いに車で渋谷に行って、売り切れていたから日本橋まで足を伸ばし、最終的には無事に買うことができた。

 何かが欲しい、どこかに行きたい、何かを食べたい、という欲求は、ただそれをすれば満たされる単純なことのように思えるけれど、きっと実際にはもっと複雑なものだ。たとえば今日「香水を買いたい」と思った僕の欲求の中には、様々な方向に派生する幾つもの欲求が絡み合って存在しているように思う。それを手に入れたい、という所有欲と、その店に行きたい、という空間的・視覚的な欲と、その香りを嗅ぎたい、という嗅覚的な欲、そしてそこまでの道中、車を運転したい、アイスコーヒーを飲みたい、都心のお洒落な店で昼飯を食べたい、平日にできない自由な時間の過ごし方をして心を癒したい、などといった欲、と数え上げればキリがない。もっと言えば、金銭的に余裕が無いにも関わらず高い買い物をすることで、自分を窮地に追い込むある種マゾヒスティックな欲求、土壇場根性的な欲求なども、無意識の内に含まれているのかもしれない。考えれば考えるほどわけがわからない。

 何にせよそうした幾つもの欲求が絡み合って存在しているから、「香水を買いたい」と言葉にすればシンプルに思える欲求も、それを満たすためにはそれ以外の要素が重要になる。というかもしかすると、「香水を買う」というど真ん中にあるように思える欲求も実際はそこまで重要ではなく、それ以外の無意識の願いを叶えることでしか自分の欲求を本当の意味で満たすことはできないのではないか。だからたとえ香水を買えたとしても、それだけで良い、というわけではなく、他の色々な要素も含めて総合的にそれが良いことだったか、ということが無意識の内に判断されて、満たされたり、満たされなかったりする。そんな感じだろうか。満たされる、というのも実はすごく曖昧で、別に欲求が叶えられたからといって満たされたか、というと別の問題なような気もする。そして「満たされる」というのは一見幸福なことのように思えるけれど、本当はすごく不幸なことなのかも知れず、何か欲求を満たそう、と思って生きている最中の方が本当は幸福な瞬間だったりする。そしてそうやって考えていくと、「幸福」という概念すらも結局は社会化された自分、としての相対的なものでしかないのではないか...と、際限なく自分の欲求に対する疑念が連鎖していく。一体僕にとって何が幸福で、何をすれば満たされるのだろうか。それが僕にはわからない。

 今日は香水を買うことができた。それはとても良い香りだった。それだけで単純に満たされ、幸福でありたかった。

 

2023年9月4日(月)

 仕事に行った。忙しすぎる。

 

2023年9月5日(火)

 仕事に行った。全ての業務の締め切りを、ギリギリで切り抜けるような日々。「ギリギリでいつも生きていたいから」という、KAT-TUNの歌詞が唐突に脳内で再生されて、馬鹿言うなボケ、と珍しく口が悪くなるぐらいには、疲れ果てていた。Ah〜。

 

2023年9月6日(水)

 遠くまで行きたい、と思っていた。けれど、結局は近くにあるものをじっと見つめることしかできないのだ、と気付いた。夢を見ていた。けれど、結局は現実しか生きることができないのだと悟った。たくさんの人に出会った。たくさんの言葉を受け取った。そうして、漠然と抱いていた理想が、日を追うごとに変わっていった。

 ふと立ち止まり、考える。

 変わり続ける世界の中で、変わることができていないのは自分だ、と思っていたけれど、本当は世界なんて何にも変わっていなくて、変わってしまったのは自分の方なのかもしれない。変わりたい、と願いながら、同時に変わりたくない。その微妙なバランスの間を縫うような日々が、低く、長く続いている。

 いつかこうして、今と同じように立ち止まり、後ろを振り返った時に、僕は何を思うのだろうか。世界はその時、どんな色をしているだろうか。僕の世界の色は、僕にしか見ることができないけれど、誰かの世界の色は、僕には見ることができない。けれど僕が見ている世界の色は、誰かがいつか見ることになる色なのかもしれないし、誰かが見ている世界の色は、僕がいつか見ることになる色なのかもしれない。

 それがいつか交差する、と、愚直に信じ続けることで、本当の意味での優しさや愛が芽生えるような気が、少しだけしている。

 明日も仕事だ。

 

2023年9月7日(木)

 仕事に行った。仕事が終わらなすぎて、後輩に「終わらナイトプール!」という謎のギャグを言ってみたら、鼻で笑われた。

 

2023年9月8日(金)

 仕事に行って、仕事をした。退勤する時、少なからずやり切った実感があり、自分にしかできないのでは、と思ったりした。自己肯定感が高く、帰り道は少しだけ鼻歌を歌った。職場のたくさんの人の顔が浮かんだ。その瞬間、色んなことが報われたような気がしていた。

 けれど家に帰り、誰も居ない暗い部屋で、何年もかけてかき集めた本が詰まった本棚を前にした時、何か途轍もなく大きな感情に、唐突に襲われた。それは「何か」としか、言いようのない感情だった。

 どれだけ仕事を頑張っても、どれだけ仕事で何かを果たしたと思っても、僕の中にはこの言いようのない「何か」があって、その「何か」がある限り、今のあり方で満たされることはないのだ。そんな確信がある。いつかこの「何か」を解き明かしたい、けれど、きっといつまでもこの「何か」がわかることはないのだろう。その諦めと、絶望こそが、僕の生き甲斐なのか、と少しだけ思った。

 

2023年9月9日(土)

 7時過ぎに目が覚めて、ああ、今日は仕事が無いのだ、と思って、二度寝をした。けれどすぐに目が覚めてしまって、部屋の片付けをしたり、本を読んだりして午前中を過ごした。

 身体の慣れというのは本当に不思議なもので、どれだけ疲れていても、どれだけ長く睡眠を取ろうと思っても、平日と同じ時間に目が覚めてしまう。昔はそんなことはなかった、というのも、かなり無茶苦茶な生活を送っていたからだと思うが、何か生活のサイクルが身体に馴染むということがなかった。起きたら夕方だったこともあるし、逆に日が昇る前に目が覚めることもあった。それはそれだけの体力があった、ということなのかもしれないが、今となってはそうした生活をしながら好きなことと思う存分向き合っていた頃の自分が、少しだけ羨ましい。

 昼過ぎから出掛け、中央線沿いの店をたくさん巡った。のんびりと過ごしているはずなのに、なぜか時間に追われているような焦りがあった。いつでも休める、と思っていても、張り詰めた神経を引き伸ばすためには、きっと思っている以上に時間をかける必要があるのだ。

 けれどそうしてゆっくりと神経を引き伸ばしたところで、結局否応無く、月曜日はやってくる。それは悲しいことだと思う。穏やかな毎日を取り戻すために、そろそろ唐突に平日の仕事を休んで、座禅にでも行った方が良いのかもしれない。