経験と偶然のコラージュ

 人前では明るく気丈に振る舞っている勤め人が、自宅に帰り玄関のドアを閉めた途端に明かりの無い部屋の暗闇の中でふと溜息をつき、その後ただ黙々と、炊事やら洗濯やらといった身の回りの家事を真剣な目つきと丁寧な手捌きでこなしていく。あるいは、人前では無口で感情を表に出さないが故に「何を考えているかわからない」と揶揄されてしまうような物静かな男が、待ち侘びた愛してやまないバンドの来日公演に立ち会った時に、人目も憚らず両手を上げて大声で歓声を叫び、ビートに合わせてヘッドバンキングを繰り返している。

 

 僕が井上陽子さんのコラージュ作品に初めて出会った時に連想したのは、そうした一筋縄ではいかない人間の複雑さ、そしてそこに疑いようもなく立ち現れる何ともいえない美しさだった。無機質なコンクリートを思わせるグレーの背景の上に添えられた、色や形、素材の異なる様々な紙。あるいはフランス語の古紙。またその間隙を埋めるように、あるいはそれらに覆い被さるようにして描かれた(あるいは叩きつけられた)、アクリル絵の具の線や点、滲み。またそれらを粗雑に傷つけるように、あるいはそれらの感触を一つ一つ丁寧に確かめるようにして刻まれた、無数の細かい傷。

 僕は今、「あるいは」という言葉を多用してしまったけれど、この「あるいは」という言葉無くして、井上陽子さんの作品を表現することはできない。それは、特定の一人の人間について何かを語ろうとした時に、「この人は明るい」や「この人は暗い」といった、一つの個性や特徴に収斂させてその人を語ることができないことと、ほとんど同じことではないだろうか。

 

 三週間前の土曜日、僕は自由が丘のIDÉE SHOPで開催された、井上陽子×GRAPH「ヨットのセイルクロスでペイント・ポーチを作ろう!」というワークショップに参加した。Instagramでこのワークショップの開催を知るや否や、すぐに参加を申し込んだ僕だったが、日が近づくに連れて、自分のような不熟な二十代の男が参加して上手くコミュニケーションが取れるだろうか、と不安な気持ちが膨らんでいた。けれど実際に足を運んでみると、二人の井上さん(GRAPHの作家の方も井上さんというお名前で、僕にはそれがすごく不思議だった)は、絵画や創作に何一つ知識の無い僕に対しても、優しく丁寧に、一つ一つの作業の手解きをしてくださった。

 自分の好きな色の絵の具を混ぜ合わせてオリジナルの色を作り、マスキングテープで枠を囲ったセイルクロスに筆で塗り付けていく。その塗り付けた面を折って逆側の面に写したり、ヤスリで擦り付けたり、といった作業を、ただ無我夢中に繰り返していく。一つ一つの作業工程を説明する度に、井上陽子さんは「私は大雑把だから」ということを繰り返し話していたような気がするが、それはきっと本質的には違っていて、この方はそうした雑なように思える幾つもの手作業の先で生まれる、偶然の産物を心の底から信じているのだ、と僕は思った。単純作業ではなく、その時の心の僅かな動きに沿って徐ろに手を動かした時に生まれる、予定調和では無い模様の驚き。それらが一つの作品として仕上がった時の、複製物では感じることのできない美しさ。「味になる」という表現がよく用いられるが、それはきっとただ粗雑に扱っただけで為されるものではなく、一つ一つの素材に対して真摯に向き合った先に得られる努力の結晶なのだと、僕はその時に強く思った。

 

 その後、有難い幸運が重なり、僕は井上陽子さんが作家の堀江敏幸さんと数年前に雑誌の連載でお仕事をされていることを知った。それはリクルート社から出版されている「住宅情報 都心に住む」に掲載されていたエッセイで、井上さんのホームページで一部だけ掲載されている写真を見ただけで僕はそれが読みたくて仕方ない気持ちに駆られたのだが、近場の古本屋やネットを通じて探した所でほとんど手に入る手段が無く、僕は次の週に取得した有給を使って朝から永田町の国立国会図書館に繰り出した。ちょうど安倍元首相の国葬が終わった翌日で、永田町は厳戒な警備体制が敷かれ物々しい雰囲気が漂っていたが、ひとたび図書館の門をくぐると、そこには自身の情熱を胸に様々な理由で書物を探しに集まる同志で溢れ返った幸福な空間が広がっていた。

 机に置かれたPCで目当ての雑誌のタイトルを打ち込み、注文ボタンを押す。書物がカウンターに届くまでの20分の間、僕はふらふらと図書館の中を歩き回っていたが、まだ実物を読んでいないにも関わらず、これ以上に幸福な時間は無いのではないか、という思いをひしひしと感じていた。本館の壁一面に貼られたタイルが、妙に美しく思えたことをよく憶えている。

 雑誌の束が届き、僕は席に座って12ヶ月に渡る連載を一つ一つ読み進めた。見開き1ページに凝縮された作品と文章は、どれを取っても本当に素晴らしかった。井上さんの作品と堀江さんの作品は、互いが干渉し合うでもなく、独立した別個の作品として存在しているのにも関わらず、そこには確かな連関と呼応があるように思えた。僕は堀江さんの文章を読みながら、時々右に視線を移して井上さんの作品を見て、また文章を辿り、最後まで行き着いたところでもう一度、右の作品を見返す。文字を読んでいる最中にも、視界の端で井上さんの作品の色が薄っすらと僕の脳裏に浸食していて、それが不思議と読んでいる文章の内容をありありと浮かび上がらせ、より手触りを持って内容を実感できるような作用を施していた。こんなに完璧な見開きページは無いと思った。リクルートに転職しようか、とすら思った。冗談でもそう表現したくなるぐらい、僕にとってこの雑誌を読んでいた時間は、稀有で素晴らしい体験になった。

 

 全ての号をじっくりと読み終えた後、幸福な満足感の余韻に包まれながら僕は電車に乗って清澄白河に向かい、ちょうど上映されていたジャン=リュック・ゴダールの『JLG/自画像』を観た。そこで映し出されていたのは自身の少年時代の写真やアトリエ近くの湖畔の風景で、音として再現されていたのは読んできた本の一節の朗読、または自宅の電話のベル音などだった。それらは全て、ゴダールを形成してきたあらゆる時間や、経験の数々だ。僕はまたその映画に感銘を受け、薄暗くなり始めた道を歩いて近くの古本屋に立ち寄り『ゴダール 映画史』を買って、平日の混雑した電車内で身を屈めながら熱中して読み進めた。電車が最寄りの駅に到着した時には、もう既に僕の頭はゴダールのことでいっぱいになっていたが、「ゴダール」の響きの中に、「コラージュ」という言葉の音調を、微かに感じ取った。

 

 僕はこれから先、どのような人生を歩んでいくのだろうか。あるいは表現者に憧れる者の端くれとして、この世界に何を生み出すことができるのだろうか。それはわからない、けれど、僕の中に生まれた感慨や、先に書いたような一つ一つの経験が、消えてしまうことはないのかもしれない。それらは経験と偶然のコラージュとして、僕の中に確かに生まれ続けるのだから。