20230618-20230624

2023年6月18日(日)

 父の日だったので実家に帰った。

 色々な話をした。色々な話をしていたらあっという間に4時間が過ぎて駐車場の予約時間が迫ってしまい、急いで帰路に着いた。話したいことが沢山ある、というわけではないけれど、話し始めると話すことが尽きない。長く一人で暮らしていると意識はしないけれど、きっと家族とは、そういうものなのだと思う。

 生きてきた時間の長さを通して、その中で占める共に過ごした時間の長さや交わした言葉の数がすなわち「愛」なのだとすれば、大人になった今やこの先、親とのそうした時間がどんどん少なくなっていくことは悲しいことだ。けれどきっと、そうした時間の長さとか、言葉の数以上の何かを与えられて僕はここまで生きてきたのだ、と思う。そうして与えられてきた何かを返していくために、時間の長さや言葉の数以上のやり方で、僕は親に対して何ができるのだろうか。そんなことを、柄にも無く考えた日曜日。

 


2023年6月19日(月)

 仕事に行った。

 何かに熱中すると上手くスイッチの切り替えができないのが自分の悪い所で、今日も仕事が終わってから、しばらく仕事のことが頭に残り続けていた。何か発想のきっかけがあると、それを種にして芋づる式に色々な考えが頭に浮かんできてしまって、退勤後もその連鎖が続いていく。それは良いことでもあるはずだが、自分としては上手く休めなくて苦しい。そしてそうしたスイッチが今日のように入る時もあれば入らない時もあって、入らない時はとことん仕事のやる気が起きず、時間と金だけを貪り食う堕落者になる。気分屋や飽き性、とも言えるかもしれないけれど、どちらかと言うと何かに対する執着心が他人よりも強い、ということなのかもしれない。これだ、と思ったらとことんそれだし、これじゃない、と思ったらとことんそれじゃない。そんな自分に、時々疲れてしまう。

 日記を続けられているのは嬉しいことだ。書けない日も沢山あるけれど、こうしてここに何かを書くことで自分の生活を見つめ直すことが、今の自分にとって重要なことであるのは確かだ。何かを始めることも大変だけれど、何かを続けることはもっと難しい。この日記を続けた果てに、新しい自分に出会えたら嬉しい。もうすぐ半年だ。

 

2023年6月20日(火)

 仕事に行った。家に帰ってご飯を食べて、少し外を走って風呂に入った。それから早めに寝た。書けることはそれだけだった。

 

2023年6月21日(水)

 仕事の休みを取った。足を運ぼうと思っていたとある場所に今日は行くことができない、ということに昨日気付き、ぽっかりと予定の空いた今日という一日をどのように過ごそうか考えて、なんとなく中央線に乗り、吉祥寺と高円寺に行った。

 中央線は僕の今までの人生の中で本当に「中央」と呼ぶに相応しい路線で、昔から馴染みが深く、中央線に乗っていると世界の中心を突っ切って走っているような感覚になる。今住んでいる場所は中央線から離れているけれど、僕の目では中央線より北側の土地は「北の方」で、南側の土地は「南の方」だ。中央線の由来を調べると、予想通り日本の中央を東西に横断するから、とあったけれど、他の土地で暮らしていた人よりもそうした感覚を強く持っているのが、自分のように中央線沿いで生まれ育った人たちだと思ったりする。

 中央線の駅で電車を降りると、だからか少しだけ、自分が正常に引き戻されるような感覚になる。僕は昔からここでたくさんの文化芸術に触れてきたし、たくさんの友達と遊んだり酒を飲んだりしてきた。自分にとっての中心はここにあるのだ、という感覚は、きっとこれから先別の場所での生活が長くなったとしても、薄れることなく自分の中に残り続けるだろう、という確信がある。そうして昔を懐かしむように吉祥寺で昼食を取り、高円寺で一着だけ服を買った。

 本屋で昨日発売になった坂本龍一の単著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を購入し、家に帰って読み耽った。僕は坂本龍一の音楽、ひいては人間性や思想も共鳴する、というか敬服する部分が多く、だからこそ好きで聴いているのだと思うが、昨今のキャンセル・カルチャー問題を鑑みると、作品と人間性を切り離して考えるべきだという考え方も世の中で敷衍しているから難しいところだ。僕は坂本龍一人間性に触れたくてこの本を買ったような気がするけれど、それはもしかすると適切な読書のあり方ではないのかもしれない、みたいな横槍の感情が拭いきれない。けれど読み始めて、僕はこの本も一つの「作品」として読むことができるということを確信し始めて、それからは安心して読み進めることができた。

 坂本龍一は音楽をやりながら、その一方で「言葉」に対しても並々ならぬ探究心を持った人だった。僕は彼の、言葉に対する考え方がとても好きだ。今日読んだ中の一節を引用したい。

 

 人間の言語の機能について考えてみると、言語というものは実際には形のないものにまで、枠を与えてしまいます。「霧」と聞けばそこに霧という存在が見えてしまうし、「空」と聞けば空という区切りがあるように感じられてしまう。(中略)

 本来、自然界はすべて繋がっているのに、言語によって線引きが与えられます。もちろん、それによって得られるものもあるのでしょうが、どうもそれが人間の間違いの原因じゃないかと、歳を重ねてから感じるようになりました。

  ------坂本龍一『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』より抜粋

 

 言葉というものが孕む危険、それは坂本龍一がここで書いているように、何かを規定し、線を引く役割を持っていることだと思う。世界中で問題になっている数多の差別のあり方が言葉の形式に依存しているように、言葉にすることは、何かの意味を決定してしまう権力性を孕んでいる。間のニュアンスは排除され、言葉にされた意味だけが相手の元に投げかけられる。本当はもっと曖昧なはずの世界を、くっきりとした輪郭を持ったものに変えてしまうのが、言葉の宿命だ。

 けれどそうしたやり方でしか世界を捉えられないのも事実で、言葉に救われることは沢山ある。漠然とした不安が、読んだ詩の一節によって形を与えられて安心したり、何かを明確に「見る」ことによって世界を認識することを僕らはいつも必要としている。現にここまで社会的な問題が多い現代を生きていて、自分が正気を保っていられるのは、先に書いた坂本龍一の文章のような「言葉」によって、世界を明視するための手段を与えてもらっているからだ。それは疑いようもない事実だ。

 だからこそ僕は思うのだが、間のニュアンスについての言葉を増やしていくことでしか、複雑な世界に拮抗して生きていくことはできないのではないか。それはつまりどういうことかと言うと、例えば白と黒の二択が与えられたとして、「その二択では答えられない」と断言して言葉の糸を断ち切ることは簡単だが、そこに広がる沢山の色を一つ一つ言葉にしていくこと、と言えば良いだろうか。青の中にも藍や紺、瑠璃色といった色があり、赤の中にも臙脂や桜色、朱色といった多種の名称が与えられている。これは言葉で世界を規定する行為ではあるけれど、そうやって細かく細分化して言葉の数を増やしていくことでしか、複雑な世界に対して言葉を通して向き合っていくことはできないのではないか、と思うのだ。そして言葉の数や、語る会話や文章の長さこそが、この複雑な世界を明視するための手段になる、と思う。それはもしかすると、効率性が正義とされている現代にとっては古臭い考え方なのかもしれないけれど。

 僕はここや他の場所でこうして言葉を尽くすことで、そうした言葉の危険を超えた「何か」を立ち上げてみたい。それには努力が必要だし、長い年月を必要とすることかもしれない。けれど死に際まで創作と向き合った坂本龍一の言葉に触れるたびに、そうした自分の野心を後押ししてくれる大きな力を感じる。こんな素敵な本を、最期に遺してくれた坂本龍一に心の底から感謝したい。

 

2023年6月22日(木)

 仕事に行った。夜はジムに行って、ルームランナーでしばらく走った。走っている間、僕は自分が何者でも無いことを腹の底から感じる。色々なしがらみの全てから、束の間解放されるような気がする。走ることが好きだったことを思い出した。

 

2023年6月23日(金)

 家で仕事をした。それから職場の人たちと飲みに行った。

 飲み会の難しさは、僕が自分の感情の持ち方を自分で肯定することの難しさと似ている。誰かが何かを言った時、それを否定する立場にいる人と、それを肯定する立場にいる人のどちらの気持ちもわかるような、わからないような気がして、僕はどういう立場で何を話したら良いのかわからず、へらへらと笑っている。この「へらへらと笑う」自分があまり好きではないのに、へらへら笑うことしかできないから、飲み会に行くと自分が自分で嫌になる。でもたくさん飲んでいるとへらへら笑っていることも楽しいような、けれどどこかで楽しくないような、よくわからない感じになる。これが酔っ払うということか。

 帰り道の夜風は気持ちよかった。まあそれで良いのかもしれない。

 

2023年6月24日(土)

 朝から作曲をして昼から出かけ、近場の図書館を二箇所回った。そこでユリイカのA24特集と、新潮に掲載されている村上春樹の「疫病と戦争の時代に小説を書くこと」を読んだ。僕は今日一日を通して何を得たのかよくわからない。けれど、何を得たのかよくわからない一日を過ごした、ということ自体が、きっと疫病と戦争の時代を生きるために最も重要なことなのだ、と思ったりした。