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曽我部恵一の「バカばっかり」を聴きながら、日々会う人たちのことを考えた。歌詞はほとんど追っていなかったけど、「バカばっかり」という言葉が聞こえる度になんだか暗くなっていた視界が開けて行くような感じがした。「あいつもこいつもバカばっかりだ」みたいなことを言いながらも、この曲は逆に、だからこそ生まれるひとのあたたかさに目を向けている気がしたのはなんでだろうか。理解してくれないよ、友達も、家族も、恋人も、本も、映画も。だけど、だからこそ必要なんだ、と説かれている気分になった。

 

ショウペンハウエルの『読書について』を一部読んだ。多読は悪だ、というようなことが書かれていた、つまり、読書は自分以外の誰かに物事を考えてもらう行為だから自分で考える粘り強さを失ってしまう、ということだ。耳が痛いなあ と思ったのだけど、ここで僕が「耳が痛いなあ」と思ったのは、この本に書かれていることを真に受けているからじゃんと思って、それはこの本が意図して書いていることと真逆だなと思った。

僕は自分で何かを考えている時間がこわい。だから一人だと悲観に向かう気持ちや、逆にどんどん楽観的になって行く思考は、本を読むことによって一般的な「正しさ」に連れ戻される気がする。しかしそれが必ずしも良いことではないらしい、すると、僕はお酒を飲んだり身体に悪いものを食べたりするみたいに害悪な吸収をし続けているのかもしれない。

まあそれはおそらく考えすぎで、筆者は「多読」がいけないと言っているだけなのだけれど。