20210719

この年になって、わたしにもわかってきた。大事なことは、少し遅れてやってくるんだってーー伯母さんが詰めてくれた杏のジャムみたいに、そして、だれかを想う心の疼きみたいに。

(堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』「杏村から」より)


休日明けの月曜日。暑さのせいなのかデスクに向かっていても終始頭が働かず、18時を回ったところでやらなければいけない仕事も放り投げて帰路に着く道中、車内から見える夕焼けをぼんやりと見つめていると、ふとこの一節が頭に浮かんできた。


本を読んでいる最中には理解が及ばず、何となく良い響きだなあと思うだけで読み飛ばしてしまった言葉が、自分でも思いもよらない場面で、ふっと脳裏をよぎったりすることがある。その瞬間にハッとし、何か大切なことに気づいたような、あるいは気づいていないにしても少しだけ心が軽くなるような、そんな気持ちになることが多々ある。自分の感情を捉えることは難しいけれど、自分の中でこうした言葉を何層にも渡るフィルターとして溜め込んで、然るべきタイミングでその膜を通して自分の置かれた現状を丁寧に見つめてみると、漠然とだけれど歩むべき道筋が浮かび上がってくるように思う。社会の中で、人はきっとそこで見つけ出された道筋の先にあるものを「答え」と呼ぶのだと思う。


「答え」なんて無いと言いたいのだけれど、僕らの人生には、理由をつけなければいけない場面が多く存在する。就職活動をしていた時に、「あなたはなぜこの仕事をしたいのですか」という問いに対する回答を毎度用意し、面接官の目を真っ直ぐに見て意気揚々と回答していた自分を思うと、特に目標も持たずただ毎日のタスクをこなしていくだけの自分は大嘘つきだし、そんな姿勢が詰られても全く文句は言えない。もちろん、与えられたタスクをこなすことが仕事においては重要なことだし、その積み重ねが何かしらのゴールに辿り着くことは往々にしてあるけれど、「目標を決めた上で何かを実践する」ということがとりわけ重要視される機会が、社会人になってかなり多くなってきたように思う。だからずっと、どこかで嘘をついているような気がするし、何か間違ってしまっているような不安を抱えながら、毎日を過ごしている。

 

自分の感情に答えがないとか、白と黒では判断できないとか、そういう言葉を発することは、甘えなのだろうか。そうではないと、僕は沢山の作品に教えてもらったはずだ。頭では駄目だとわかっていながらも、少しの気紛れで犯罪に手を染めてしまう少年の話。恋人を大切にしたいと思えば思うほど、逆にその人を追い詰めて死に追いやってしまった女性の話。それらの作品を過剰摂取するように読んだり観たりしてきた僕の目に映る社会は、ある種歪みまくっているのかもしれないけれど、その歪みは僕にとって必要な歪みであると、強く言い続けたい。何か一筋の光が見えた時に、その光を反射させて真逆の意味にしてしまう対象が存在するかもしれない、という可能性への気づきを、失いたくない。そしてそれを体現するように、言葉では言い表せない複雑な感情を抱えた誰かの言葉を、優しく受け止めることのできる自分でありたい。この文章を書きながら、そんなことを考えた。

 

僕は何の為に働いていて、何の為に毎日ご飯を食べて、何の為に生きているのだろうか。その答えはわからない。けれど、もしかしたらこのままでいいのかもしれない。きっと大事なことは、少し遅れてやってくるのだから。