月が近づけば少しはましだろう

 何をしていても、無意味に思えてしまうことがある。「結局のところ人生に意味なんてないのだ」という諦念を腹の底に抱えながらも、それでも生きているのだから、大小問わず自分なりの生き甲斐のようなものを見つけ、あるいはそうした生き甲斐を「探す」という行為をし続ける、ということ自体に、何らかの意味を見出して生きる。きっと皆、そんな感じだろう。僕にとってそれは創作だ、と強く思う、けれど、そうして続けていく中で突然、どうしようもない不安が襲ってくることがある。厳密に言うとそれは「襲ってくる」わけではなく、あくまで内発的に、自分で自分を襲っているに過ぎないのだが、どうしようもない不安はそうして前触れも無く、突然僕の胸に立ち現れる。何のために書いているのかわからない。何のために働いているのかわからない。果てには何のために生きているのか、と、そこまで行ったことはないけれど、そこに至らないギリギリのラインで踏みとどまる毎日に、ずっと疲弊し続けている。

 いつからこんなことになってしまったのか。思えば思春期の頃から、ずっとこうだ。もっと健全に、他人にも自分にも優しく、素直に生きていたかった。どこかで踏み外してしまった後悔と、踏み外さなかった人への嫉妬を胸に抱えながら、それでも明日はやってくる。それは生きている限り、当たり前のことだ。そうした摂理すらも、時に自分を指差し、嘲笑っているように思えてしまう。

 そんな時、僕はASKAの『月が近づけば少しはましだろう』を聴く。

 

いろんなこと言われる度にやっぱり

弱くなる

いろんなこと考える度に

撃ち抜かれて

恋人も知らないひとりの男になる

 

 まっすぐな言葉だ、と思う。ここに嘘などあろうはずがない、と思う。僕にはそれがわかる、いや、それはあくまで僕自身にとって、ここに嘘がない、ということに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ僕にとって、ここに書かれている言葉は「まっすぐな言葉」だ。

 誰かが自分に対して何かを言う。しかしその言葉は、当たり前のことだがその誰かが思った通りには自分の胸に届かない。僕は僕なりの人生を経て醸成した、僕なりのやり方で、その場で発された言葉を解釈し、受け止める。それは逆も然りで、その受け止め方は千差万別だ。そうした意味で言葉は残酷だ、と思いながらも、やっぱり傷つく。やっぱり撃ち抜かれる。そしていつしか、誰からも言葉を発されない場所に行きたい、一人になりたい、と願う。僕ですらそうなのだから、この曲が書かれた当時は既に大スターとなり、沢山の人々から一方的に言葉を投げかけられる存在となったASKAが感じていた重圧は、僕には到底想像し得ない。

 

壁にもたれて もう一度受け止める

小さな滝のあたりで

 

 「小さな滝」が何を意味しているのか、僕には正直よくわからない。しかしこうして文章を書きながら、全ての言葉を解釈し、説明することの限界を、僕はひしひしと感じている。というか、解釈される必要などないのかもしれない。「小さな滝のあたり」というのがどの辺りなのか、と明確に言葉で説明することができないからこそ、詩はそこにあり、僕らの胸を強く揺さぶる。

 それでも思うのだが、どうしたって「小さな滝のあたり」としか表現できなかったのではないだろうか。それは「滝」が何かに強く打たれる様子を連想させる、とか、色んな人の言葉が自分の小さな身体に滝のように流れ続ける、とか、そういった直線的な意味を持ったものでは決してなくて、ただ単に、現実のものではない「詩」の世界の中で、小さな滝がある、と、それだけのことなのかもしれない、と思う。そう思わせるところに、この詩の強さと、懐の深さがある。

 

角を曲がるといつも消え失せてしまう言葉だけど

心の中では切れて仕方ない

 

 どうして言葉は、いつも自分の思い通りに掴み取ることができないのだろうか。どうしようもなく悲しい、どうしようもなく苦しい。その「悲しい」と「苦しい」は、言葉で表したところで、その言葉が自分の感情を一番適切に表している、とは、到底思えない。

 そうして掴み取ることの難しさを、ASKAは「切れる」という言葉に集約させた。なんとなく、その生みの苦労はわかる。たとえ「切れる」と言い切ったところで、それは「切れる」では表現しきれない感情だ。それでも「切れて仕方ない」と、言葉にすること。そこには絶望的な諦めがあるだろう。しかしその諦めを払拭するように、その諦めに立ち向かうように、文字通り自身の喉を切り刻むように絞り上げて歌う歌声に、魂がこもっている。そうした強さを、僕は聴いていて強く感じる。

 「歌詞」は、たんなる言葉ではない。メロディに乗って、歌われることによって初めて、「歌詞」になる。だからその言葉だけを切り取って何かを語ることには意味はなく、その全体を通して「感じる」ことでしか、本当の意味で歌詞を聴くことはできない。

 

この指の先でそっと

拭き取れるはずの言葉だけど

積もり始めたら

泣けて仕方ない

 

 ここで唐突に、何か途轍もなく深い優しさを感じるのは僕だけだろうか。「そっと」「拭き取れる」「積もる」という繊細な言葉によって弛んだ感情の糸が、涙へとつながっていく。

 苦しい時や、悲しい時に涙が出るのではなく、人は、優しさに包まれた時に涙を流すのだ。ここで書かれている意味内容とは異なるけれど、僕はここで書かれている言葉に、何かそうした単純な意味を超えた、言葉の力を感じる。言葉を疑い、言葉に傷つく日々を越えて、言葉を信じる強さが、ここに生まれた。それまでにどれだけの苦労があったのだろう。「泣ける歌詞」とか、「泣ける曲」と評されるような、そんな単純なものではなく、「泣いている音楽」がここにあって、そんなものを生み出してしまった表現者としての極致に、力強い歌声を聴きながら、ただただ圧倒される。

 

***

 

 「月が近づけば少しはましだろう」というタイトルの意味を、僕はまだ自分の中で咀嚼できていない。それでも、なんとなくわかる。というか、なんとなく感じる。歌を聴く、ということは、きっとそういうことだ。

 仕事で疲れ果てた帰り道、イヤホンでこの曲を流しながら寒空の下、月を見上げる。月はすごく、遠くにあるように思える。それでも、月はいつもそこにある。

 『月が近づけば少しはましだろう』を聴きながら、月が近づけば少しはましだろう、と思った僕の中で、詩が、言葉が、確かに生まれるのを感じる。そこに意味はない。別にそれでもいい。こうしてこれからも、何かを書き続けていきたい、と強く思う。

作曲に関するあれこれ

 今年に入り、久々に作曲をしよう、と不意に思い立って、幾つか断片的で形にならないものを作り続けている。昨年の7月ぐらいから作曲にはほとんど手をつけておらず、それよりも文章を書きたい、という欲求に対して素直に、毎日日記を書き続けてきた。そうした一年を通して何を得たのか、結局の所はよくわからないが、文章の良し悪しはともかくとして、自分の中で「文章を書く」という行為が身体に染み付いてきたような感覚が少なからずある。何かを書こう、と思えば、とりあえず置いた言葉から次の言葉が自然と導き出されてくる、と言うと格好が良いが、僕にとって「文章を書く」という行為は明確な意思の無い、受動的な運動に過ぎない。きっとそれは人との会話においても同じことで、自分が言った言葉や、あるいは誰かが言った言葉から次の会話が生まれる、というのは、身体的な「慣れ」というか、共鳴のような反応に身を委ねている部分が大きいのだと思う。長い休みを通して特定の人としか会話をしていなかった自分が、明日から始まる仕事の場で他人と上手くコミュニケーションが取れるのだろうか、と不安に思うことも、多分、原理としては同じことだ。

 そうした運動にどっぷりと浸かり続けた一年の後、いざ作曲をしよう、とソフトを立ち上げ、適当な音を打ち込んでみると、どうにも次の音に上手く繋がらない。文章を書くことも作曲をすることも、0から1を生み出そうとする点においてはきっと同じことだが、考え方というより、身体的な運動の原理がそもそも異なっているような気がする。それが一体どういうことなのか解明したい、と思い、とりあえず慣れたやり方を選んで今、この文章を書いている。

 作曲、というと範囲が広いが、自分がやっているような歌詞のあるメロディが主旋律となる音楽、にとりあえず限定して考えると、デモを作る作業は幾つかの段階に分けられると思う。それは①基盤を作る(ビート、コード進行、主旋律ではない背景の音、などを作る) ②主旋律のメロディを作る ③歌詞を書く と、大まかに纏めればそんな所だろうか。この①〜③をどのような手順で組み立てていくか、というのは人それぞれだが、僕の場合はかなりぐちゃぐちゃに、その時々に浮かんだものをバラバラに散りばめながら、徐々にそれらを統べるように全体の体裁を整えていく。適当な鼻歌でメロディと歌詞が一緒にできることもあるし、歌詞があってからメロディを当てはめる、ということもある。メロディからビートが生まれることもあれば、ビートからメロディが導かれることもある。それは本当にその時々によって異なって、何から始めれば上手くいく、ということもない。だからとりあえず、何も考えずに、頭の中で鳴っている音に正直に、掴み取っていくしか方法が無い。

 きっと僕が今悩んでいるのは、こうした作曲の「取り留めの無さ」ではないか、と書きながら思い至る。そう、文章を書いていると、こうして「書きながら思い至る」ということが当たり前のように約束されていて、時間を掛ければその分何かを書くことができるし、流れに沿いながら運動を続けることができる。それが全体の分量にも繋がる。しかし作曲の、特に0から1を作ろうとする段階においては、何からどのような反応を受けて次を生み出すことができるのか、ということが手を動かさなければ全く見通せない。無限の宇宙の中で、散りばめられた点を線にしていく作業は、時間を掛ければ成せるようなことではない。5時間かけても何も作れないこともあるし、5分で何らかの形になることもある。それはやはり、文章を書くことと、作曲をすることの根本的な原理の違いのような気がする。

 そしてさらに作曲を進めていき、アレンジの段階になると、今まで組み立ててきたものにさらに何かを足したり、組み立てたものを一度崩して何かを引いたり、という作業が必要になる。これが本当に、答えが無い。売れているアーティストであればきっと、自分達の耳とプロデューサーの耳、があって、こうした方が良い、というアドバイスを信じて何かを削ったり、加えたりする、ということを繰り返しているのだろうが、これを自分達の手でやろうとすると本当に際限が無く、たったの一小節を作るだけでも膨大な時間が掛かる。そしてそれも時間を費やせば費やすほど良い、というものでもなく、聞けば聞くほど自分の耳が鳴っている音に慣れていき、正常な判断ができなくなる。客観的な判断をしてくれる人がいない状況では、それを自分自身で判断する必要があるのだが、そのためには本当に、頑固と言われるほど自分の判断に対して自信を持つ必要がある。そうした自信と、何かを加えたり削ったりする勇気が無ければ、アレンジを推し進めることはできない。これは本当に、身体的にも精神的にも途方も無いエネルギーが必要となる作業だ。

 文章を書きながらも、少し前に戻って何かを足したり引いたり、最終的にざっと全体を読んで段落を追加したり、といったことは少なからずあるものの、あくまで僕の場合に関して言えば、全体としてはほとんど変えることは無い。変えなければいけないのかもしれないが、変えてしまってはいけない、という思いの方が強い。それは、文章には書いている時のリズム、というか呼吸、のようなものがきっとあって、それは思考の流れに沿ったものだから崩してしまうと読む際の障壁、あるいは躓きとなる、と考えているからだ。今、「リズム、というか呼吸」と書いたり、「障壁、あるいは躓き」と書いたりしたが、こうしたものがきっと文章の流れ、のようなもので、それをどちらかに定めることは思考の流れを崩すことになりかねない。文章の量が規定されていれば削ることもあるだろうが、できる限りこうした部分を残した方が読み手にとってスムーズな文章となるのではないか、という思いは、沢山の優れた作家の文章を読むことを通じて、なんとなく自分の中に浸透してきた。

 しかし作曲においては、「リズム、というか呼吸」というような組み立て方をすることは許されず、それをどちらかに限定しなければいけない場面が多すぎる。それは歌詞だけでなく、音においても同じことが言える。と書きながら、何をわかったように書いているのだ、と自分で自分にツッコミを入れてみるが、こうしたツッコミすらも作曲においては許されない。自分の生み出すものに常に自信を持ち、それを断固として提示してあとは聴き手に任せる、という覚悟が、作曲には絶対に必要なのだと思う。もしかすると僕は今、そうした覚悟から逃げ続けているのかもしれない。

 また、よく「歌詞が書ける人は文章を書ける」と言われたり、歌詞を書くミュージシャンが簡単に小説を書いたりすることも多いが、それは何かが根本的に間違っているような気がする。歌詞を書くことと文章を書くことは、本来全然異なる行為ではないか。それは散文と韻文の違い、と言えるかもしれないが、音楽の場合、そこに具体的な意味は必要とされない(これはあくまで僕の持論、というか好みの話だが)。メロディと歌詞の響きによって生成される身体的な心地良さや、説明できない感情の昂揚が、音楽にはある(もちろん文章にもある、のだが、いったんそれは度外視する)。言葉で説明しないからこそ、言葉で説明できない感慨がそこに生まれる。そこには無限の可能性がある。しかしそれが無限であり過ぎるが故に、生み出す過程においては先に書いたことと同じような、迷いを払拭する自尊心、覚悟が必要になってくる。それを当たり前のようにやれる人たちもいるが、正直、当たり前のようにそうして自分の言葉に自信を持てる人たちを、僕はあまり好きになれない。常に言葉を規定することに迷いながら、音に耳を傾け続けること。そこに長い時間をかけ、苦心してやり遂げる人たちこそが、本物の芸術家である、と僕は思う。とは言いながらも、パッと思いついた言葉が一番良い、ということが起きてしまう場面もある、という点に、文章とは異なる作詞の難しさがある。

 小説家・保坂和志は、「芸術とはまず、量だ」と書いていた。僕もそう思う。文章を書くことも音楽を作ることも同じ「芸術」だと言えるとすれば、そこにかけた時間と労力が嘘をつくことはきっと無い、と信じたい。午後の頭からこの文章を書き始めてもうじき2時間が経つが、その時間の長さがこの分量になった、ということは、自分で読み返しても他人が読んでも厳然とわかる。しかし今日の午前中、同じぐらいの時間をかけて作曲をしたが、正直何一つ形にすることはできなかった。その具体的な成果の見えなさに対して、僕は辟易しているのかもしれない。

 成果物が目に見えることと、見えないこと。答えがわからない問いに迷っていることと、その迷いをそのまま形にすること。そのどちらにも同じだけの時間をかけている、ということを、僕はもっと理解しなければいけないのかもしれない。それは、この文章を書き上げた、ということで満足してはいけない、という、自分への戒めでもある、のかもしれない。とりあえず、腹が減った。

パーフェクト・デイズ

 年始一本目に観た映画は、ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースが日本で撮った、『PERFECT DAYS』という映画だった。俳優・役所広司カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した話題作で、「THE TOKYO TOILET」という、渋谷区の公共トイレを快適なものにする取り組みから端を発した映画だ。役所広司演じるトイレ清掃員・平山の静謐で穏やかな日常が、辛抱強く丁寧なタッチで描かれた、終始美しい映画だったと思う。

 平山は日々、同じ時刻に清掃をする老人の箒の音で目覚め、決まったルーティンをこなして仕事に出掛けていく。いつも同じ缶コーヒーを飲み、いつも同じタイミングでカー・ステレオのスイッチを入れる。一つ一つを丁寧に、日に依った差異の無いよう順繰りにこなしていく中で、家を出た時に見上げる空の色や、清掃中に見かける木漏れ日の揺らぎだけが、平山の目に日々の変化として映り込む。そうした微細な変化を丁寧に見つめるためには、きっと日常の雑事を限りなく縮小し、自分にとって必要な最低限のものを選び取るための審美眼が必要だ。そうした審美眼は決して一朝一夕に獲得できるものではなく、長い時間をかけて日々を送り、見つめながら、経験と共に身体にゆっくりと溶け込ませる必要がある。そうした日々を越え、「生きる」という不断の努力を続けた結果として得られた生活を、人は「丁寧な生活」と呼び、敬意と憧憬をもってそれを称賛する。

 御多分に洩れずこの僕も、そうした「丁寧な生活」を描く映画を目にしたことですぐに感化され、その日の夜の内に自宅の清掃用品をスーパーで買い揃え、重たい荷物を抱えて家に帰ってきた。翌日、僕は朝から自宅のトイレ・キッチン・風呂場といった水回りから、物が増え過ぎて荒れ果てていた本棚やクローゼットに至るまで、あらゆる場所を時間をかけ、丁寧に掃除した。気付けば夕方になっていて、急いで買い物に出掛け、残った雑事をこなした後、買ってきた弁当をかき込んで風呂に入り、泥のように眠った。そうした時間を過ごした後、目が覚めて、幾分か整理された自宅のデスクに座って今、この文章を書いている。

 僕にとっての「PERFECT DAYS」とは一体どのような生活なのだろうか、と、こうして書きながらふと思う。思い返してみれば、映画に感化されたことで嵐のように自分を急き立て、家中を掃除した昨日という一日が、他人から見て「丁寧な暮らし」だとは到底思えない。むしろ、映画の中で平山が送っていたような静謐な日常とは、正反対にある生活のような気さえする。誰かがレビューで語っていたことだが、平山のような人間はきっとこんな映画を観て感化されたりしない。僕らの中に生まれる「映画を観よう」という能動性自体が、既に何らかの強い欲求や、社会からの外圧によって支配されていて、それは自身の日々を丁寧に見つめることとは対極にある行為なのかもしれない。そう考えると、自分が今後どのように生きていけば良いのか、そして何かが間違っているのでは無いか、と、突然不安にもなってくる。

 何かを捨て、何かを選ぶこと。日々の生活を見つめ、自分にとって必要な物を厳選することをラテン語で「エルグレ(Eligere)」というが、「エレガンス(Elegance)」という言葉の語源はここから来ているらしい。周囲の圧力に拠らず、自分自身の感性を持って何かを選び取ることが「エレガンス」な生活であるとすれば、僕自身の生活はそうした優美さの欠片も無い。YouTubeで満ち足りた生活を送る人たちの動画を見て何かを購入したり、今回のような映画を観て感化されるような日常は、周囲からの影響や外圧に、常に侵されている。もちろん、そうした動画や映画に触れる、という行為を選択し、忙しない日常の中でそうした時間を確保することが僕にとっての何かを「選び取る」行為である、と、こじつければ言うこともできるかもしれないが、自分のそうしたやり方が些か暴力的で、自分や周囲の生活を蔑ろにしているような感覚も常にある。それは映画の中で平山が送っていたような生活とは、やはり対極にあるような気がする。

 平山の生活からは、私欲に振り回されない確固たる精神性を感じる。公共トイレを清掃する場面で、柄本時生演じる同業者・タカシが、平山に「そんなに本気出しても無駄ですよ、どうせ汚れるから」という言葉を投げ掛ける。その言葉はある意味で、真理であるような気もする。公共トイレは汚れる場所だ。どれだけ掃除したって使用者がいれば汚れていくし、別にそれが原因で誰かから非難されることもない。それでも平山は黙々と、清掃する手を止めない。他人のために何かをする、それが自分のためになる、ということを夢想するわけでもなく、ただ淡々と、「清掃する」という行為に身を粉にして没入し続ける。それはどことなく、禅の境地と似ているような気がする。

 しかし、平山がどうしてそのような生活を選ぶことになったのか、ということは映画の中で明らかにされない。映画の後半で登場する妹の存在で、彼が社会的には裕福な家庭に生まれ育っていることが暗示されるが、それも本当の所はわからない。(YouTubeに上げられているヴィム・ヴェンダースのインタビュー映像で、平山がどうしてそうした生活を送ることになったか、というサイドストーリーが語られているが、しかしそれは監督が想像したことでしかなく、映画は本来、スクリーン上に映っていることと、そこから観客の中で想起されるものとの関係性の中にしか生まれない。だから正直、映画内に描かれていない監督自身の想像する部分を語ることは表現者として間違っているのではないか、と少なからず思ってしまうが、いったんそのことは無視して、映画の中に映っていることだけに注視して考えたい。)彼は生涯を通してずっとそのような生活を送り続けていたのかもしれないし、もしかすると僕のように、周囲からの影響を受け続ける生活に辟易し、どこかのタイミングで自身の生活を劇的に転換したのかもしれない。いずれにせよ、映画に描かれる彼の日常が、時間や経験を通してゆっくりと堆積されていったものであることは、映画を観た僕にとって確かだ。

 平山は日々、清掃するトイレの外壁に映る様々な光の陰影や、木漏れ日を眺める。そこには一つの形に収斂されない光があり、影がある。僕らの生活も、きっとそれと同じことではないだろうか。一つとして同じことなどなく、光があるからこそ、影もある。人々から称賛される営為が、裏では誰かを傷つけていることもあるし、悲しくてやるせない体験も、裏を返せば未来への希望の光であることもある。そうした裏表、光と影が存在する世界を、日々自身の感情や他人の言動に揺らぎ、揺らがされながら、僕らは生きているのだ。この映画が美しい作品、素晴らしい作品である、とされることに全く異議は無いが、映画内で描かれる平山の日常が美しい生活、素晴らしい生活として僕らの目に映ることに対しては、常に疑義を抱きながら向き合っていたい。そうした感慨を与えてくれた点において、僕にとってこの映画を観たことは、かけがえのない体験であったことは間違いない。

 

 この文章を書いている間、僕はずっと幸福だった、と思う。こうして自分を奮い立たせてくれる作品と出会い、そこから得た何かを自分なりに表現するために費やす時間が、自分にとって必要不可欠な時間であることは確かだ。しかしそれが本当の理想の生活なのか、と問われると、正直自信がない。それでも続けていくこと。誰かから称賛されるでもなく、誰かに何かを与えるわけではないこの日記を、ただ書き続けること。日々トイレの清掃を続ける平山の姿は、僕に、そうしたことに日々取り組み続ける励ましを与えてくれた。

 これが果たして、僕にとっての「PERFECT DAYS」なのか。その答えを、これからもずっと探し続けていきたい。

「僕」と「世界」の間に

 正月から不穏なニュースが続いている。能登半島震源とした大きな地震が起き、津波があった。羽田空港では着陸した航空機と別の航空機が接触し、炎が上がり、死者が出た。僕はそうした痛ましい報道をテレビ越しに見つめながら、空腹を満たすため一人、コンビニで買ってきたカップヌードルを食べている。

 「僕」と「世界」の間に、何か明確な境界線はあるのだろうか、とテレビを眺めながら思う。僕にも大切な人がいて、そうした人たちが被災地に居たり、けたたましい炎を上げる航空機に乗っていたら、と想像すると、恐ろしくてたまらない。しかし、それはあくまで想像でしかない。現に僕は今ここで、平然といつもと変わらぬ日常を生きていて、大切な人からラインも届いた。昨日は家族と食卓を囲みながら、流れるテレビの報道をBGMに、笑顔で満ち足りた食事をした。僕はそれを、今となっては後ろめたいことのように思う、けれど、きっとそれは後ろめたいことでもなんでもない。僕や周囲にいる人たちは、ただ真っ直ぐに、自分自身の生活をまっとうしているだけだ。ニュースや報道、SNSを流れる言葉に対して、何をどう受け取り、どう感じるかは人によって異なる。それは当たり前のことだし、実際に悲惨な状況に遭った人たちにとっても、それは同じことなのかもしれない。

 いつ何が起きるかわからない。誰が何にどう感じ、どういう言葉を発するかどうかは、それが起きるまでは絶対にわからない。それでも想像してしまう。頭では「何もわからない」ということがわかっていても、しかし、とか、とはいえ、といったように、何もわからない現状に対する否定的な言葉が、次第に脳内を埋め尽くしていく。そうしたむず痒さに我慢ならなくなった人たちが、曖昧模糊とした現状を打破するべく、物事の原因と勝手に決めつけた誰かに対する批判や、世直しへの叫びを、言葉という矢に乗せて世界に放つ。それが誰かを傷つける。そしてあるいは、誰かを助けることにもなる。それすらもどちらに転ぶかはわからない。わからないけれど、わからないなりに行動するしかない。しかし、行動することが正しいことなのかもわからない。何一つわからない世界で、何一つわかっていない自分が今、ここにいる。

 SNSで、災害緊急支援金の寄付が募られていることを知った。僕はそれを見て、寄付をしたい、と思った。どうしてそう思ったのかはわからない。ただ直感的に、寄付をしなければいけない、と思ったことは事実だ。しかしいざサイトのページに飛んでみると、自分が登録していないアカウントでログインをする必要があるようで、僕はそこで急に面倒になって、スマホを閉じた。誤解を恐れず正直に言えば、そのために時間を割いて、新しいアカウントを作成するほどの気持ちの強さを、僕は持ち合わせていなかった。そして、その募金にいくら入れれば良いのかもよくわからない。募金というと大体これぐらいだよな、という額も、きっと人によって異なるし、お金の価値と思いの強さとが比例するなどとも、到底思えない。大富豪が募金に入れる五万円と、少ない小遣いをもらっている小学生が募金箱に入れる五百円玉の価値が、同じとは絶対に思えない。そこにはそれぞれの思いがあり、それぞれの努力がある。だから自分にでき得る限りの努力を、と思うのだが、自分にでき得る限りの努力がいくらになるのか、僕には判断がつかない。誰かに決めてほしい、と思うが、それを誰が決めてくれるのかもわからない。それでも今まさに、お金を必要としている人たちがいる。しかしそれがどれほどのものなのか、実際に言葉を交わしているわけではないからわからない。わからない、わからない、ばかりが先行し、どうしたら良いのか本当にわからない。

 こうして「わからない」とばかり述べている文章に対して、そうやって迷っているからいけないのだ、という野次が飛んでくるような気がするが、とりあえず無視する。僕は僕なりに、僕と世界の間に起きていることに対して、真剣に向き合っているつもりだ。

 テレビのチャンネルを回すと、いつもと変わらぬお笑い番組がやっている。そこで芸人が落とし穴に落とされ、それを見るワイプの芸能人が大声で笑っている。何もこんな時に、と不快な気持ちになり、批判する人もいるだろう。それでも芸人やテレビ局のスタッフは真っ直ぐに、こんな時だからこそ、世界を明るくするために誰かを笑わせようとし続けているのだ。どちらも悪くない。どちらかが間違っているわけでもない。それでも争いは起きる。それぞれが真剣に生きているからこそ、そこに争いが起きる。しかしそれは、それぞれの「僕」が、それぞれのやり方で「世界」と向き合い続けた結果でしかない。

 どうして戦争が起きてしまうのか。その原因を決めつけることは不可能だ。それを決めようとするから、戦争が起きるのだ。人災、天災、と明確な区別が引かれるが、人災も天災も、結局の所いつどこで起きるかはわからない。その点において、両者に明確な違いはない、と思う。明確な区別が引けるとしたら、きっと、「生きている」か、「死んでいる」か、でしかない。死者に言葉はない。死んでしまったら、何かを感じ、感じたことを言葉にして発することもできなくなる。それはつまり、生者にしか言葉はない、ということでもあるのだ、と、ここでやっと僕は思い至る。

 僕は今ここで、文章を書いている。文章を書くことができる、ということは、僕が今生きている、ということの証拠でもある。だとすれば、今まさに息絶えようとしている誰かのため、ではなく、僕が今生きている、ということへの感謝を、募金に込めることはできるかもしれない。

 

 この文章を読んでくれたあなたは、どういうやり方で、世界と向き合っているのだろうか。どこで何をして、何を思って生きているのだろうか。たぶん、それを伝え合うために、僕らはここで生きているのだ。「僕」と「世界」の間、ではなく、「僕」と「世界」と「あなた」の間には、きっと無限の可能性が広がっている。

20231231

2023年12月31日(日)

 2023年最終日。

 一年間、毎日日記を書き続けた。厳密に言うと書くことができなかった日も多々あり、何日か分をまとめて書くようなことも多かったけれど、とりあえず日々思うことを、思うがままにここに書く、という目標は果たすことができたと思う。これが自分にとって良いことだったのか、悪いことだったのかはわからないけれど、少なからず読んでくれる人もいたみたいだ。そして自分なりに日々の雑感を言葉にして発信する作業は、日々忙しなく過ぎていく時間を一つ一つ丁寧に掴み取るような作業でもあり、そうした時間を通して自分自身を深く見つめる良い機会になったことは確かだ。

 尾崎放哉の「心をまとめる 鉛筆とがらす」という句がある。この日記でも何度か例に出したことがあるが、この句には何かしらの表現者が、表現者であるために必要なことが全て内包されている、と思う。自分の思いを書き連ね、誰かに伝えるためには、鉛筆を尖らせなければいけない。けれどそうして尖らせ続け、思いの重みを筆圧に込めて何かを書こう、と試みると、いとも簡単に鉛筆の芯はポキっと折れてしまう。折れてしまったらまた削り、尖らせれば良いのだが、それは自分の身をすり減らすことでもある。思いを言葉にして誰かに届けようとすることは、そうした危うさを常に自覚していなければ、続けることができない。

 自分を一端の表現者だ、と言いたいわけではないけれど、僕も長く色々なことを創作し続けてきた。高校生の頃からずっと音楽を続けてきて、大学に入ってからは小説やエッセイを書いてみよう、と挑戦したこともあった。それだけでは飽き足らず、自分でミュージックビデオを撮ってみたり、絵を描いてみたり、ダンスや演技をしたりして、何か自分が表現者として世界に発信するための糸口を、常に探しながら生きてきた。上手くいったな、と思うこともあったけれど、失敗することの方が多かった。そしてそれは、今も続いている。

 それでも僕は残念ながら、創作で飯を食えているわけではない。飯を食うための仕事を別にしながら、合間合間で創作に打ち込んできた。打ち込んだ、と自信を持って言えるぐらいには、本気で取り組んできたつもりだ。それでも今、何かが変わったか、と言えば、変わったような気もするし、何も変わっていないような気もする。周りはどんどん結婚し、家庭を作り、それぞれのやり方で自分の人生を推し進めていくのを横目に、自分だけがずっと同じ場所に立ち続けているような、唐突な不安に悩まされる夜もあった。何かのためにやっているわけではない。けれど、時には「何かのためにやっている」ということが、自分に続けるための活力を与えてくれることも事実だ。それは、痛いほど身に沁みてわかってきた。

 少しだけ、今年書いてきた日記の一部を読み返してみた。ずっと何かに悩みながら、何かを書こう、と悶々としながら過ごす僕の傍らには、いつも本があった。本だけではない。大好きな音楽があって、映画があった。絵画があり、演劇があり、工芸作品の数々があった。僕は僕を奮い立たせてくれる沢山の作品に触れて、何かを書き続けるための推進力をもらい続けてきた。そして僕と同じように、何かを表現しよう、と努める同志の友人たちがいて、そして僕がこうして日々だらだらと書き連ねる日記を、毎日のように読んでくれる人がいた。それは本当に、かけがえのないことだ。何を書いていたのかわからない。何のために書いていたのかもわからない。それでも僕は、書きたい、という気持ちに素直に、書き続けることができた。それはいつだって、周りにいる人たちのおかげだった。

 僕はそうした人たちへの感謝の思いを、上手く言葉にしようと思って、今日の日記を書き始めた。けれど、やっぱり上手く伝えることができない。「ありがとう」と言葉にすることは簡単だ。しかし本当に「ありがとう」と伝えたいのならば、そうして簡単な言葉に逃げるのでは無く、自分なりに身を尽くして表現する必要がある、と思うのだ。それができるのは、僕にとって、何かを創作し続ける、ということでしかないのではないか、と今、改めて思う。

 この日記をこの先どうするか、今も悩んでいる。明日になれば何かを書きたくなるような気もするし、こうして日記を書くことに日々の時間が圧迫され、他の創作を蔑ろにしてきたことも事実だ。毎日これを書くことが、自分にとって何か達成感というか、満足感になっているのであれば、他の何かを作ることに踏み出した方が良い、とも思う。今はどちらかと言うと、こうして日記を書き続けるよりも、何か別の表現のあり方を模索したい、という思いの方が強い。

 明日からは一回、日記の更新は止まるかもしれない。それでも僕はその分、絶対に何かを創作し続ける、と強くここで誓いたい。それで飯を食うか、食わないか、そんなことは関係ない。やりたいことに向かって一途に続けることが、何かになる、というのは前向きな考え方だが、別に何かを果たせなくても何かを創作し続けることが、僕を生かし続けている。それだけは確かだ。そしてそれは繰り返しになるが、僕を奮い立たせてくれた作品の数々と、身の回りにいる沢山の人たちのおかげでしかない。

 こうして日記を書いていたら、すっかり日も暮れた。そろそろやめよう、と思うが、僕の中の創作の炎は絶えることなく燃え続けている。自分を削りに削って、もうこれ以上書けなくなるその日まで、僕は鉛筆を尖らせ続けたい。

 先が太くなりすぎて掠れ、読むに耐えない状態のこんな日記を、日々の隙間に読んでくれた全ての人たちへ。月並みな言葉になるけれど、本当にありがとう。身体に気をつけて、皆様よいお年を。

20231224-20231230

2023年12月24日(日)

 昼に蕎麦を食べ、近場で買い物をした。帰り道に車中で、桑田佳祐白い恋人たち」を流して熱唱した。別に浮かれているわけではない。街の雰囲気に浮かされているだけだ、と、意味の無い言い訳を並べてみる。

 クリスマスイブにどこで何をして、誰と過ごしていたか、ということを具体的に書くことが、自分の身辺を赤裸々に語ることになる、という世の中が怖い。別に誰といたって良いし、何をしていたって良いじゃないか。と書いてみたところで、何を怒っているのだろうか、と急に阿呆らしくなってくる。


2023年12月25日(月)

 LINEで「クリスマス」と打つと、LINEキャラクターの可愛い画像が表示されるらしい。季節ごとに適用されるこうしたギミックを見ていると、この機能は実際どれだけ必要なのだろうか? と懐疑的に思ってしまう自分がいる。「わ、すごい!」と素直に喜べる人には楽しいものだと思うけれど、割合的に言うと、こうした機能が日々の連絡の合間に発動してしまうことに対し、煙たさというか、「良いよ、もう」と疎ましく感じている人間の方が多いような気がする。僕の目を通して見る世界は、曇り過ぎているのだろうか。

 しかし考えてみると、「クリスマスうぜー」「クリスマスとかマジで興味無いわ」と不平を漏らす人や、「クリスマスに浮かれてる奴ら、全員くたばれ!」と強い語気で怒る人にも、等しく降り続ける雪の背景の上に可愛い画像が表示されている、と思うと、なんだか笑えてきて、優しい気持ちになれる。クリスマス特有のこうしたギミックは、人々の間に起きる諍いや、怒りの芽を、強引に無効化していく。その力が悪い方向に向かうことは無さそうだ。そう考えると、こうした機能もあながち不要とも言えないのかもしれない。

 恋人と過ごす人、友人と集って飲み騒ぐ人。そうした人に対して不平をこぼす人、一人でいつもと変わらぬ日常を送る人。全ての人に、きっと平等にクリスマスは存在している。メリークリスマス。

 

2023年12月26日(火)

 仕事に行った。年内最後の出勤日。それなのに仕事は驚くほど終わらず、一分一秒を争う猛攻の果て、結局ほとんど片付けることができなかった資料の入ったPCと、ざらっとした後ろめたさを携えながら、周囲に頭を下げ、急いで先輩達との飲み会に向かった。

 何一つ果たせていない気がするけれど、何一つ果たしていない方が認められる、ということも少しだけわかってきた。認められるために仕事をしているわけでは無いけれど、認められた方がスムーズに事が進む場合もある。そのためには適度な肩の力の抜き方と、緊張感のバランスが重要なんだ、とある先輩が話していた。その人が緊張感を持っているような場面を、僕は見たことがない。それでも、その人はそういうあり方で、ずっと何かを果たし続けているのだ、と思う。そこには、善も悪も無い。人はそれぞれ、自分なりのやり方で人生と向き合いながら、生きているのだ。

 人の良し悪しを他人が判断できないのであれば、本当の意味で自分に向けることのできる目は、自分の目でしかないのかもしれない。僕がなりたい自分は、どういう人間なのか。僕が作りたいものは、どういうものなのだろうか。それを探す旅に、明日から出掛けようと思う。

 

2023年12月27日(水)

 午前8時49分、起床。窓越しに見える空は、旅立ちを後押しするように青く晴れ渡っている。

 車中泊の旅に出よう、と決意したのは、ほんの二週間ほど前のことだった。車を購入した時から一抹の憧れはあったものの、他にやりたいことも沢山あるし、何よりアウトドアが苦手な自分が自宅以外の環境で穏やかに時を過ごす、ということが、俄かに想像できずにいた。しかし季節は冬の初め、山には恐らく、虫もいなければ騒ぎ散らす観光客もいない。加えて今年は記録的な暖冬、ときた。そんな絶好のタイミングでインパルス・板倉俊之のYouTubeチャンネルに上げられている「ハイエース一人旅」の動画を見てしまった僕は、もはや旅立ちへの切望を抑えきれなくなっていた。どこへ行っても良い、何をしても良い、完璧な自由。心の赴くままに飯を食い、風呂に入り、好きなだけ眠る、という、生物にとってこれ以上無い贅沢な幸福。それが車内で行われている光景を目にしてしまってからというもの、日々の雑事の合間を縫っては必要なキャンプ用品をAmazonで買い揃え、仕事中も愛車の中で時を過ごす自分を夢想しながら送る日々が続いた。

 そして今日、ついに旅立ちの日がやってきた。

 家事を済ませ、準備した大量の荷物を、座席を倒してフラットにした車の後部に詰め込む。寒さに耐えるための電気毛布やヒーター、明け方にコーヒーを楽しむための電気ポット、ミル、ドリッパー。そして車内で読むためのいくつかの本。それら全てが僕のためだけに存在していて、僕は僕自身のために、それらを車に詰め込んでいた。その事実が、日々の雑事で疲れ切った僕の心を隙間なく満たしていく。

 車のエンジンを入れ、ゆっくりとブレーキから足を離し、発進する。車が道中の段差を乗り越えると、後部に詰め込んだ大量の荷物が軋みをたて、車全体が大きく揺れる。その度に、僕はこの揺れのために生きているのだ、という奇妙な思いが頭を掠める。大袈裟かもしれないが、大袈裟に思えるようなことが、自分にとって一番の真実であったりする。僕も長いこと、この日記を書き続けてきた。改めて読み返してみると、それは言い過ぎだ、とか、誇張ではないか、と思うことも多々あるけれど、その時その瞬間の自分にとってそれが真実であった、ということは確かだ。自分の目は、今、ここについている。自分の目に映る景色と、そこから受け取る感慨を、そのまま真実として素直に受け止めたい。そんな思いを奮い立たせながら、重い車を走らせて高速に乗り込んだ。

 サービスエリアで休憩を挟み、目的地の秩父に辿り着いた。秩父の里に入るためには、高速を降りて下道を走ってから有料道路を通る必要がある。料金所で車を一度停め、財布から小銭を出し、数百円を払って中に入る。それが何だか、現実と遠く離れた夢の国への切符を買っているように思えて、無性に心が弾んだ。まだこんな気持ちになってしまうのか、というより、まだこんな気持ちになれるのか、という前向きな思いが、胸に湧き上がってくる。斜に構え、世界を燻んだ目で見つめるだけだった過去の自分が、秩父の澄んだ山の空気にゆっくりと浄化されていくのを強く感じる。

 スーパーで食料品を買い込み、目的地のRVパークに辿り着いた。RVパークとは、各駐車位置に電源が設置された駐車場で、車中泊を愛するものは皆ここに延長コードを持ち込み、車の中で至福の時を過ごすことができる。幸運なことに駐車場には僕の車一台しかおらず、かつてはテニスコートだったらしい広い駐車場は完全に貸切の状態だった。人影も見えず、鳥の声も聞こえない。車を降りて周囲を見渡すと、青空の下、澄んだ冬の空気の向こうで、山の稜線が四方に渡って広がっていた。完璧な静けさと、完璧な自由。僕は大きく深呼吸をして、しばらくベンチに腰掛けてゆっくりと流れていく時間を楽しんだ。

 それから車中で呑むための焼酎を道の駅で購入し、ホテルに戻って温泉に入った。温泉も、途中から人は入ってきたものの最初はほぼ貸切の状態で、どうしてこんなに素晴らしい場所があるのに誰も来ないのだろう、ということが、不思議で仕方なかった。都心に行けば人に溢れ、ゆっくりと座って深呼吸することすらできない。そんな環境に居て、自分を見つめることなどできやしない。そうだ、僕は自分を見つめたいと思っていたのだ、ということに、人気の無い浴場で体を流しながら、ふと思い至る。

 日々仕事に追われ、その傍らで日記を書き、忙しない一年を過ごしてきた。日記を書き続けた、ということは自分にとって一つの達成ではあったが、それが目的であったわけではない。目的と手段、それを取り違えるな、と方々から釘を刺される毎日ではあるが、そもそも僕の中に、目的と手段が明確に分けられるものなのだろうか、という迷いが深く根付いている。それは、こうして日記を書き続けることで、何となく身に付いてきたことだ。

 僕は日記を書くことで何らかの創作の糸口を見つけたい、と思っていたことは確かだが、こうして書き続けてみると、それは創作の糸口を見つける、ということよりも、自分を深く見つめる、ということでしかないことに気付かされた。いや、あるいは自分を深く見つめる、ということが創作の糸口になる、というか、創作とはそもそも自分自身を深く見つめることでしかないのだ、と、今となっては思うのだ。しかしそれは、何かをしている最中に思い至ることのできることではない。大切なことは、いつも遅れてやってくる。何かに没頭し、夢中でやり続けることが、後から何らかの意味というか、それをやっていたことの輪郭を、自分自身の手で明確になぞらえることができるようになる。そんな実感を得ることができたのは、自分にとって、今後の財産となるかもしれない。

 こうして温泉に浸かり、曇った窓の向こうに広がる夜空をぼんやりと眺めていると、自分が今ここにいる、という紛れもない事実を、強く実感することができる。自分が今考えていることを、いつも以上にすんなりと受け止めることができるような気がする。何をしていても、そうじゃない、それは間違っている、と自分を否定する気持ちを忘れないように生きてきたが、時には自分の感情を真っ直ぐに受け止めること、そしてそれがそのまま創作に繋がる、と信じることも、必要なのではないか。こうして静かな場所で、穏やかな時間を過ごしていると、そうやって素直に思える。

 風呂から上がり、少し湯冷めした身体で寝床を準備して、秩父焼酎をあおってから寝袋に入った。胸は高鳴り続けていて眠れる気がしないが、明日は朝から、日の出を見に行こうと思っていた。今日はしっかりと眠って、明日また、素晴らしい景色を見に行こう。旅はまだ始まったばかりだ。

 

2023年12月28日(木)

 午前5時45分、時計の音で目を覚ました。2時あたりに一度目を覚ましてしまったが、大方問題なく眠ることができた。一番不安視していた夜の時間を乗り越えた以上、もはや恐れることは何も無かった。これから何が起きてもきっと大丈夫だ、という自信が、根強く自分の中に芽生えるのを感じる。きっと、キャンプや登山に魅力を感じる人は、こうした感慨を糧に生きているのだろうな、と思う。他人の気持ちを実感し、体験できることは、きっとそれだけで尊いことだ。

 寝床を片付け、車で山の頂き付近まで行って町を眺めた。気候が良い時には雲海が見れるらしいが、今日はほんの少ししか見ることができなかった。けれど別に良い。雲海を見るためではなくて、僕はここにいるために、ここにいるのだ。繰り返すようだが、人の少ない静かな場所で自分を深く見つめることさえできれば、今回の旅は僕にとって成功なのだ。そのためには、絶好の場所のように思えた。

 僕はそこで見た美しい景色を思い返し、上手く言葉で描写したい、と思いながら、ここで何度も書いては消して、を繰り返していたが、一向に上手く書ける気がしない。それは僕自身の文章力の無さも多分にあるが、そこで見た景色の美しさは、そこでしか見られないものだったことも確かだ。初めての車中泊の夜を乗り越え、明け方に車で山を登り、寒さに凍えながら見た景色やそこで得た感慨を、僕の稚拙な文章で再現することなど到底できない。そうした反省を嘘偽りなく書く、ということが、その景色の素晴らしさを語ることになる、ということを信じているからこそ、僕はそうやってここで書くことしかできない。見たものを見えたままに、感じたことを感じたままに書け、とは言われるが、僕が今思い返すことは、今ここで僕が思い返していること、でしかない、という思いも同時にある。だから、とにかく美しい景色だった、と、小学生の作文みたいに書いてみる。

 しばらくそこで景色を眺めてから、ホテルに戻ってもう一度風呂に入った。それからチェックアウトの時間まで、車の中でコーヒーを飲みながら読書をした。いつも当たり前のようにしていることが、何か途轍もなく素晴らしいことのように思えた。僕はその時間、本当に幸せだったのだ、と書いている今、改めて思う。それから山を下り、有名な蕎麦屋に行って蕎麦を食べ、ブックオフに立ち寄り、ソフトクリームを食べてから帰路に着いた。

 

 旅の最中、僕は何となく思い立ち、ずっとiPhoneで旅の様子を動画に回し続けていた。それは僕がここに来るまでに見た、YouTubeにアップされている沢山の動画の真似事に過ぎないのだが、しかし実際に自分の手で動画を回してみると、そうした動画をアップしている人たちの気持ちが少なからずわかったような気持ちになり、嬉しかった。音楽も、絵画も、小説もそうだが、自分が好きなことを実際に自分の手で作ってみると、それを作る前には気付かなかったような細部に気付くことができるようになって、鑑賞がさらに楽しくなる。そうして得ることのできる楽しさは、常に無限で、どこまでやっても先が見えない。そうした先の見えなさ、あるいは無限な宇宙のような広がりが、僕の心を満たし、僕の目に見える世界を、日々彩り続けている。

 これから先、僕はどのような人生を歩んでいくのか。僕は僕自身の手で、一体何を作ることができるのだろうか。それはわからないけれど、何かをしたい、やりたいと思った気持ちに素直に、これからも取り組み続けていきたい。そうして形にした何かが、誰かの世界を新しい色で彩ることができるのならば、それ以上に幸福なことは無い。

 しかしそうならなくても、きっと僕はやり続けていくだろう。創作とはきっと、僕が、僕自身の世界を彩り続けることでしかないのだ。道中で回していた動画を見返しながら、こうして日記に文字を打ち込み終わってふと、そう思う。良い旅だった。

 

2023年12月29日(金)

 朝から、昨日までの旅の記録を書こう、と何度も机に向かったけれど、どうにも上手く書くことができず挫折。代わりに、道中に回していた動画を繋ぎ合わせてYouTubeに動画をアップしてみた。映像の力はすごい。その時々に見た景色、抱いた感情を、限りなく実際に近い形で誰かに伝えることができる。そうした意味で、映像を撮る、ということは人に何かを伝える手段として手っ取り早いものだ。しかしそれと同時に、映像には「何もかもを映してしまう」という危うさもある。きっと、その危うさから目を逸らしてはいけない。

 夜はバンドメンバーと酒を飲む約束をしていたけれど、急遽小竹が来ることができなくなり熊谷と二人で酒を飲んだ。最近どうだ、とか、これからどうして行こうか、といった「今」と「未来」の話をしているはずが、思えば昔からずっとこういう話をし続けているな、と気付き、「過去」と「今」が倒錯していくような、不思議な感覚を覚えた。「今」を共に生きている、ということは、きっと同時に「過去」や「未来」を共に生きることでもあるのかもしれない。僕が今、熊谷とした話は、過去の話でもあり、未来の話でもある。厳密に言うとそれすらも、今となっては過去のことで、と書いていてよくわからなくなってきたけれど、とにかくそうした長い時間軸を共に過ごしているのだ、ということは、すごく尊いことのように思える。

 とにかく元気そうで何よりだった。また彼と、小竹と一緒に音楽が作りたい、と、素直に思う。まずは自分が曲を作らなければいけない、ということも、痛いほどわかっている。

 

2023年12月30日(土)

 朝から急いで年末の大掃除を済ませ、目黒シネマに行ってイ・チャンドン『オアシス』を観た。

 他者への想像力を獲得することがいかに難しいか。自分以外の誰かが、自分が想像している以上の何かを想像している、と気付くことが、いかに難しいか。その難しさは、決して物事の表面を撫でるだけで汲み取れたり、実感できることではない。

 一本の映画を通して、観客の身に現実としての世界の見え方の変化と、カタルシスを巻き起こすこと。限られた時間の制約や言語の壁、映像技術の限界に誰もがそうした理想を諦める中、愚直に映画が人の心に与える大きな力を信じ、作品を撮り続けているのが、監督・イ・チャンドンである、と思う。彼の撮った映画を観ていると、彼にとって「人間を信じる」ということと「芸術を信じる」ということが、限りなくイコールに近いのだ、ということを強く思わされる。芸術を想像=創造することの中に、他人の気持ちや自分自身を深く見つめるための契機が潜んでいる。そうした相互作用の間にしか、作品というものは生まれ得ない。しかしそうして芸術や人間と真っ向から向き合うことこそが一番難しく、表現者にとっての厳しい試練であることも間違いない。

 脳性麻痺を抱えた主人公の女性は、孤独な部屋の中で、手鏡に窓から差し込む日差しを反射させ、壁に光を当てる。何故そんなことをしているのかは、誰にもわからない。けれどそこに投射された光から、鳥や、美しい蝶が実際の形を得て、この世界に生きる存在として羽ばたき出す瞬間は、何度見ても美しい。僕はそのシーンを見る度、イ・チャンドンが伝えようとしていた「想像力の美しさ」を強く思う。彼女は彼女なりの世界の見つめ方で、何かを想像し、創造し続けているのだ。他人から見れば理由が無く、くだらないと笑われるようなことも、その人の世界にとっては必要不可欠なことがきっと沢山ある。自分の目に見えている世界は、他人の目に見えている世界と絶対にイコールではあり得ない。それは当たり前のことではあるけれど、つい忘れてしまうことでもある。

 こうして日記を書くのも、明日で一年になる。何のためにしているのか、と問われれば、僕にとって必要なことだからだ、としか答えられない。僕には僕の世界があって、誰かには、誰かの世界がある。それらの善し悪しを、他人の物差しで測ることはできない。

 時々、何をしているのだろうか、と不安になることがある。自分の世界が信じられなくなり、今までやってきたことを全て投げ出したくなることがある。それでも、想像し続けることをやめるな、と強く訴えるイ・チャンドンの声が、僕の中で響き続けている。

20231217-20231223

2023年12月17日(日)

 昼に寿司を食べた。寿司はやっぱり美味いなあ、と、当たり前のことを思う。それから適当に買い物をして、帰りにスタバのメルティ・ホワイト・ピスタチオ・フラペチーノを飲んだ。「ピスタチオ・フラペチーノ」だけでは果たして駄目なのか、と思うけれど、なるほど飲んでみると、まさに「メルティ・ホワイト」。溶けるような甘さの、真っ白な液体。「メルティ」という言葉は、なんとなくクリスマス、という感じがする。それは「メリー」に語感が似ている感じがするからだ、と思う、けれど、その「感じ」でクリスマスシーズンに出す商品としてこの白い液体を命名したスタバは、やっぱりすごい。結局みんな、なんとなく雰囲気で、色んなものを選んだり、選び損ねたりしながら生きている。

 家に帰って、道中で買ってもらった柑橘を食べた。甘酸っぱくて舌触りは優しく、まるでそれが存在するだけで世界が薔薇色に染まる、恋みたいな味わいだった。品種は、「紅まどんな」。多分、僕もなんとなくの「感じ」で生きている。

 

2023年12月18日(月)

 仕事に行った。終わらない、終わらない、と言っていたら、あっという間に一日が終わった。

 

2023年12月19日(火)

 仕事に行った。終わらない仕事は無い。けれど、「終わる」ことと「終わらせる」ことは、きっと違う。きちんと終わりたい、と思いながら、無理やり終わらせて家に帰った。

 

2023年12月20日(水)

 仕事に行った。この一年で、フリック入力で「仕事に行った」と打ち込むスピードが猛烈に早くなったことに気付いて、少しだけ悲しくなった。

 

2023年12月21日(木)

 仕事に行った。また飲み会の誘いを断ってしまった。嘘にならないギリギリのラインの嘘をつくことが得意になった。自分に嘘をつかないために、人に嘘をつきながら生きている。

 

2023年12月22日(金)

 家で仕事をした。気付けば年内勤務もあと一日。これだけ仕事をしていると、仕事上でもやりたいことというのはそれなりに出てくる。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない、というかそれがわかる必要など無いのだと思う。やりたいことだけをやって生きていたい。

 夜は飲み会に行かなかったのに、一人で酒を飲んだ。一人で飲む酒は美味い。やりたいことだけをやって生きていたい、といつも思うけれど、僕は割と、やりたいことだけをやって生きている方なのかもしれない。と思えるぐらいには、今日は心の調子が良い。明日から三連休だからか。

 

2023年12月23日(土)

 昼から出かけ、六本木に井上陽子さんの展示を見に行った。井上陽子さんの作品については、去年このブログに長々と書いたが、やはり何度見ても、心のど真ん中を撃ち抜かれるような感覚になる。偶然、経験、余白、陰影、過ち。そうした、人間を構成する全ての複雑さ・矛盾を、井上さんの作品群は優しい色使いで照らし出す。作品を見ている自分と作品それ自体、果てには作品が創られる過程にまで波及して魂は呼応し合い、いつしか境界線を失くして全てが融け合い、一つになる。そうした魂の融合こそが芸術の本意である、と日々思うのだが、そのような体験が現実に起きることは数少なく、貴重なことだ。にも関わらずその時間、店内に飾られた全ての作品が僕の胸の深い所へ、何にも妨げられることなく一直線に降り積もっていくような感覚があり、僕は今作品を見ているのか、はたまた自分自身を内なる目で見つめているのか、判然としなくなり、不意に目眩がした。

 そうした幸福な、夢うつつの時間を過ごしながら、在廊していた井上さんとしばらくお話をさせていただいた。井上さんは創作に迷っている僕に対して、とにかくやりたいことを続けていくことだ、という言葉を投げ掛けてくださった。何かのためではなく、何の意味も持たず、ただ心の赴くままに続けていくこと。それしかないのだ、と。

 闇に包まれ先の見えない山道を、手探りで登っていく。道中でポケットからは沢山の物がこぼれ落ち、歩を進めるに連れて遠退いていくけれど、後ろを振り返ることはできない。続けた先にどんな景色が広がっているかは、誰にもわからない。それでも続けるのか、と問い掛ける内なる声に耳を澄ませ、それでも続けたい、という思いが芽生えた場所に、僕が生み出すべき作品がある。

 そんな思いを抱かせてくれた井上さんの言葉と、僕を励ますようにそこに存在していた美しい作品の数々に、心から感謝したい。