祭りの季節

 暑くも寒くもない、完璧な温度設定の図書館で読みたかった本を読み終え、窓の外を見ると、いつの間にか日が暮れはじめていた。さて、そろそろ帰るか、と自宅に向けて車を走らせていると、各所で行なわれているらしい年に一度の祭りに向かう車の交通渋滞にまんまと巻き込まれた。別に自分は急いでいるわけではないから進みが遅いことに関しては問題無いのだが、車間距離を空けている車を煽るように背後からエンジンをふかす車や、クラクションを鳴らしながら隙間を縫うように前方車を追い抜いていく車の数々に囲まれながら走っていると、なんとなく自分も気が急いてしまい、心臓の鼓動が早くなってくる。普段は穏やかな近隣の道路が、祭りの季節になると一変、通勤ラッシュの都心の駅構内のような様相を帯びて、不自然な熱に浮かされてしまう。祭りの良さももちろん知っているから、一概に祭りの雰囲気が嫌いだ、とは言いたくないけれど、部外者とはいえそうした町の盛り上がりに、少なからず疲弊を感じてしまうのは確かだ。

 思えば僕はずっと、祭りやイベント事が苦手だった。人混みに恐らく他人以上に息苦しさを感じてしまう、という生理的な側面も多分にあるが、どうしても周囲が盛り上がっていると、そうした外部のエネルギーが強ければ強いほど逆に冷めてしまう自分を内に感じる場面が、昔からとても多い。今まではそんな自分になんとなく納得感、というか、「俺は浮かれてる連中とは違うぜ」的なある種の優越感を抱えてやり過ごし、逆に他の楽しみに没頭できることも多かったが、なんとなく最近はそうやって考えることも阿呆らしくなってきて、純粋に祭りを楽しめる人たちに羨ましさを感じることの方が多くなってきた。みんなそれぞれに人生の楽しみ方があって、それで良い、とは思うのだが、僕は僕なりに静かに過ごしたい、と思っているその心の平穏が、別の何かを楽しんでいる人たちの熱に侵食されて落ち着きを失ってしまうのはやはり社会として釣り合っていないような気がして、その気持ちは一体、どうやって腑に落とせば良いのだろうか、と考え込んでしまう。

 昨日からオリンピックが始まった。今年は花の都・パリでの開催ということもあって、開会式はセーヌ川で盛大におこなわれたらしい。僕は正直、芸術の聖地として憧れていた町がこういった形で報道に取り上げられるのはなんとなく寂しく、複雑な心境だが、ネット記事を読んでいると、世界各国から人の集まる盛り上がりの雰囲気とは裏腹に、パリで暮らしている市民たちはオリンピックが始まる前に他の土地に引っ越したり、期間中は旅行に出かける、といったように、オリンピックの狂奔から逃げていく人たちも数多くいるようだった。

 東京オリンピック以降、なんとなく「オリンピック」と聞くだけで否定的な印象を持ってしまうのは日本人だけかもしれないが、やはりこうして望まない騒ぎの空気が自分の暮らす土地に入り込むことによって、生活の平穏を脅かされるように感じる人も一方では沢山いるのだ。それを度外視して何かを推し進めていくことはやっぱり間違っているし、何より本気でスポーツに向き合い、人生を賭して勝利を目指しているアスリート達が、こうした状況では不憫でならない。

 じゃあどうしたら良いのか、と考えても、正直正解は見つからない。けれど、祭りやイベントを楽しもう、と思っている人側が想像力を働かせて、自分が楽しむことによって周りに迷惑をかけないようにする、という最低限のマナーの遵守は少なくとも必要だろう。それだけで両者の利害関係を釣り合わせることは難しいかもしれないけれど、できる限りそうやって努力している、という姿勢を僕は見たい。そうした姿勢を見ることができれば、僕も純粋に祭りの雰囲気を楽しめるようになるのかもしれないが、メディアの報道を見る限り、やっぱり切り取られるのはいつも「陽」の部分ばかりだ。日が当たる場所だけではなく、それによって生まれてしまう影の部分をしっかりと見つめたい、と思う、俗に言う「陰キャ」側の願いを、もう少し報道機関は真摯に汲み取って欲しい、と切に思う。そうでなければ僕らのような懐疑的な人間は、やっぱり素直に祭りやイベント事を楽しむことができない。

 

***

 

 そんなことを考えながら渋滞の中、車をのろのろと走らせていると、ついに前が詰まって車列がしばらくの間動かなくなった。前方を見遣ると、祭りの半被を身に纏った色黒で体格の良い若い男性が、笛を吹いてさらに向こう側に向けて大きく手を振っている。どうやら、神輿が通るための一時的な通行止めらしい。さすがに僕も苛々としてきて、祭りなんてなくなれば良いのに、と思いながら、カーステレオの音量を上げた。

 しかししばらく経って神輿が通り過ぎた後、半被を纏ったその若い男性が、通行止めによって迷惑をかけた車の一台一台に対して丁寧にお辞儀をしているのが見える。「ご迷惑をお掛けしました。ご協力、ありがとうございました!!」威勢の良い声が、僕にも掛けられる。なんだよ、やるじゃん、と思う。僕はこういう姿勢が見たいのだ。人々が何かを思い切り楽しむための地盤は、こうした丁寧な心遣いや、汗水を流して本気でそれを守ろうとする人達の気概によって支えられているのだ。

 すっかり気を良くしてしまった僕は、家に帰り、今では少しだけ祭りを覗いてみても良かったかな、と後悔している。夜気と提灯の光に包まれながら飲むビールは、きっと美味いだろう。それでもやっぱり、そうした「陽」の世界に憧れながら日記を書く、ぐらいの方が、自分の身の丈にはあっているかもしれない。そう思ってソファに寝そべりながら、今日の日記を書いた。クーラーの効いた自室の窓の向こうからは、どこかから鳴り響く花火の音と、汗水を垂らして神輿を担ぐ人達の掛け声が、遠く聞こえている。