上京

新宿に向かう電車の中で、東京のことを考えた。

タイトルに上京という名前をつけたけれど、僕は上京を経験したことがない。生まれてこの方、ずっと東京で暮らしてきた。それがいいか悪いかは別にして、そのせいで経験しなかった感情が沢山あると思えて仕方ない。
バンドをやっていると、上京してきた人達に沢山出会う。東京で一発花を咲かせてやろうという情熱を胸に東京に出てきた人も、東京という場所に出てきたことで音楽を始めるきっかけに出会った人もいる。僕はそういう人達に対してある種の劣等感を常に感じてきた。

かつて東京を夢見て上京してきた人達の作る音楽は、なんだか独特な空気感を持っていて、それが間違いなく強みになっている気がする。きっと「上京」という行為が夢を追いかける人の気持ちとリンクして、聴く人に強く迫ってくるからだろうなあと思う。YUIのTOKYOという曲に、こんな歌詞がある。

「何かを手放して そして手に入れる そんな繰り返しかな」

東京は乾いている。悲しさも愛しさも淘汰されていく。沢山の人に溢れた街で、沢山の思い出に出会う。と、気付く間も無く思い出を手放して歩き出す。思い出を超える思い出に出会って、思い出ひとつひとつの濃度が薄れていく。忘れられない人を忘れさせてくれる誰かに出会う。止まることなく変わっていく街で、止まることなく人は変わっていく。

それでもきっと、東京に出てきた人々にはそれぞれ帰るべき故郷がある。故郷に帰れば、自分が変わった所、変わらない所を、変わらずわかってくれる人が待っている。それはすごく素敵なことだと思う。そんな街がない自分が時々すごく可哀想に思えてしまう。

 

そんなことを考えながら家路に着く。スーパーで買い物をしていた母親に会った。いつもと変わらぬコートを着て、いつもと変わらず2Lの緑茶を自転車のかごいっぱいに詰め込んで笑っている。いつか僕も実家を出ていく。何かを手放して、そして手に入れる、そんな繰り返しだとしても、何も手放したくないな、と思ったりした。