春の話

背負ったギターケースの匂いも、新宿の人混みも、無理して頼んだコーヒーも、全部春の匂いな気がしてなんでだろう?と思っていたけれど、ただ単に冬の間し続けていたマスクを外したからだった。気付いたらもう既に、冬の寒さを忘れている。暑さにも寒さにも慣れてしまうんだったら、寒さに慣れて暑さに敏感でいたいと思うのだけれど。それでも悔しいけど春はいいなあ。朝が来る感じで春が来た。

自分がいる場所もやっていることも全く変わっていないけれど、4月は季節のせいかなんだか人との出会いを色濃く感じる。ここ何年か学生というよりはバンドマン、みたいな生活の中で、厳しさも、優しさも、愛しさも全て、音楽を通して出会ったことばかりな気がする。大好きなバンドがMCで、「音楽にジャンルはあるけれど人間にジャンルはない!」と言っていたけれど本当にその通りで、結局分かり合うのは想像力、どうして泣いてるんだろう?どうして笑ってるんだろう?を分かり合おうとすれば、絶対に差別なんて生まれないと思う。音楽だってきっとそうだ、って思える人の作った音楽が好きだな。全ての人と分かり合うことはできないし、自分にきっとそこまでの想像力はないけれど。それでも出会った人がたくさん愛しい。

9月のワンマンをこの前発表してからしばらくバンドのライブは無くて、スタジオ練習以外の時間は一人アコギを触ってのんびりと曲を作っているのだけれど、お!いいフレーズだ!と思ったら数分前に同じフレーズがボイスメモに残っていたりしてあれ?みたいなことがよくある。なんだかずっと虚無だ。やっていることに対する反応が欲しくて仕方ない。本当にライブが好きだなあと思う。ライブは「今」だからいいんだよなあ。音源にもSNSにもない今の息遣いみたいなものはライブに全て詰まってる。その場限りなものはその場限りだからいい。たとえ礼儀でも演奏が終わった時にもらえる拍手が大好きで、思うに自分の今を投射する場所があるかないかで、人の生き方は変わるのではないかと。

とてもいい曲ができてる。はず。立ち止まっているように見えて進んでいるんだと主張したい時は、発信しなきゃ伝わらないのだけれど、発信がどうにも苦手というか、発信することの比重が自分の中で小さい。言葉だけがスーッと飛んで行くよりは、言葉にしていないけれど伝わっている瞬間の方が愛おしくないですか?そんな綺麗事は言ってられないのでこれからは極力たくさんブログを書きたい。読んでくれる心優しい人はその心の優しさに自信を持って生きてください。終わりです。