真っ白な天井

  本を読む気分でもなくて、何をするでもなく真っ白な天井を眺めた。部屋には僕一人だ。スピーカーの充電も切れた。寝そべったまま深呼吸すると肩に力が入っていたことに気付く。そんなことがよくある。
  楽観的というよりは悲観的な人間だと思う。明るいというよりは暗い人間だと思う。奔放というよりは神経質な人間だと思う。そう思うのは夜だからだと思う。夜だけだとしても、こうして憂鬱になるのは人生の浪費かもしれない。

  時に救いようもなく陰気で、時に場違いなくらい陽気になる。というのは、誰しも実感としてあると思う。「人はそういうものだ」と誰もが言うし、「人は一面的には語れない」とわかったような顔でみんなが言っているけれど、それが本当にわかっている人はどれだけいるのか。

  当たり前のことだけど、夜が終われば朝が来る。なんとなく憂鬱、には終わりが来る。裏を返せばそれと同じように、一日が終われば暗い夜が来るし、幸せな日々もいつか悲しみに侵される。それ自体の憂鬱よりも、「その憂鬱が来てしまう」という怯えに対する憂鬱が濃い。自分でもよくわからないけど悲しいので仕方ない。

  ベッドから起き上がれば、意外と体は機敏に動くだろう。何も考えず歯を磨いて、何も考えずお茶を飲み、何も考えず眠りにつけばいい加減な明日が来る。それがどうしてもできないのは、僕がそうすることを望んでないからだ、と気づいた時には、いつの間にか朝が来ている。