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昨日はレディ・バード早稲田松竹に観に行き、その後図書館にこもって町屋良平「しき」を読了した。今朝は早い時間からバイトに行き、昼を食べてから少し午睡をして今はミシェル・リオの「踏みはずし」を読んでいた。主人公が自分に宛てられた手紙を読んでいる場面でふっと日記のことを思い出して、五日ぶりになんとなくこの文を書いている。

 

音楽が好きだから音楽をやっているのだが、正直僕は「音楽がなければ生きていけない」タイプのバンドマンではない。音楽以外にも楽しみはたくさんあるし、電車内でも音楽を聴いていることより映画を見たり本を読んだりYouTubeでお笑いを見ていることの方が多い。

昔は、高校生の時などは、音楽を聴いていると他の何をしている時よりも高揚した。一人部屋でヘドバンしたり、道端で拳を突き上げそうになるのを必死でこらえて心拍数が上がっていったりするのがとにかく楽しかった。だけど、今ではどうだろうか。

今の僕は、音楽を聴くと「楽しい」とか「気持ちいい」とか、簡単な言葉では言い表せない複雑な気持ちになってしまう。もちろん楽しいし、気持ちいいのだけれど、どこかで胸が痛くなってしまっている自分を感じる。どんなに明るい音楽を聴いても、なぜか泣きたくなるような気がする。

それは、音楽には自分の希望も、挫折も、夢も、悔しさも、憧れも、たくさん詰まっているからだと思う。そんなことを言うと気取っているように思うけれど、僕は随分長くバンドをやってきた。もう、若いとは言われない年齢になってきた。まだまだ甘いと言われようと僕なりに感じた苦悩もたくさんあったし、失ったこともあるような、ないような、いずれにせよ悲観的に考えれば明らかに苦い経験もたくさんあった。それが、音楽を聴いていると沸々とよみがえってくる気がしてしまうし、そういった経験を繰り返し耐えてきたアーティストのことが頭にちらついて音楽にスッと没頭できない。

忙しくてさわがしい社会で、平穏に生きていくことは誰にとってもきっと難しい。何かを頑張ろうとすればするほど、自分を押しつぶすほどの情報やタスクの重圧に耐えきれなくなって、何かを辞めてしまう人がきっとたくさんいる。だから僕は、自分なりに力みのない努力を向けられる場として映画を見たり本を読むことが救いになっている。これは人によると思うけれど、僕にとっては「役に立っているのか立っていないのかよくわからない、けどやってよかったと思う」ことをしている時が、一番楽しい。そういうことをしていると、自分を少し俯瞰的に見ることができる気がする。自分を外から見てみると、なんだ、意外とマシじゃん、悪くないじゃんと思えるのだ。どれだけ逃げと言われようが、僕にとってはそれが、一番心地いい。

そう、本を読んでいたはずなのに、気付いたらこんなに長い文章を書いていて、すっかり日が暮れている。これぐらいの緩さで、絶え間無く持続できるような努力(と言えるかはわからない業)をこれからも続けていくことが、僕の生活には絶対必要だと思っている。