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昨日は少し飲み過ぎて遅めの起床。ゴーストワールドを今日ツタヤに返却しなければならなかったので観た。これは単なる青春映画に終わらないことはなんとなくわかったけれど、何がどう深いのか上手く説明できない。最後に主人公はバスに乗り、どこへ向かったのか。それが明るい未来か、果たして絶望的な場所だったのか、解釈は分かれるような気がしたが、僕としては正直どっちでもよかった。どっちでもいいか、ぐらいの感覚で映画を見ている時が一番楽しいし、下手に誰かと論争して傷つけあっても仕方ない。楽しいのが一番だ。

 

悲観的で有名なカフカアフォリズムを読んでいたら、こんな言葉を見つけた。「もしお前が平地を歩いていて、歩こうという十分な意欲をもちながらそれでも引き返すとしたら、それは絶望的な事態だろう。しかしお前は険しい急斜面を、いわば下からでもそれとわかるほど険しいところをよじ登っているのだから、引き返すといってもそれは岩質のせいだけかもしれなくて、お前は絶望するには及ばない。」これは、むちゃくちゃ前向きな言葉だと思う。悲観的な人は、生きるために悲観的なのだ、と思う。決して、死に向かおうとしているわけではない。みんなきっとそうだ。楽観的な人は、前向きであることで自分を勇気付けているし、悲観的な人は、挫折のことを大げさなぐらい意識して実際のダメージを減らす努力をしている。みんな自然と生きるためにそうしている。きっと無意識的に。そしてそんなことを考えさせてくれるカフカのような作家がいるから、どんなに悲観的でも、僕らは前を向ける。