過去に向けた言葉たち

自分より何十歳も年齢が上の人が、毎日何冊も何冊も本を読み、性懲りも無く「人生ってなんだろう」「幸せってなんだろう」と考えて、考えても考えても答えが見つからずに、そして見つからなくても、あるいは見つからないがゆえに、どこか前を向く手掛かりを本の中から見つけ出して、生き続けている。

僕にとってそれは、ものすごく救いのあることだ。若い僕らがあれこれと悩み、傷付き、不安に怯えていること、それに対して何世代も上の作家が「その反復こそが人生だ」とでも言うかのような泰然自若とした態度で諭してくること、それが結構好きだ。年寄りにはわからないとか、若いなりの葛藤があるんだとか、もちろん思うけれど、僕にとってはそのお節介じみた言葉は救い以外の何物でもない。そりゃ、色んな人がいる。心根から楽観的で、何が起きても別に自分とは関係ないの一点張りで人生をゆうゆうと生きてきた人は、そこまで尊敬に値しないのかもしれない。しかし、反論されることも承知で言うと、僕は「長く生きている」というそれだけである種の尊敬に値するものがあると思っている。そして、長く生きれば生きるほど魅力的な人間になれる、そう思い続けていると、長く苦しいように思える人生が、少しだけ明るくなる気がするのだ。

そんなことを、今日も懲りずにおじいさんが書いた本を読みながら考えている。