六畳の夜

 昔から寝つきが悪い。それゆえに、夜が苦手だ。夜が更けるにつれて、感情のわだかまりが姿を見せ始め、そのわだかまりの正体が一体何なのかもわからずに、ひたすら不安が押し寄せてくることがある。不安はそれが不安だと意識すればするほど大きくなって、頭の中がその不安でいっぱいになり寝付けなくなる。体がどれだけ疲れていても、意識のどこか尖った部分が自分を叩き起こしている。だけど一体何が不安なのか、自分でも見当がつかない。

 そんな夜は、自分でもびっくりするほど神経が鋭敏になっている。時計の針は舌打ちをしているようで、眠れない僕を焦らせる。一秒とはこんなに早いものだったのか、明日は一秒一秒大事に生きようと、大事なことに気付いたつもりになってみても、肝心の明日が来ない。堂々巡りとはまさにこのこと、こんな状態で朝日を待つ僕は世界で一番無能な存在だ。

 それだけ自分にとって、寝付けないことは悲観の種になっている。だからこそ、こういう時のために作品がある、と僕は勝手に思ってしまう。もちろんこんな身も蓋もない悩みに高尚な作品をあてがうつもりはないけれど、自分はこういう寝付けない深夜に多くの作品に胸を突き動かされ、救われてきた気がする。

 僕がバンド音楽を聴き始めたのは、ELLEGARDENが始めだった。高校の先輩に聴いてみろと言われて初めて聴いたのはベスト盤の「Middle of Nowhere」、畳み掛けるような英詞の中で、「君は狂ってなんかいない ただちょっと複雑なだけだよ」という一節がある。僕はそのフレーズを聞いた瞬間にロックの虜となった。正体もわからない不安、行き場のない感情を、肥大した自意識の中に溜め込んでしまっていた僕は、この「ただちょっと複雑なだけだよ」という言葉に泣けてくるほど安心した記憶がある。君はここがおかしいよ、変だよ、というのではなく、「ただちょっと複雑なだけだよ」と捉えてくれる音楽の優しさと懐の広さ。それは自分が今まで出会ったどんな言葉よりも、自分の不貞腐れた自意識を抱きしめてくれた。それ以来、僕は音楽や本にこういう「言葉の救い」みたいなものを求め始めて、しまいには自分が救われたように誰かを救う作品を作りたいと強く願うようになった。少ないけれど自分の曲を聴いてくれている人がいる時点で、僕はちょっとでも誰かの救いになれているのかな、なれていればいいなと願いながら曲を作る。けれど結局、一番その事実に救われるのは自分だ。

 深夜の帰り道、iPhoneで音楽をシャッフル再生していると流れ出したのは聴き飽きるほど聴いたアジカンのリライト。「軋んだ想いを吐き出したいのは、存在の証明が他にないから」?悩みを書き連ねるのは結局は自己主張かな。大好きな音楽にもバカみたいと笑われる夜がある。そんな夜は、自分でも驚くほどスッと眠れたりする。